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二十一時、無人受付のラブホテルに宿泊でチェックインした。
壁際の小机に、コンビニで購入した酒を並べる。
「やっぱり、子供っぽいですかね」
移動中に雫から「やりたいこと」を聞かれ、蓮は今すぐできるものとして飲酒を選んだ。彼は大人になれない自分がその真似をすることに、漠然とした希望を見た。
「いいんじゃない? 一日二日で自分探しするなんて雲を掴むような話なんだし、背伸びするくらいがちょうどいいよ」
彼女はベッドに腰をかけ、黒の低デニールタイツを脱ぎ捨てた。暖色照明の下に素足を晒す。普段の色素が薄い白肌から疑似的な日焼けをしたその姿は、とても健康的で、どこか扇情的にも見えた。
蓮はそれに極力目を向けぬよう、彼女と自分のコートをハンガーにかけた。
「明日さ、東武動物公園のイルミ見に行こうよ」
彼女は梅酒の缶に口をつける。蓮も隣に座り檸檬サワーを飲んだ。ひどいアルコール臭が口内に佇む。
「そういえば明日、クリスマスでしたね」
「なんか思い出とかある?」
雫はベッドに仰向けに寝転び、あたりめを咥える。
「特には。僕の家にはあまりそういった習慣がなくて」残りの酒を呷ってから付け足す。「そもそも、無宗教ですし」
「つまらないこと言ってるから、つまらないんだよ」
彼女は唇を尖らせ、緩い声で消え入るように呟いた。起き上がり新しい缶を開ける。
蓮は聞き流し、スマホを開いた。溜まっていた両親からの連絡を、全てスワイプして消す。カメラロールを眺めていると視界が歪んできた。酒なんて飲むものじゃなかったと後悔した。
雫がさらに酒をもう一本、手に取った。
「それ何本目ですか、お腹壊しますよ?」
「犯行声明?」
「何言ってるんですか。僕、先に寝ますからね」
彼はベッドに入り、布団を鼻先までかけた。
「据え膳、冷めちゃうよ?」
雫は紅潮した頬で、いじわるく微笑む。
「雫さんは時々、頭がおかしい」
彼女に背を向けて目を瞑る。蓮は小さな革命が失敗に終わったのを残念に思いながら眠りについた。
蓮が目を覚ましたのは深夜三時のこと。大きな鈍い音を聞いた為だった。
室内を見回すと雫の姿はなく、入り口付近のトイレから明かりが漏れている。近寄って中を確認すると吐瀉物を垂らした彼女が倒れており、蓮はと胸を衝かれた。浅く呼吸を繰り返し、目は半開き。彼はすぐに救急を呼んだ。
到着した救急車に乗り込み、状況を詳細に説明すると厳しく叱られた。蓮は病院に着いたら警察に保護を頼むと告げられたが、それよりも雫の容態が心配だった。
それから警察官による事情聴取が終わり、無理を言って雫の面会へ行けることになったのは八時頃だった。
彼女の病室にノックをしようとしたが、中から話し声がしてやめた。
「……はい。はい、わかりました。……ごめんなさい。はい、はい。ごめんなさい」
普段の彼女からは想像できないほど悄然とした声音で、誰かへ謝っている。蓮はそれが聞こえなくなるのを待ってから、扉を開けた。
「雫さん、大丈夫ですか」
彼女は蓮の姿を確認すると、握っていたスマホを寝台に放った。
「ごめんね、こんなことになって」目を伏して言う。「旅は終わりにしよう」
彼女は取り繕ったつもりで濁ったまま笑みで続ける。
「私の親、お昼頃にはこっち来るみたい。二人ともちょっと過保護っていうか、厳しくて、私といると絶対に君は怒られるからさ」
彼女に連れられたのか、連れて行ったのかは彼女の両親にしてみれば些細な違いだ。年頃の少女が男と二人で夜を明かしたとなれば、どういう扱いを受けるかは想像に難くない。
「だから、はやく帰ったほうがいいよ」
蓮は色々と言いたいことを考えたが、そのどれもが無駄に思えてならなかった。しかし一つだけ、知りたかったことを訊ねた。
「どうして雫さんは、屋上に来たんですか」
この関係が始まってから、あるいは以前から主導権は常に彼女にあり、蓮は聞きそびれていた。
彼は雫の目をまっすぐに捉える。彼女は答えるのを渋った。何かを言いたそうに、空気を咀嚼している。
「あのとき雫さんは、飛び降りるために来たと言ってましたよね。なんで死のうと思ったんですか?」
彼は椅子に座り、静かに言葉を待った。
しばらくして雫は訥々と語り始める。
「……余命、五年。高校一年生の頃に、そう告げられた」
蓮は耳を疑った。同時に胸の奥に何かがすとんと落ちた。
「正直、なんでって思った。正しく生きてきたつもりだった。だから、この不幸が何の代償なのか、わからなかった」
開いた窓から細い風が吹き込む。
「それでも最初は何ともなく過ごせてたんだけど、あるとき急に全部がどうでもよくなって」
彼女は続ける。
「私はバレーボールの選手になりたかった。そのために小さい頃から努力してきて、やっと才能もついてきて、これが私の天命なんだって信じてたのに。あれこれ頑張ったとしても、そのうちに諦めなければいけないって考えたら、なにもかも全部無駄な気がしてやめた」
蓮は彼女もまた、生きながら死に監禁された人間であることに得も言えぬ親近感を覚えた。
「私を忘れていく人間との繋がりも鬱陶しくなって。仲の良かった子達とも関わるのをやめて、孤立を選んだ。そうしたら段々と私以外のすべての人間を疎ましく感じて、余計に嫌いになっていった」
彼女の顔には無が張りついている。
「そんなとき、君に出会った。私よりも最悪な表情をした君に。話しているうちに私と君は同じタイプの生き物だって気づいて、独りじゃないことが嬉しかった。おかしいよね、自分から孤独を目指しておいて」
彼女はさらに言い募る。
「それから、君が余命宣告を受けたって聞いたとき、運命だと思った。この苦しさと無力感を、やっと共有できると思ったのに」
雫は蓮を睨んだ。彼は電車内で見た彼女の冷たい瞳を思い出した。
「死のうとしたのは本当、君がいたのは偶然。あそこで君と一緒に死ねるならそれでもよかったけど、君にそのつもりがなかったから。だったら少しでもこの孤独を埋めたかった」
彼女は布団を頭まで被り、絞りだすように呟く。
「……ねえ、君の残りの人生を全部、私にちょうだい。私のために生きてよ」
蓮は当惑し、言葉を探した。春を鬻ぐような、媚びを売るような声音が耳元を離れない。彼女が自分に何を求めているのかが解らず、何をしてあげられるのかも解らない。蓮は自身の無価値を呪った。
雫は布団の中で大きく首を振る。
「でも、私のめんどくさいわがままに巻き込むのはここまで」
「雫さん、僕は」
「いいからもう帰って!」
蓮の声を遮って言う。彼は雫からの拒絶に従うほかになかった。
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