第6話 草原での出会い
乗馬を小一時間ほど楽しみ、僕はヘトヘトになりながらもスッキリした気持ちになった。
燐太郎から聞かされた不快な話も情報の一つとして整理できる程度には。
大掛かりなアンガーコントロールだと思う。
「SNSで苛立った心をVRで癒すなんて、リアルが不足してるよな。現代っ子らしい」
と、自嘲しながらゆっくりと返却受付に向かって馬を歩かせていた。
すると、
「きゃああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! わ〜〜〜〜〜〜〜っ! 止まって! お願いだから止まって〜〜〜〜〜!!」
と間の抜けた必死な声が耳に入った。
声の方角に目をやると、鞍と手綱を必死で掴みながら落馬しかけている女をぶら下げた馬が気ままに走っているのが見えた。
「いやああああああ! 落ちる! 落ちる! 死んじゃううううううっ!!」
死ぬわけがない。
Arcadia Shift Engineの星々はそれぞれ環境設定も行うことができるが、リアルで死ぬような設定は決してできない。
このダービースターもリアルな乗馬体験のために感覚値はリアルとほぼ同様であるが、痛覚はアブソーバーが効いているため馬から落ちて地面に叩きつけられても分厚いウレタンの上に落ちるくらいの衝撃で済む。
その辺の事情を分かっていないあたり素人なんだろうな。
「すまないが、人間の不始末を片付けるのを手伝ってくれ」
僕がそう頼むと、馬はヒヒーン、と応えてくれた。
「あああ〜〜〜〜〜っ!! もう無理! ダメ! こんなVRゲームの中で死んじゃうなんて————」
「昔の小説の読みすぎだよ、おねえさん」
彼女の馬と並走しながら僕はずり落ちかけている女性の腰に片手を回すとそのまま引き抜くようにして、僕の鞍の前に載せかえた。
「キャアア————えっ!?」
急に視点が安定し、呆気に取られたような声を出した彼女は、ふと僕の方に振り向く。
多少乱れてはいたが長くしなやかな黒髪を風にたなびかせたその姿は紛うことなき美女で、僕はドキリとした。
VR空間で使用するアバターは自在に作り変えることができるので美醜の調整も思い通りではあるのだが、とてもセンスがいい。
有り体に言えば僕の好みの美女だ。
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。随分、スリリングな乗馬の楽しみ方をされるようで」
と、揶揄ってやると彼女は顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ち、違うんですよ! あの馬がちょっとムチで叩いたくらいで暴れ出したせいであんな目に遭わされていただけで!」
「レース場でもない平原でいきなり鞭叩かれても何していいか分からなかったから暴れたんだよ。君に鞭で叩かれて喜ぶのは彼氏だけだ」
「なっ……! なんなんですか!? セクハラですよ! 助けたからってなんでも言っていいと思わないでください!! ピンク頭! 不良!」
「ピンク頭の不良……それこそルッキズムだろう。これはレトロなロックスターのイメージで……まあ、僕はアルカディアにいる時はありのままの自分でいるよう心掛けているからね。軽口が過ぎるのは悪癖だと自覚しているよ」
フフン、とキザったらしく鼻を鳴らしてみせた。
実際、僕が完全に素になるとこんな洒落臭い男になってしまう。
芸能界なんて特殊な世界で幼少期を過ごした上に、あの騒動で心ない誹謗中傷の制圧射撃をくらって、ブラックジョークなしに喋れない英国人に揉まれて暮らした成果物だ。
母親や燐太郎の前でもこんなに素を出したりしない。
VRの誰も僕を知らない世界だからやれる遊びだ。
「やっぱり……こういう世界に入り浸っている人は性格が悪いですね!」
「女性なんだから鏡持ち歩いてない? VRとはいえ初対面の人間に出会い頭で『性格悪い』はなかなか言えないぜ」
「私はリアルでもこういう性格です! アルカディアに来たのだって、別にVRゲームをやりたかったわけじゃなくて人生経験の一つとして」
「ああ、そうかい。だったらいい経験になったな。馬を鞭でしばくと、性格の悪いピンク頭の不良に嫌味を言われる」
ぐぬぬ……と声が聞こえそうなくらい彼女は唇をつぐんで大きな目で僕を睨みつけた。
広大なアルカディアの中で同じ人と再会する確率は大都会で知り合いと出くわすよりも難しい。
こういう一期一会の関係だからこそ、できるコミュニケーションというものがある。
「まあ、助けてやった代金分くらいは揶揄わせてもらったかな」
「ええ! じゃあこれで貸し借り無しですね!」
と言って彼女は僕の馬から降りると自分の馬に向かって行ったが、当然馬は彼女に警戒心を抱いており逃げ続ける。
「ありゃダメだな。完全に君のことを怖がってる」
「そんなぁ……返しに行けないじゃない」
途方に暮れている彼女だが、時間が経って強制ログアウトされればレンタルされている馬は自動的に返却される。
とはいえ、それを教えるのもせっかくのVR体験に水を差すようなものだろう。
安全設計とはいえ、システムが介在していることを意識してしまうと急に没入感は薄れる。
Arcadia Shift Engineは利便性よりも没入感を優先しており、「ステータスオープン」と叫んで空中にパネルが出てくるようなことはなく、フレンド登録しても相手がログイン状況や居場所が分かったりはしない。
その面倒さがここで起こる体験にリアルな感触を与えてくれているように思える。
だから、僕がこの面倒ごとに首を突っ込むのも体験を求めてのことだ。
「ピィーーーーーーーーッ!」
と僕が指笛を吹くと、彼女から逃げ回っていた馬が脚を止めて僕の方を振り向いた。
馬に乗ったまま近づき、彼の首を撫でて敵意がないことを示してから乗り移った。
「どうどうどう、ハイ、どうどう」
柔らかく体を叩きながら彼との距離感を測った。
おそらく無課金の馬なんだろうが従順でいい子みたいだ。
数分の間、彼の望むまま歩かせてやったら僕のことを信用したみたいだ。
「うん。これでよし、と。この子は僕が連れて帰るから、君は僕の馬に乗ってついてきな」
「え……いいの?」
「いいよ。僕も上がろうと思っていたところだ。ビギナーに優しくない界隈は廃れるのも早いって言うしね。人生体験、しに来たんだろ。馬に振り落とされかけて終わりじゃつまらないでしょ」
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