Delftia

ナベッチ

プロローグ

 人類が銀河系外へ進出する技術を得て、西暦が開拓歴へと切り替わった頃には、星間航行はすでに富裕層の娯楽と化していた。

地球では企業の権力が国家を上回り、利益のみを求めた戦争が世界中で勃発した――後に「企業大戦」と呼ばれる戦争だ。


 戦後、世界を支配したのは、日本の『神門(みかど)財団』とアメリカの『レインハート社』。

両社は次なる戦争に備え、資源確保を目的として銀河系外の資源惑星へと探査隊を派遣していた。


開拓歴百年十二月。


 神門財団が保有する資源惑星LV459(通称:『黄泉』)


 多種多様な鉱物資源とエネルギーを産出する、この重要な惑星から通信が途絶えて数日後――。


 神門財団の私設部隊、α部隊『紅雀』が調査のため派遣された。しかし間もなく、彼らの母艦『赤城』と共に消息を断つ。

紅雀の隊員は全員が百戦錬磨の猛者であり、隊長ヨランダ・ヴァースキ少佐は先の企業大戦において鬼神の如く敵を薙ぎ払う姿から『鮮血の氷魔女』と恐れられ、百年続いた企業大戦を一気に終焉へと導いた英雄の一人だった。

 状況を重く見た神門財団上層部は、β部隊『黒笠』を新鋭母艦『加賀』と共に派遣し、事態の調査と解決を命じた。



数週間前 ―― 地球・神門財団日本本社・同私設軍『荒覇吐(あらはばき)』司令官室


 司令官モニカ・ヴァースキ大将は、デスクに肘をつきながら深いため息を吐いていた。

目の前には、まっすぐな眼差しでこちらを見つめる息子がいる。

普段は気が優しく、どこか抜けた息子が、失踪した姉を追って捜索任務に参加したいと言い出したのだ。

そもそも性格的に軍人にはおおよそ似つかわしくない息子が士官学校に入るのを、もっと強く止めておけばよかった。

しかし「姉さんの力になりたい」と勝手に入学するとは夢にも思わなかった。

入学試験も一流大学より遥かに高い倍率だったのに、何故か一回で合格した時には目を疑ったものだ。

卒業したての新品士官など、実戦では足手まといになるに決まっている。

何度も却下したが、ミハイルは毎日司令官室に押しかけ、しつこく食い下がった。

モニカの胸には、一人の母親としての恐怖が渦巻いていた。

戦争で夫を失い、今は娘も行方不明。そして今、残された息子まで危険に晒そうとしている。

デスクの引き出しには、夫が最期に送ってきた家族写真のデータチップが入っている。

開くたびに胸が締め付けられるそれを、モニカは何度も何度も見返していた。


「母さん、お願いします」


ミハイルの声が震えていることに、モニカは気づいていた。

この子は怖いのだ。姉を失うことが。家族がまた一人欠けることが。

だからこそ、自ら危険に飛び込もうとしているのだ。

モニカは目を閉じた。

瞼の裏に浮かぶのは、幼い頃のミハイルとヨランダ。

姉の後ろを必死に追いかける弟。転んでも泣かずに立ち上がり、また走り出す小さな背中。

そして今、目の前にいるのは、あの時と同じ目をした青年だった。


「……ミハイル」


モニカの声が、かすかに震えた。


「いえ、ヴァースキ少尉を、本日付でβ部隊”黒笠”に配属する」


その言葉を口にした瞬間、モニカは自分の中で何かが崩れるのを感じた。

母親としての自分が、司令官としての自分に敗北した瞬間だった。


「やった! ありがとう母さん!」


ミハイルの顔に喜びが溢れる。

その無邪気な笑顔を見て、モニカの胸はさらに痛んだ。

この子は、これから向かう先がどれほど危険か、本当の意味ではまだ理解していない。


「『母さん』はやめなさい」


モニカは努めて冷静な声を作った。感情を押し殺し、軍人の顔を被る。


「ここではヴァースキ司令と呼びなさい」


「ありがとうございます、ヴァースキ司令閣下!」


ミハイルは姿勢を正し、敬礼した。

その凛とした姿に、モニカは亡き夫の面影を重ねる。

夫もこうして、最後の出撃前に同じように敬礼していた。

モニカは一瞬目を伏せ、込み上げる感情を押し込めた。

そして、コンソールに手を伸ばす。


「それと、貴官に見せておくものがある」


指が微かに震えていることを、モニカは必死に隠した。

コンソールを叩くと、空中にモニターが浮かび上がった。

映ったのは一人の女性――

雪のような白い肌、腰まで伸びる銀糸のような長髪。鋭い眼差し。

狼を思わせる凛とした顔立ちで、ミハイルとモニカに似ていた。


「姉さん!」


ミハイルの声が裏返った。

その反応に、モニカの心臓がきりりと痛む。

この映像を見せることが、どれほど残酷か分かっていた。

ヨランダが険しい表情で報告を始める。


『こちらα部隊”紅雀”隊長、ヨランダ・ヴァースキ少佐――』


娘の声を聞くたびに、モニカの胸は張り裂けそうになる。

この通信を受け取った日から、何度この映像を見返しただろう。

何度、娘の無事を祈っただろう。

ノイズが走る。


『緊急事態発生。衛星軌道上でLV459”黄泉”より砲撃。母艦”赤城”撃沈』


ミハイルの身体がわずかに強張った。

モニカはそれを見逃さなかった。

映像が乱れる。


『艦長以下クルー全員死亡。現在、我々α部隊のみLV459に到着』


音声に混線が始まる。

『採掘(ザッ)…誰も(ザッ)…いない。襲げ(ザッ)…まるで……至急救(ザッ)を――』

ぷつりと映像が途切れた。

司令官室には重い沈黙が落ちた。

ミハイルは唇を噛み締め、拳を強く握りしめている。

モニカはその様子を、母親の目で見つめていた。


「あの星には……何かある」


モニカの声は、もはや司令官のものではなかった。


「私達にも知らされていない、とても恐ろしい何かが」


喉の奥から絞り出すような声だった。

軍人として数え切れないほどの戦場を経験してきたモニカでさえ、この通信には得体の知れない恐怖を感じていた。


「それでも行くの?」


モニカは息子の目を見つめた。


「生きて帰って来られないかもしれないのよ」


声が震えた。もう軍司令官の仮面を被ることはできなかった。

そこにいたのは、ただ一人の母親。

家族を失うことを恐れる、一人の女性だった。

ミハイルは、その母の目をまっすぐに見返した。

そこには迷いはなかった。恐怖はあるだろう。しかし、決意がそれを上回っていた。


「大丈夫!」


ミハイルの声には、普段の彼からは想像できないほどの力強さがあった。


「必ず生きて姉さんを――いや、α部隊のみんなを助けてみせる!」


その瞬間、モニカは見た。

目の前にいるのはもう、あの小さな息子ではない。

一人の青年だった。一人の軍人だった。

モニカの目に、涙が滲んだ。

しかし彼女はそれを決して流さなかった。ただ、小さく頷いた。


「……分かったわ」


モニカは立ち上がり、デスクを回ってミハイルの前に立った。

そして、軍人としてではなく、母親として、息子の肩に手を置いた。


「必ず、二人とも無事で帰ってきなさい」


その言葉には、命令ではなく、祈りが込められていた。


「はい」


ミハイルは力強く頷いた。

その姿は、若き日の夫を思い起こさせた。

頼もしくも、少し寂しいような感覚が胸を過った。

モニカは息子を抱きしめたい衝動を必死に堪え、ただ静かに肩を叩いた。


「行きなさい、ヴァースキ少尉」


「はい、ヴァースキ司令閣下」


ミハイルは敬礼し、司令官室を後にした。

一人残されたモニカは、窓の外に広がる夜景を見つめた。

デスクの引き出しから、夫の写真データチップを取り出す。

ホログラムに浮かび上がる家族の笑顔。


「……お願い、どうか二人を守って」


誰に祈るでもなく、モニカは呟いた。

初めて、一筋の涙が頬を伝った。



現在 ―― 新鋭母艦『加賀』船内

ボクの名はミハイル・ヴァースキ少尉。

あの日から数週間が経った。今、ボクは母艦『加賀』の船内にいる。行方不明になった姉を探すために――。



 「…い。…少尉。ヴァースキ少尉!」


 女性の声と共に身体を激しく揺らされ、ミハイルは夢の微睡から引き戻された。


「あ……ふぉえ?」


 気の抜けた声を漏らしながら、死人がゆっくり蘇るようにのそりと身を起こす。


 ここは士官用の個室だ。質素なテーブル、ベッド、トイレと一体のシャワーボックス、無機質なロッカー。

 大きな窓の外には深い闇が広がり、無数の星々が存在を主張するように瞬いていた。


 ミハイルは、やや細身で鍛えられた若者で、幼さの残る顔立ちが特徴的だった。寝癖のついた黒髪は、ひと目で寝起きとわかる。パジャマの上着がずれて肩が露出した姿は、軍人らしさとは程遠いが、どこか憎めない雰囲気があった。


 二十歳の彼、ミハイル・ヴァースキ少尉は、士官学校を卒業したばかりだ。失踪した姉を追い、神門財団私設軍司令官である母を必死に説得し、半ば強引にβ部隊への配属を勝ち取った。


 眠たげなアイスブルーの瞳をこすりながら、ミハイルは目の前の人物を見た。

 そこには、ミハイルとは対照的に、シワ一つない軍服を着こなす女性が立っていた。

整った顔立ち。後ろで束ねた黒髪。歳は三十ニ。

身長180センチの長身で、ミハイルとは頭一つ分背が高い。

横長の三白眼が呆れたようにミハイルを見下ろしていた。


「おはようございます、鈴原軍曹ぉ」


 ミハイルは気の抜けた声で挨拶した。


「『おはようございます』ではありません。もう時間は過ぎています」


 鈴原楓(すずはら かえで)軍曹は深いため息をつく。

彼女は、実戦経験ゼロの新人士官であるミハイルに付けられた“お目付役”だった。


「あっ! やっちゃった!」


 立体映像の時計を見た途端、ミハイルは側に楓がいるにも関わらず慌ててパジャマを脱ぎ始める。


「おっかしいなぁ。アラームはちゃんと設定したはずなのに」


 楓は、首を傾げながらズボンを脱ぎ始めたミハイルを見てさらに深いため息をつき、そのまま部屋を出て行った。



 軍服に着替え、髪を整えたミハイルは、テーブルの上の写真立てを手に取った。

 そこには幼いミハイルと、その肩を抱く勝ち気そうな女性――姉ヨランダが笑顔で写っていた。


「姉さん……」


 一瞬だけ曇った表情を見せるが、すぐ何かを決意したかのように鋭い顔つきになった。

それはさっきまで間の抜けた人物とは別人のようだった。


「お待たせです!」


 部屋から出てきたミハイルが気の抜けた表情で敬礼した。


「『お待たせです』ではありません……。本当に士官学校を卒業されたのですか?」

楓は呆れた顔で敬礼を返す。


「いやぁ、ボクってば朝弱くて。家でも姉さんに叩き起こされてました」


「士官学校にも起床時間はあったでしょうに…」


「それも毎朝ルームメイトに叩き起こされてましたぁ」


「…………はぁ」


 悪びれずテヘペロと舌を出して後頭部を掻きながら無邪気に笑うミハイルを横目に、楓は

「これから間違いなく面倒が増える」

と確信して、深い溜息をついた。

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