鍋焼きうどんと魔法使いと、
霖しのぐ
前編
ある年の一月某日。
国が認めたプロの魔法使い……国家魔法士である、
「うわっ! めちゃくちゃ積もってるじゃねえか」
昨日の夕方から降り始めた雪は、一晩かけて街全体を白く染めてあげてしまっていた。
自宅アパートの窓から顔を出した笹崎は空色の目を丸めて声を上げ、即座に窓を閉める。どおりで部屋が異様に寒いはずだと、雪景色のような銀色をした髪を少しだけ逆立たせた。
積雪は十センチと少しといったところか。温暖で雨の少ないこの土地では真冬に雪がちらつくことはあれど、こんなふうに積もるのは十年に一度といっても差し支えない出来事である。
仕事に行くために身支度を整え、使い魔を従えて外に出た笹崎の目に近所の子供たちが道路の雪をかき集めて大はしゃぎしている様子が飛び込んでくる。
一方、雪慣れしていない大人たちはと言えば白い絨毯の上で悪戦苦闘している。しかし、ホウキに乗って空を飛べる魔法使いには道路状況はあまり関係ないことが多い。いつもどおりホウキにまたがった笹崎は、薄灰色に染まった空を目指して地面を蹴った。
「あー、寒っ」
五分ほど飛んで自分の事務所に着いた笹崎は、寒さに歯を鳴らしながら年代物のストーブに魔法で火を入れ、上にヤカンを乗せる。茶を淹れるための湯を沸かすためだ。
もちろん魔法を使えば一瞬で沸かせるのだが、あえてじっくりと待つ。これが毎朝のルーティンだ。
「しかしなんだ……寒っ……としか言えねえな」
「……なあ、冬眠してもいいか?」
応接セットのソファーの上で、白いヘビがまるで雪玉になったかのようにきつくとぐろを巻き、ぼんやりとつぶやいた。瑠璃色の瞳からはすっかり覇気が消えている。
「おい、
「さむい……」
ストーブの中で火はあかあかと燃えているのに、部屋はなかなか温まらない。笹崎は両手を擦り合わせてから椅子の背に引っかけていた膝掛け毛布を取り、使い魔の白ヘビ……雪丸を包んでやる。
「ほら、コレでちょっとはマシだろ」
「うう、すまねえな」
まだ寒いのか、声が明らかに震えている。
「カイロ入れるか?」
「頼む……」
雪丸はヘビを素体にした使い魔だが、笹崎の魔力でコントロールされているので冬眠はしない。とはいえ元がヘビなので外気温が下がると体は辛くなるようで、最近は家でもストーブのそばから離れようとしなかった。
笹崎はカイロの包装を破き、身体に直接当たらないよう慎重に毛布の中に入れる。雪丸は特に反応しないが、身体が温まればいつものようにうるさいくらいに喋り出すだろう。
少しして、ヤカンの湯が沸いたのとほぼ同時に電話が鳴った。午前に予約を受けていた依頼人からで、雪道が怖くて車を動かせないのでキャンセルしたいという。こちらから出向くことを提案したが、雪で臨時休校になった子供も家にいて忙しいらしい。依頼は別日にリスケジュールし、気にしないように伝えて電話を切った。
パソコンを立ち上げると、メールでも別の依頼のキャンセルの連絡が入っていた。午前の仕事がまるっと飛んでしまったが、お天道様相手では仕方がない。予定が空いたら空いたでやることはある。
丁寧に淹れた茶を飲んで頭を切り替えた笹崎は、マスクとエプロン、手袋をつけた。大きな魔法を使う際の触媒に使う魔法薬を作成するためだ。材料をそれぞれ計量、粉砕して調合。これをまた計量して包装していく。魔法の精度に関わるので、全ての作業は慎重に、かつ丁寧に行う。
それを数種類ぶん行い、すべて終わったところで時計に目をやると、三時間経っていた。いつもは仕事が終わった後に深夜までかかって片付けている作業なので、少し得した気分になった。
「あー、腹減ったな」
ぼんやりと呟いて伸びをすると、腹の虫が小さく返事をする。
そうだ、ちょうど昼食時だ。笹崎はゆっくりと立ち上がると、窓辺に歩み寄った。
雑居ビルの三階からは白く染まった街の様子がよく見える。朝は止んでいた雪が再び降り始めており、視界を覆う白がどんどん濃くなっていった。
こんなに冷える日はアレに限るな……アルミ鍋入りの鍋焼きうどんを思い浮かべたのと同時に、ドアチャイムがコロンコロンと音を立てた。
もう来客の予定はないのだが、予約がなくても飛び込みで依頼が入ることもある。魔法管理局の職員が抜き打ちの検査でやってくることもある。
さて、いったい何かな? と、笹崎はマスクと手袋を外し調合室から顔を出す。目の前に立っていた人物はすべての予想に反していた。
「お、どうしたんだ?」
彼女は、小柄な身体を近所にある公立高校の制服とコートで包み、さらにマフラーをきっちりと巻いている。短い髪や小さな肩、大きな通学カバンにうっすらと雪を積らせたまま、行儀よく頭を下げた。
「お仕事中すみません。物置にちょっと忘れ物しちゃって」
笹崎が助手として雇っている
出勤日でもないのに事務所に顔を出したのは、琳が着替えや荷物置きに使っている物置部屋に、体操着が入った手提げ袋を忘れてしまったからしい。
「学校は? テスト期間とかか?」
「いや、午後は休校になっちゃったんです。雪が積もって、帰れなくなるといけないからって……」
「あの、もしかして自転車でこの道走ってきたんか?」
普段の琳は自転車通学だ。さすがに危ないのではと、笹崎は雪に覆われた路面を思い出して顔を青くする。
「今日は電車にしました。だいぶ歩きますけど、自転車に乗るよりはマシですし」
なるほど、とホッとする笹崎。しかし、学校から歩いてくる間に身体を冷やしたのか、琳の声は心なしか震えていた。
「寄ったついでに、何かあったかいもん飲んでけ。寒いだろ」
「……そうさせてもらいます。ありがとうございます」
笹崎は琳のカップを洗いかごから取り出すとティーバッグを放り込み、ストーブの上のヤカンから湯をドボドボと注ぐ。戸棚からシュガーポットを取り出した琳は、不自然に動きを止めた。
次の瞬間。ぐるるるる、と獣が唸る声のようなものが事務所中に響く。
「ん? なんだ今の」
笹崎が思わずソファーの方を振り返ると、雪丸も音を聞きつけたのか、丸まった毛布の中からニョロリと顔を出した。
「なんだよ
「いや、お前んじゃないのか」
「ヘビの腹は鳴らない」
「……そうなんか?」
「いや、知らんけど。とにかく、オレは別に腹は減ってないぞ」
「そうか。そうだよな」
使い魔であるため、特殊な体質のヘビ。朝にいつも通り好物のリンゴに食らいついている。今日はそれ以上の食事は必要としない。
じゃあ……? と、じっと見つめあう一人と一匹。
「私です!! すみませんっ!!」
琳が腹を押さえたまま、まさにリンゴのように顔を赤くして叫んだ。
事務所の中に、静寂が落ちた。
……生きていれば、当然腹は減る。自然なことなのだから別に気にする必要はないと笹崎は思ったが、年頃の娘は考えが違ったようだ。
琳はこの寒さの中でも青々と茂っている
「なあ、今から昼メシ作って食おうとしてたんだが、閑林くんも食っていくか?」
すっかり巣篭もりの小動物のようになってしまった琳に笹崎が呼びかける。
「……そんな、大丈夫です。ごめんなさい。今すぐ帰りますから」
やはり、帰ってきたのは蚊の鳴くような声だった。笹崎は諦めずに続ける。
「まあまあ。こんな寒いのに、腹へりで外歩くのは悲しいだろ。鍋焼きうどんでよければご馳走するぞ」
「……うう、とっても嬉しいんですけど、早く帰らないと電車止まっちゃうかもしれませんし」
少し態度を軟化させた琳はようやく立ち上がり、心配そうな顔で窓に目をやった。雪は相変わらず降り続いていて、さらに強さを増しているように見える。
この土地では何もかもが雪慣れしていない。琳の言うように電車が止まってしまうのも時間の問題かもしれない。道路状況が悪い中歩いて帰るとなると、二、三時間はかかってしまうだろう。
でも、ホウキに乗れる魔法使いならば。
「ああ、それなら俺のホウキに乗ってけばいい。午後は仕入れに行くつもりだから、ついでに家まで送っていくぞ」
「えっ」
こちらを向いた琳が目を丸く剥いている。
――笹崎は、ここでようやく自分が失言をしたことに気がついた。
笹崎のホウキは二人乗りもできる大型のものに買い替えたばかりで、ホウキで旅客運送できる免許も一応持っている。だから、人を後ろに乗せて飛ぶこと自体になんの問題もない。
しかし、ホウキで二人乗りをするためには、自転車やバイクと同じように身体を密着させる必要がある。専用の安全器具があれば距離を取れるのだが、笹崎は客を乗せて飛ぶ仕事は今のところ受けていないので持っていない。
五つも年下でかつ未成年の琳に対して、別にやましい気持ちなどない。しかし小さくても女性は女性。血縁でもなければ、ましてや交際しているわけでもない。雇用主と従業員、もしくは知人同士、くらいの距離だ。
「いや、俺と二人乗りが……嫌でなければ……まあ、だから無理にとは……なんかごめんな」
友達に声かけるんとは違う。笹崎は、じっと黙ったままの琳に向かって恐る恐る補足した。
それでも頭の中には、セクハラ、パワハラ、事案、通報、お縄と次々不穏な言葉が浮かんでくる。笹崎の胃が空腹とは別の意味でひりつき始めたところで、琳が固く巻きつけていたマフラーをとり、どんぐりのように茶色い目を輝かせた。
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