第16話 完済された200万と、女帝が与える「首輪の緩め方」

【カイの視点】

 K&Rソリューションズ設立から3ヶ月。

 俺は、いつものスイートルームで、エリナの前にタブレットを差し出した。


「……見た通りだ。KPIは達成した」


 画面には、俺の個人資産状況が表示されている。


 『Debt(負債):0 JPY』  『Wallet Asset:45,000 USDT(約670万円)』


 かつて俺を縛り付けていた200万円の損害賠償債務。

 働くほど増えていったあの呪いの数字は、インフラ調査で稼いだドルの、ほんの一部を切り崩すだけできれいに消滅した。

 俺はもう、借金まみれの個人事業主ではない。


「……悪くないわね」


 エリナはグラスを揺らしながら、画面を一瞥しただけで言った。

 驚きはない。

 彼女にとっては、俺がここまで這い上がってくることは「既定路線(シナリオ通り)」だったのだろう。


「これで俺は自由か? それとも、クビか?」


 俺が尋ねると、彼女はふっと笑い、手元の書類を破り捨てた。

 俺の借用書だ。


「おめでとう。これで貴方は自由よ、カイ」

「……そうか」

「でも、これからどうするの?」


 エリナは試すような目で俺を見た。

 俺はポケットの中の黒いスマホ(G-Scan)を握りしめた。

 自由? 今さら日本の泥沼に戻って、コオロギを食う生活に戻れというのか?

 俺はもう、ドルの味と、世界の裏側を見る興奮を知ってしまった。


「……いや。俺の居場所はここだ」

「賢い子」


 エリナは立ち上がり、俺の前に立った。

 シャネルの香水が鼻をくすぐる。


「KPI達成のご褒美をあげるわ」


 彼女は俺のネクタイに指をかけ、ゆっくりと引き寄せた。


「今日は『英語のレッスン』はなしよ」

「……え?」

「貴方の拙い発音を聞くのは飽きたわ。今夜は……日本語で愛してあげる」


 それは、彼女が初めて見せる「隙」だった。

 常に完璧で、冷徹な管理者である彼女が、俺に対して「女」を見せることを許したのだ。


 いつもなら俺が一方的に奉仕し、彼女は冷たく採点するだけだった。

 だが今夜は違う。


 彼女の指が、俺の背中の古傷(現場仕事でついた傷)をなぞる。


「……いい身体になったわね。泥臭さが消えて、獣の匂いがする」


 彼女の唇が重なる。

 それは命令でも、支配でもない。互いの存在を確かめ合うような、深く、熱い口づけだった。


「カイ。貴方は素晴らしい『ペット』よ」


 彼女は吐息混じりに囁いた。


「でも、これからは私の『右腕』にもなってもらうわ。……借金は消えたけれど、もっと重い鎖で繋いであげる」


 彼女はサイドテーブルから、新しいカードキーを取り出した。


「これは?」

「ウォレットの『出金制限解除キー』よ」


 俺は息を呑んだ。

 これまで彼女に管理されていた、数万ドルの資産。

 それが今、完全に俺の自由になる。


「好きに使いなさい。もっといいスーツを買うもよし、レンにもっといい機材を買い与えるもよし。……逃亡資金にしてもいいわよ?」

「逃げるわけないだろ」


 俺はカードキーを放り出し、彼女を抱きしめた。

 金などどうでもいい。今、俺が欲しいのは、この冷たくて熱い女帝だけだ。


「……証明してみせて」


【翌朝:新たな辞令】

 気怠い朝

 ルームサービスの朝食(本物の卵料理)を食べながら、エリナはビジネスモードに戻っていた。


「さて、マネージャー。休暇は終わりよ」


 彼女は新しい地図データを俺のスマホに転送した。

 そこには、これまで空白だった「東京湾岸エリア」に、一つだけ深紅のピンが立っていた。


「次のターゲットよ」

「……ここは?」


 エリナはニヤリと笑った。


「貴方がマネージャーになったから、アクセス権限(クリアランス)が降りたわ。……行きなさい。そこに」


 俺はコーヒーを飲み干した。

 ご褒美の時間は終わりだ。


「了解、ボス。……骨までしゃぶり尽くしてくる」




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