自分が愛されてこないと、なかなか人を愛せないよね……愛着障害と子供

 障害者だけでなく、まだ十八に満たない障害児についても、時々相談が来る。


 今回は児童相談所からだ。


「小学校高学年に入り、施設から家庭復帰をした女の子なのですが、お母さんとの関係がぎこちなくて」


「ぎこちない? どうなって欲しいんです?」


「お母さんの前だと表情がなく、動きもぎくしゃくなんです。施設では元気だったので、放課後等デイサービスに通って、お母さんと離れている時間を作ってあげたいんです」


 放課後等デイサービス。六歳以上の障害児が通いながら、社会性を身に着けたり勉強をしたりと。様々な活動をしながら過ごす場所だ。


「それはわかりますが、お母さんと娘さんの関係性修復のために、母子カウンセリングは行ってないんですか?」


「お母さんは毎日仕事をしていて、お子さん四人の子育てをがんばっています。児相に来る時間を作るのも、難しそうで」


 色々と事情を聞いていく。


 わかったこと。母は二度の離婚と、最後の旦那とは死別。離婚した一人目の旦那との間に、上の子二人を出産。上の子二人は共に高校生の男女。離婚した二人目の旦那との間に、下の子二人を出産。下の子二人は共に小学生の男女。保護されたのは、一番下の子だけらしい。


 そこで思った。


 おかしくね?


「その子のお兄ちゃんも、小学生ですよね。彼はなんで保護されないんですか?」


「その女の子、Bちゃんは別れた旦那に似ていて、どうしても愛し辛いんだと……。でも、上のお兄ちゃんは甘え上手で可愛がっているみたいです」


 納得のいくような、いかないような返答だった。


 釈然としないながらも、面談を行うことにした。





 後日女性の部下と共に、児童相談所で件の母娘と面談となった。


 先に話をしていた、児相職員は言った。


「やっぱりBちゃん、お母さんの前では感情を失くしてしまったようで。なんだかガラス玉みたいに虚ろな瞳をしています」


 それを聞いて、なんだか悲しくなる。まだ小学生でそんな表情をしなければいけない事情は、やはり辛いもんだ。


 一体どんな子が来るのか。気を引き締めて待っていると、児相職員に連れられて、母とBちゃんが部屋に入ってきた。


「初めまして。遠藤と申します」


「Bの母のCです。すいません、こんな姿で」


 Cさんは涙を隠さずに言う。握りしめたハンカチをしきりに目に当てて、零れる涙を拭っている。


 女性をアピールするような、胸元の空いたニットが、いやに印象的なCさん。


 子育てをがんばろうとしているが、どうしても娘と向き合えない。


 そうドクターに伝えた後に、うちとの面談というスケジュールだったことを、思い出した。


「……」


 母の横に座ったBちゃんは、確かに瞳は動かずに、硬質な人形を思わせた。


 けれど、言うほど虚ろな瞳かどうかは、疑問に思う。


 もし本当に感情を失うほどに、心が追い詰められているのならば、周囲の反応に一喜一憂はしない。


 わずかではあるが、目は泳いでいる。感情がないというより、強い緊張の方が近いように見える。


 疑問に思いながら観察をしていると、放課後等デイサービスの職員がやってきて、どんなところかと説明を始めた。


 その職員さんは、母親に向けて説明をしていた。


 母親への説明は必要だが、見せる相手はそっちだけじゃないだろ。


「もし通うとしたらBちゃんなので、彼女にも写真を見せて上げてください」


 俺が言うと「そうですよね」職員さんはBちゃんに活動写真を見せる。


 硬質な瞳は、わずかに色を持つ。注目の色。


 これは、と思い声をかける。


「もし気になることがあったら、指差してみて。そしたら、職員さんが説明をしてくれるよ」


 そう言うと、Bちゃんはおずおずと、写真を指差しだす。


「これはデイで夏祭りをやった写真ですね」


 職員さんの説明を聞き流しつつ、やっぱり、と確信が生まれる。


 Bちゃんはまだ、感情を失うほど追い詰められていない。ちゃんと自分の興味のあることを示せる。


 じゃあなんで、Cさんとこんなにぎこちないのだろうか?


 リズミカルに写真を指差しするBちゃんを見ながら、疑問をこねくり回していた。





 一通り面談が終わり、Cさんから放課後等デイサービスを利用したいと希望を得られた。


 Cさんと放課デイの職員は帰り、Bちゃんは別室でご飯を食べていた。


 児相の職員から、全体の家族構成などの情報を得る。


 すると、この家族の生き辛さが浮き彫りとなる情報があった。


「……Cさんのお姉さん自死、されているんですね」


「ええ。そうみたいです」


「それと、Cさんのお母様、統合失調症持ちなんですね」


 統合失調症。幻覚や妄想に苛まれたり、物事の繋がりを正しく認識できなくなったりする病気。


 自分は「天皇の血筋」だとか「カメラが家に中にあって盗撮されている」とか、突拍子もないことを言い出す人もいる。


 想像する。Cさんが送ってきたであろう人生を。


 病気が悪いわけではない。けれど、精神状態が不安定な母親と、しばしばぶつかる場面はあっただろう。


 少なくとも、親族が自死を選ぶほどに、辛い境遇にあった可能性がある。


 そうだとは思いたくないけど、裏付けを得るために、児相職員に尋ねる。


「Cさんはもしかしたらですけど、とも、うまくいってないんじゃないですか?」


「今はそうでもないですけど、まだ小っちゃい時は、うまく接することができなかったみたいです」


 ああなるほど。確信してしまった。


 Cさんの、健気さを見せるように涙ぐむ姿。児童相談所に来るには疑問を抱く、胸元を強調するようなニット。


 Cさんはきっと、母である前になんだ。


 だから、異性の息子には甘く接することができる。息子であると同時に、恋人のような立ち位置。


 でも娘は違う。おそらく、自分が愛されるための敵に近いんだろう。きっと受けたかった愛情が足りないから、愛への渇望が今でも渦巻いている。


 担当している、他の若い女性利用者のことを思い出した。


 やっぱり同性の担当がいいと思い、俺が担当していたけれど、女性職員を連れて面談に行った。


 すると、二回ともすっぽかされた。


 で、もしやと思い、次は俺一人で行くと伝えたら、案の定会うことができた。


 良いか悪いかではなく、担当することが同性の方がいいパターンと、異性の方がいいパターンがある。


 ともあれ、自分が愛され足りないのに、自分が愛を与えるなんて、なかなかできないよね。


 家族との愛情形成。愛着をうまく結べずに、大人になってから感情のコントロールが不全だったりすることを、愛着障害と言ったりする。


 実はこういう人って、けっこう多い。


 どうしたもんかと悩んでいると、再び児相職員に呼ばれる。


「Bちゃんと、最後に会って行きます?」


「いいんですか?」


「ええ。すごいご機嫌なので。ぜひ会ってあげてください」


 ご機嫌って……さっきの姿からは想像つかんぞ。


 首を捻りつつ、Bちゃんの待つ部屋を開け放つ。


 そこにいたBちゃんは、腕を振りながら踊っていた。


 本当にご機嫌だった。


「あっ」


 Bちゃんは俺たちを発見し、声を上げたと思えば、積み木で出来た自動車に、爬虫類の人形を詰め始めた。


 何か言って欲しそうに、視線がチラチラと動く。


「上手にできてるね」


「うん。ママは?」


「ママはお仕事に行ったみたいだよ」


「そうなの? でもいるかもしれないから、ママを探しに行く!」


 そう行ってBちゃんは靴を履き始めたので、放っておくわけにもいかずに付いていくことにした。


 ここが児相でなければ、女子小学生へのストーカーおじさんの誕生である。チガウオレハヤッテナイ。


 部屋を一つ一つ探検し終わり、満足したBちゃんは元の部屋に戻っていった。


「私デイサービス行く」


 この家庭に対して、言いたいことはある。山ほどどころか、エベレストほどに。


 それでも、現時点で行うべきことは、ごちゃごちゃ意見を述べることじゃない。


 Bちゃんが楽しくいられる場所を増やし、信頼できて、愛してくれる人を増やすこと。


 愛が足りないなんて連鎖を、きちんと断ち切っていかねばならない。






「ちなみに、これからどうしたいのかって、Bちゃんは言ってたりします?」


 帰り際、児相職員に尋ねる。


 子供だからといって、意思表示を聞かない人もいるかもしれない。でもそれは違う。


 小さな子供だって、自分の人生を生きてきて、やりたいことと向き合っている。だから彼女が何を思っているのか、少しでもヒントを得たかった。


 児相の職員は、わずかに目を伏せる。思いのほか真剣な面持ちで向き直る。


「お母さんのことを、自由にしてあげたいって」


 その一言で、知りたくないことまでわかってしまった。


 Bちゃんが母といる時に、表情を動かさない理由。


 そして、俺たちだけの時は、あんなにはしゃいでいた理由。


 Bちゃんはわかっている。


 私が楽しそうにしていると、って。


 まだ小学生で、育っていくにはたくさんの愛情が必要。


 それでも、本当は大好きなお母さんに、悲しんで欲しくない。


 幼いながらの自己犠牲精神に、思わず涙が出そうになった。


 これはもう、幸せにしてあげなきゃいけない。


 ってかその考えは、もはや父親じゃねえかよ。


 セルフツッコミを入れつつ、涙目で児相を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る