障害と共に、生涯を送るのだ
遠藤孝祐
家族がちょーっとトリッキーな場合
おっす俺、遠藤。
障害があって生きづらさを抱えている方の相談にのることが
仕事柄、精神科の病院によくお邪魔する。忙しいと、一日三軒、精神科をはしごする。プライベートじゃぜってえやりたくない。
で、とある日。病院のワーカーさんという、相談員から連絡が入った。
「遠藤さん。ちょっと助けて欲しい人がいまして」
おっとりした彼女には珍しい、困った感が全開のトーン。
そもそも、助けて欲しいなんて言われる案件に、
だからちょっと、ワクワクしていた。
「ちなみに、どういった感じですか?」
「三十代男性で母親との関係が悪いです。ストレスのあまり
なるほど。全身を切ってるのに、やっぱりリスカって言うんだ。
「もう、死にたいってなっているので、なんとか障害の
確かに。家で過ごすことがストレスなら、原因から離れることは必要だ。
だがしかし、思ったことは言わねば。
「……今は治療を優先した方がいいんじゃ?」
「その通りです。でもお金がなくて入院が出来ないって家族に止められて」
家族が止めるほど困窮している。金の問題あり。でも、障害者手帳を持っているなら、医療費は無料のはず。
「手帳はご家族が手続きをしてるんですけど、まだ取れていなくて」
あー現状は制度の隙間にあるのか。
とはいえ、死にたいということは限界が近いはず。離れることは必要だけど、
更に聞くと、母親も精神科に通っており、機嫌が悪いと「あんたなんか産むんじゃなかった」と、キレながら包丁を向けてくるらしい。
そりゃ、病んで当然。むしろ、今までよくがんばってた。
命の危機レベルの話なので、明らかに困難ケース。しかも切迫性あり。
現時点での感想。
どうすりゃええねん。
そう思いながら、俺は言った。
「じゃあ来週、面談させてください」
とりあえず、会ってみないとわからない。
自分で助かりたいという気持ちを見つけられれば、なんとか手伝う方法はあるのだ。
面談当日は、病院で行わせてもらった。自宅でやるのがセオリーだけど、母親がいる前でまともに面談はできないだろうし。
祖母に連れられて本人がやってきた。
オーバーサイズのプリントパーカー。リスカ跡を隠すのに最適。隠す気持ちがあるなら、リスカは心配してアピールではない可能性あり。
「初めまして、遠藤と言います」
「初めまして、Aと言います」
ぎこちないが、ペコリと頭を下げていた。
この仕草だけで、わかる。不安と緊張はあるが、他者への対応に理解がある。つまり、社会性は養われている。きちんと支援ができそうで、少し安心。
で、話を聞いていく。声は小さいが、質問には的確な返答がある。
IQは平均以下と聞いてたけど、全然普通レベル。
「もしGHに入ることになったら、お母さんは追いかけて来ないですかね?」
子供がホームに入ったら「私も行こうかな」と戦慄の一言を放ったらしい。完全に虐待案件なので、追いかけられないようにしないと。
何気なく聞いた一言に、Aさんは困り顔で答えた。
「読めないんですよ。
うちの母親、トリッキーなんで」
「ぶはっ」
俺は吹き出した。
「トリッキーってなんなんですか」
「いやあ、そうとしか言えないんですよ」
トリッキーが刺さったことがわかったのか、Aさんはようやく顔を上げてくれた。少しだけ目が合う。
トリッキーという言葉を出す言語センス。相手に自分を知ってもらおうという、小さな試みだと感じた。少しだけ、自分を出すことが出来たんだ。
その勇気と言語センス、好きになった。
少し雰囲気が緩和したことで、GHの説明を行い、改めて入居の意思確認が取れた。
なので、まずは適したGHを探す必要あり。だがその前に、いくつか確認事項がある。
質問を重ねながら、調整することリストを、脳内で整理する。
「障害福祉サービスの利用は初めてです」
じゃあ、区役所の福祉課へ申請。と同時に虐待通報。あと、自宅で障害状態の調査はできないから、調査機関へ連れて行く日程を確保。
「母とはもう縁を切るつもりです。ただ、母が自分名義でカードを作って、未払い金があります。スマホは祖父名義です」
本人のみ生活保護申請。追ってこられないように、住民票非開示措置。スマホの名義変更に、銀行口座変更に、金額によっては法テラスへ相談し自己破産申告。
「母も同じ病院へ通っていることが心配なのと、GHに入っても、最初は療養に専念したいです」
母が追えないように、ある程度遠方のGH選定。通院先変更。
そしてまずは、安全な場所で安心な生活を手に入れること。リスカ跡は良くなっても、心の傷は中々消えない。もしかしたら、一生。
誰も支援者がいなかったことで、やることがてんこ盛りすぎる。ここまで何もかも未調整なのは、なかなかないケース。まあまあえぐくて、受けることは躊躇するケース。
でも本当に支援が必要な方って、こういうケースなはず。
「わかりました。Aさんが望む生活へ近づける、手伝いは行えます。ただ、そのために動くのはあくまでもご自身です。それでも、Aさんはうちと契約をされますか?」
Aさんは、しっかりと顔を上げていた。
GHの見学にAさんと同席する。場所はAさんの自宅と真反対の位置にした。これで母親も追って来られまい。
場所が遠いため、贅沢にも高速道路を利用する。というか、使わないとやってられない。
四日市
三つ連なった斜長橋である、名港トリトンに差し掛かる。
名古屋の海は工業の海なので、泳げないし濁っている。鳥取砂丘から見た日本海のような、幻想的な景色とは程遠い。
けれど、捨てたもんじゃない。
「左手をご覧下さい」
「……わあ」
Aさんから、感嘆の声が漏れる。
黒くうねる海の端々には、絨毯のように敷き詰められた、カラフルな物が並ぶ。輸入出された車が織りなすコントラストは、機械で出来た花畑のよう。
まるで怪物のような迫力を持った貿易船の数々に、群れを成して首を上げる、赤と白のコンテナクレーン。
世界へとつなぐ港の光景は、まるで怪獣大戦争のように見えなくもない。
「この景色、見たことあります?」
「いえ、初めてです」
このやりとりだけで、なんだか胸が痛む。
Aさんの人生において、楽しみなんてものは、あまり与えられなかった。
美しさに胸を躍らせる感性を持っていたとしても、満たされる環境になかった。
だからこそ、これからは人生を取り戻していく必要がある。
自分の人生を。
そしてGHの見学も済ませ、入居の希望も得られた。
もろもろの調整を行い、いよいよ引っ越し当日となる。
母親に見つかって刺されることも想定していたが、あっさりと引っ越しは行えた。
生活保護申請や住民票非開示措置を行うため、結局昼過ぎまでかかったけれど、最低限のことは終わらせた。
「ありがとうございました」
人生で一番書類を書いた日となり、ふらふらなままAさんは言う。
けれど、これはあくまで始まり。
母親がいない人生の始まり。どれだけ憎く恨んでいても、それまでは一緒に暮らしていた相手。
傷つけられて空いた穴には、確かに家族が埋まっていたはずなのだ。
寂しくて、また戻りたいという衝動は絶対に生まれる。わかっているからこそ、家族以外の温もりを、知ることができると良いかもしれない。
やることはやった。
これからやるのは、自分自身。
自分自身の人生を見つけられるように。
そう祈りながら、N-BOXが向かう先へと、俺は見送った。
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