シナの天使

 現実世界。

 片桐かたぎり染野そめの宅。


「狭いわね」

「男の一人暮らしなんて、こんなもんだ。まぁ、確かに車椅子が入るには狭いか……」


 新築ではあるのだが、アパートの一室。

 典型的な一LDK。

 一階の部屋だし階段もないから、その点の心配はないのだが、一言で言うとしていて、ルシフェルの目は入室からすぐ忙しなく動いた。


「洗濯物溜め過ぎ。台所含めた水場が汚い。照明の中で虫死んでるの放置してるの無理。部屋の角の埃が嫌。液晶画面の埃が嫌。机の上に書類が積み上がってるのとか無理。カッターとか鋏とか落ちるところに置いてないでしょうね――」

「姑か! わかってるよ! 今片付けようと思ってたよ! 徐々に片付けるから、少し我慢してくれ!」

「我慢なんてしない。シナはずっと我慢して来たの。これ以上我慢させるつもり? わかったら、さっさと全部片付けて」


 正論過ぎて反論出来ない。

 すぐさま食事にしようかと思ったが、染野は片付けを強制された。

 染野がルシフェルに手伝えと言いたそうにするが、視線をやるとすぐ。


「まぁ、シナにやらせる気? あなたが面倒を看ると言ったのに? まともに立てない子に自分の汚部屋を掃除させようなんて、とんでもない人よ。ねぇ、シナ?」

「誤解を生む発言をするな! 佐藤さとうに掃除はまだ早い! 俺が手伝って欲しいのはおまえだよ!」

「あら、私? いいけど……そうね。じゃあそこに要らない物を固めておいて。私が木っ端微塵にしてあげるから」

「よしわかった! おまえら動くな! ビジュエル!」

「……やむを得ないな」


 染野と染野の天使が掃除する光景を、シナは不思議そうに見ていた。


 何で物を移動させているんだろう。

 何で物を詰めているんだろう。

 何で窓を布で濡らしているんだろう。


 まぁ、埃を集めている理由はわかるけど。


「ん」

「どうしたの、シナ」

「ん」


 シナが指差す方に何かあるのかと飛んだルシフェルだが、部屋の角には埃しかない。

 だがシナは手を伸ばし、広げた手の上に乗せろと言うので、ルシフェルはとりあえず乗せてあげた。


「それはただの埃よ」


 わかってる。

 だって、


「シナ! 駄目! 吐き出して! ペッ、しなさい! ペッ!」

「ん?」

「出して! それは食べ物じゃないの!」

「……3、8、10、3、4」

「それは間違いなの……! 今までは食べさせられてたかもしれないけれど、本当は食べちゃいけないの……! お願い、吐き出して……お願い……お願いだから……!」


 ルシフェルが涙を流して訴えるので、シナもようやく埃を吐き出す。

 何でそんなにも泣いてしまっているのかは理解出来ていなかったけれど、自分が泣かせてしまった事だけは理解出来たので、シナは吐き出した埃を見せて。


「3、4、3」

「そう! そうよ! 出していいの! それでいいの! 埃は食べ物じゃないのよ!」


 この一連の流れは、染野も見ていた。

 介入なんて出来なかった。驚き過ぎて呆然としてしまっていた。


 シナの生活が異常だったのはわかっていたけれど、想像を絶していた。

 同時、今は亡きシナの両親に怒りが湧いた。


 埃を息子に食べさせるなんて、常軌を逸している。

 愛情の欠片も無かった事は、言うまでもない。

 にしたって限度があるだろう。十五年も生き地獄の中で生かして、一体何がしたかったんだ――いや、理由なんて、何であっても怒りが増すだけだ。

 とにかく許せない。許せるものか。


 同時、染野はルシフェルへの認識を改めた。


 ルシフェルは再度封印されないための一時凌ぎの手段の一つとして、シナを選んで力を与えたのだと考えていた。

 同情もしたのだろうが、そういう相手を選べば封印されにくいのだと考えての事かと思っていた。


 けれど違う。

 彼女は心の底からシナを思っていた。

 シナの身を案じて、シナの事を考えて、シナの心に寄り添っていた。


 でなければ、どうして泣けよう。

 愛が無ければ、無理矢理口をこじ開けて、埃を吐き出させただろう。

 だが彼女は言語理解の難しさもある中で、説得で吐き出すよう試みた。そして、成功させた。愛無くして、こんな事が出来ようか。

 これだけ真剣になって、涙して吐き出した彼を誉める事が出来ようか。


「これからいっぱい美味しい物を食べましょう、シナ……って訳で、さっさと掃除して! またシナが埃食べたらどうするの?!」

「わ、わかったよ……」


 よくわかった。


 堕天使ルシフェルは、染野らその他に関しては堕天使だ。

 だが、佐藤シナに対してだけは紛れもない天使なのだ。誰よりも優しい天使なのだ。


 神々に叛逆した堕天使も、元は天使。

 警戒する前に、一線を引く前に、彼女の事も、彼女が思うシナの事ももっとわかろうとすべきだった。理解しようとする姿勢になるべきだった。


 大人になると、嫌に先入観が働くから困る。

 経験値と言えば聞こえはいいけれど、自分の足を止めてしまうなら先入観など捨ててしまえばいい。そして今のこれは、捨てるべき先入観だ。


「料理とか、勉強しなきゃな……」

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