佐藤シナ、入学前に会議にかけられる
悪魔の実験を知っているだろうか。
現代に実在したローマ皇帝が提唱した実験だ。
幼い子供に言葉を教えぬまま育てたら、その子は何語を喋るのか。
皇帝は、原初の言葉たるヘブライ語を話すと言った。
そこで行われた実験が、五〇人の幼い捨て子を以下の条件下で育てるというもの。
目を見ない。
笑いかけない。
語りかけない。
泣いてもあやさない。
結果、子供はヘブライ語を話さなかった――どころか、一人として一年と経たずに死んで逝った。
生きる上で最低限の環境の下、必要な栄養は取っていた。なのに死んだ。
五〇人の子供達は、愛に飢えて死んだのだ。
愛情。優しさ。温もり。
人間が人間として育つには、少なからず人間の愛情が必要なのだ。
皇帝はこの研究を悪魔の実験として闇に屠り、二度と実行する事はなかった。
が、奇しくも数百年の時を経て、ここに成功例が現れる。
皆無であっただろう親の愛情の中、痛みと悲しみの中を生き延び、十五歳にまでなった子供。
彼が何語を喋るのか? そんなことはどうでもいい。
だが彼は知っていた。
どうやったら人が痛がるか。
どうやったら人が嫌がるか。
どうやったら人が苦しむか。
十五年間言われ続けて来た罵詈雑言を自分の名前と勘違いしていた青年は、人の嫌がる事、痛がる事を両親から教わった。
その様は、まるで――
「あれは悪魔の子です! 入学なんて許せば、一体どれだけの被害が出るか?!」
「落ち着いて下さい、レギンス先生。生徒相手に完膚なきまで叩きのめされてしまって、面子が保てないと焦っているのはわかりますが……」
「それはそ――じゃなくて! 彼、
他の教師も抗議し始める。
だがそんな騒々しい会議室の中、ゆっくりと挙手する男が一人。カミカと共に、シナを発見した中年教員だった。
「発言、よろしいでしょうか」
「
「レギンス先生含め、他教師の不安や不満は尤もな意見だと思いますが、その上で問わせて頂きたい。仮に彼を追い出すとして、堕天使はどうするおつもりですか」
その疑問に、誰も答えられなかった。
目の前の問題――佐藤シナの存在で若干霞んでしまったが、根本的な問題がまだ解決の糸口さえ見つかっていない事に、徐々に周囲が気付き始める。
「堕天使ルシフェルを制御する術は、我が校にはまだありません。しかしこう考えて頂きたい。佐藤シナという依り代が出来た事で、我々には三年間の猶予が出来た。我々で佐藤シナとルシフェルを監視し、管理する。その三年間で良くて再封印。最悪でも、佐藤シナにルシフェルを制御させる術を教えるのです」
「そんな事が出来るのか?」
「机上の空論だ!」
「ならおまえが面倒を見られるのか?!」
年季の入った先輩教師から、厳しいお言葉が飛んでくる。
だが染野は机を大きく叩き、力尽くで静寂を作り出した。
「あの堕天使が、彼の何処を気に入り、好み、力を授けるに至ったかは誰にもわかりません。ですが、少なくとも佐藤シナには良心的だ。誰も与えなかっただろう優しさや温もりというのを、彼女は彼に向けている。破壊や殺戮が世界に向いているより、これほど平和で安全な状況もないかと思います。そして……先ほどは最善を封印、最悪を制御としましたが、もしかしたら逆なのかもしれません」
「どういう事だ」
「わかりませんか」
学園長が声を上げる。
学園長は誰よりも早く染野の言いたい事を理解し、既に受け入れる姿勢を整えようとしていた。
「ルシフェルと彼を引き離す事が、寧ろ事態を最悪にする。そういう事です。無理矢理に契約を解き、再度封印に成功したとして、此度の封印が解けた時、堕天使がどのような邪神に変わり果てているか、想像が出来ますか。愛と憎悪は表裏一体。人生経験豊富な皆さんの事、思い当たる節はあるのではないですか?」
学園長の言葉に、特別子供を持つ教員が黙る。
自分達も自分の子供を育てる中、愛情を以て接しているつもりだが、それが彼らにとって愛情なのかどうかは彼ら次第。
故に考える。
自分達の子供を世界という規模にまで拡大した時、ルシフェルの封印が自分の子供、或いはその子孫にどのような影響を与えるか。
今行われている会議の議題は今現時点だけの問題ではない事を、再確認させられる。
「それに今、佐藤シナにはルシフェルしか居ません。皮肉な事に、彼のSOSを最初に聞きつけたのが、あの堕天使なのです。十五年間『死ね』と言われ続けた結果、自分の名前がシネだと思い込んでしまったあの青年には、彼女しかいないのです。故に私は、三年という短い期間だけでも見守り、育てますよ。彼に、堕天使なんかよりいい奴がいっぱいいるんだと、助けてあげられなくてごめんと、そう言ってやれるように、皆で尽くそうではありませんか」
「染野先生。今の発言に二言はありませんね?」
「天使の契約書にサインしても構いません」
数拍の沈黙。
すると、皆が待っていた圧が降って来た。
この場にはいないし出て来ない。
滅多に学校に姿を現さない学園長より上の存在。ホワイト・ノアの理事長である。
『
「畏まりました、理事長」
『この決定に異議のある者は、代替案を今すぐに掲示する事。三秒の無言を以て、この議題はこれにて終了とする』
3。
2。
1。
『では、片桐染野先生。佐藤シナと堕天使ルシフェルの事、頼みましたよ』
「はい」
「理事長、私から一つよろしいでしょうか」
『発言を許します』
「染野先生だけでは教師という立場上、目の届かないところもあるでしょう。そこで一人、クラスの生徒の中にも一人、監視を混ぜたいと思うのですが」
『具体的に、その生徒とは』
「はい。去年、
『わかりました。ですが、それは私の一存では決めかねます。当人と直接交渉し、説得する事。当人が断固拒否するようなら、無理強いしてはいけません。結果は、私に報告する事』
「畏まりました」
『この決定に異議のある者は、代替案を今すぐに掲示する事。三秒の無言を以て、この議題はこれにて終了とする』
3。
2。
1。
『では学園長。交渉は任せましたよ』
「はい」
『では、これにて……ホワイト・ノア教員会議を終了とします』
以上の経緯を以て、佐藤シナのホワイト・ノア入学が決定した。
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