第40話 懐かしのハンバーグと3女神の写真。妹との和解を果たした矢先に修羅場な予感の件


「……着いた」


 実家の玄関前で、湊は深呼吸した。手を後ろに組み、4秒かけてゆっくりと呼吸を繰り返す。

 大事な試合前に行う湊のルーティンだ。


 先日、湊は郵便受けに『会って話をしよう』と手紙を入れた。すると翌日には結からの返事が入っていた。


『早く帰るから、家で会ってもいい』


 そう手紙には書かれていた。そして、結が指定した日というのが、今日である。


 結とは、いまだにスマホでのやり取りができないでいる。心の距離を湊は感じていた。


 それでもこの2ヶ月、折に触れて結への手紙を送り続けた。

 一歩でも前に進むために。

 少しでも自分の思いを伝えるために。


 湊は親友たちに言ったのだ。諦めて立ち止まるなと。だから、自分も諦めるわけにはいかない。


 もう6月。今のマンスリーマンションに住んでいられる期間も、残り少なくなってきた。そろそろ、次の滞在先と荷物の保管先を見つけなければならないタイミングだ。


 事情を知った鋭理とその家族は、『居候してくれて構わない』と言ってくれた。

 だが、湊は固辞した。

 鋭理は、家族とのバランスを何より大事にしている。自分が割り込むことで、親友が大事にしているバランスを乱したくなかった。


 だから、確実に今日、成果を出す。

 プロ時代、大きな大会の決勝戦で味わったのと同じくらいの緊張感を湊は感じた。

 だが、不安や恐怖はない。

 今の彼には3人も親友がいる。彼女らが背中を押してくれる。それは間違いなく、湊の力になっていた。


 湊は意を決し、インターホンを押した。


「どうぞ」


 すぐに、結の返事があった。短く、どこか他人行儀な口調だ。

 玄関扉を開け、中に入る。綺麗に揃えられた靴が一足だけある。


「ただいま」


 しばらくして、リビングの扉が開く。エプロン姿の結が現れると同時に、ふわりと良い匂いが漂ってきた。


 結は湊を見ると、すぐに視線を外した。口元がごにょごにょと動いている。


「今日、早く帰れたから」

「うん」

「食べてけば。ごはん」


 そう言って、リビングへと踵を返す。

 妹の姿がリビングに消える前に、湊は声を大にして言った。


「ただいま、結!」


 自分はやり直したい。だから戻ってきた――その思いを、ひと言の挨拶に込める。


 結が立ち止まる。

 しばらく無言の時間が続いた。


「おかえり」

「……!」


 妹の横顔が、確かにそう呟いた。小さな声で、囁くようだったけれど、確かに湊の耳に届いた。

 湊は、不覚にも涙が出そうなほど嬉しかった。


(結が、挨拶を返してくれた。これまでのことは、無駄じゃなかった……!)


「……なに玄関で突っ立ってるの。キモいから早く上がって」

「ああ!」

「あと手洗い、うがいね」

「相変わらずしっかりしているな」


 ふん、と顔を背けて、結はリビングに入っていった。ちらりと見えた耳の先が赤くなっていた。

 目尻を拭い、湊は洗面台へと向かう。子どもの頃と変わらないレイアウトが、なぜか妙に嬉しかった。


(ん?)


 ふと眉をひそめる。


 洗面台には歯ブラシやスキンケア用品が置かれていた。その量と種類を見て、どうも『ひとり分』しかないことに湊は気付いた。


(父さんたちの分は、どこだ? まさか)


 ――結はずっとひとりでこの家に?


 思わずリビングの方を振り返る。わずかに聞こえる食器の触れ合う音を聞き、湊は胸が詰まる思いがした。


 手洗いうがいを済ませて、リビングへと戻る。

 テーブルの上には、ふたり分の食事が並べられていた。初夏でもほのかに立ち上る湯気で、作りたてなのだとわかる。


 皿に盛り付けられているのは、迫力満点のチーズ載せハンバーグだった。

 また湊の涙腺が緩んだ。ハンバーグは双子兄妹共通の好物だったからだ。

 やや歪で、どっしりと重量感のあるサイズ。少しだけ焦げ目がついているのは、中まで火を通そうとして加減を間違えたためか。


 ちらりと結の席を見ると、彼女のハンバーグは普通サイズだった。


「……なにニヤニヤしてんのよ」

「悪い。泣きそう」

「何それ。さっさと座って」


 ぶっきらぼうに言う結。それから、湊の反応をうかがうように小声で付け加えた。


「苦かったら、ごめん。ちょっと焦がした」

「ありがたく、いただくよ」


 席に着き、「いただきます」と手を合わせる。結も「いただきます」と続けた。そんなささいなやり取りだけで、また泣きそうになる。


 ポテトサラダ、豆腐となめこの味噌汁、そして白ご飯。和洋折衷なメニューは、昔よく食べていた懐かしいものだ。


 ハンバーグをひとくち食べた途端、口の中に肉汁と、ほろりと崩れる肉の旨味、そして焦げ付いた表面のわずかな苦さが広がり、湊は俯いた。

 そっくりだった。子どもの頃、家族揃って食卓を囲んで食べた、あの味、あの食感と。


「ふぐっ……」

「もう。泣くなってば。こっちまでヘンな感じになるじゃん」

「悪い。何か、言いたいこと全部吹っ飛んだ。美味いよ、結」

「そ。……なら、まあ、よかった」


 ――それから20分ほどして、ふたりは少し早い夕食をほぼ同じタイミングで食べ終えた。

 その間、お互い口数は少なかった。湊は箸を動かすたびに「美味しい」と呟き、結は声をかけられるたび「黙って食べて」と繰り返した。

 冷たく突き放す感じはない。

 短い言葉を交わすたび、結の表情が少しずつ柔らかくなっていることに、湊は気付いていた。


 その後、結と並んで洗い物をした。


「……ん」

「おう」


 結が洗い、湊が拭く。ぎこちないながらも、結が歩み寄ろうとしていると感じ、湊は頬が緩んだ。


 最後の食器を洗い終えたとき、湊は意を決して尋ねた。


「父さんと母さんは? まだ帰らないのか?」

「……帰ってこない。今日。お金はあるから別に暮らしは問題ないけど」


 結が固い口調で答える。


 両親は共働きの会社員だ。それなりに高い役職に就いているらしく、昔から忙しくしていた。

 だが、ここ数年は少し様子が違った。

 きっかけは、数年前から両親が始めたボランティア活動だ。活動に従事するため、両親は次第に家を空けがちになっていたことを、湊は覚えている。

 ボランティアの詳しい内容を湊は知らない。おそらく、結も知らないだろう。


 湊が家を飛び出す前から、両親の顔を見る機会は減っていたが……まさか、現在も同じ状況だとは思わなかった。


(いや、むしろ……俺がいたときよりもひどくなっていないか?)


 洗面台の光景を思い出す。


(結。俺がいない間、ずっとひとりだったのか)


「結」

「……なに」

「俺な、家に戻ろうと思うんだ」

「ホント?」


 無意識に漏れた言葉だったらしい。双子兄妹はお互いに驚いた表情で顔を見合わせた。

 ハッと我に返った結が、視線を外す。


「じゃあ、約束は果たせたの? 親友を作って、私を安心させるってやつ」

「ああ」

「それなら証拠、出して」


 そう言われて、湊はスマホを取り出した。少し考えた後、以前、カフェで撮った4人の集合写真を見せる。


「彼女たちが、新しくできた親友たちだ。命を預け、過去を共有し、互いの大事なものを守り合える仲だと思っている」

「……」

「一番手前が久路刻暦深、その隣が冴島鋭理、向かいにいるのが千代田福音だ。3人ともクラスメイトなんだ。三者三様で個性的な連中だが、皆、良い奴ばかりだよ。きっと結とも仲良くなれる」


 興奮気味にまくし立てる湊。


 一方、結は写真をじっと見つめていた。スマホに穴が空くかと思うほど睨んでいた、と言った方が正確かもしれない。


「なにコレ」

「ん?」

「女の人ばっかじゃん。しかも、すんごい美人ばっかり。特になに、久路刻さん? めちゃくちゃな胸してるじゃん。え? ギャル?」

「めちゃくちゃって」


 予想外の反応に、湊は戸惑う。


「親友を作るなら、結とも仲良くできた方がいいと思ったんだ。暦深たちは同性で、しかも俺たちと同級生だ。だから――」

「もう下の名前で呼んでるんだ」

「そりゃあ、親友同士だからな」


 ふぅん、と答える結の口調には、さっきまでにはなかった冷たさがあった。まるで2ヶ月前に戻ったような感じだ。


 湊は焦った。

 このままではまずい。タイムリープ前と同じ過ちを繰り返してはダメだ。


「結、どうかこの家に戻ることを認めてくれないか。暦深たちのことは、いずれ親友にふさわしい子たちだってわかってもらえると思う。だが今はそれ以上に、ひとり暮らし状態のお前を放っておけないんだ。頼む」


 深く頭を下げる。


 結は腕を組んだ。指先で落ち着きなく二の腕を叩いていた。


「……もし、ダメって言ったら?」

「認めてもらうまで、何度でも話をしにくる。さしあたり、今住んでるマンスリーマンションは立ち退かなきゃいけないが」

「はぁ!? 立ち退きって、行く当てあんの!?」

「いや、まぁそれは……けど、今は俺のことよりお前のことが重要だ」

「……っ! まったく、そういうところは相変わらず!」


 憤然と言うと、結は腕組みを解いた。


「いいよ。戻ってきても」

「ほ、本当か!?」

「二度も言わせないでよ。それから、はい。これ、私の連絡先。いつまでも手紙じゃ不便でしょうがないじゃん」

「結……!」

「けど」


 指を突きつける。


「親友の件は、まだ認めたわけじゃないから」

「え?」

「だいたい、湊みたいな変態変人ゲーマーに女の子の知り合いができるなんてのが、そもそも怪しいのよ。そいつら、何か別のこと考えてるんじゃないの?」

「暦深も、鋭理も、福音も、そんなやつじゃないぞ。近いうちに連れてくるから、ちゃんと話せばきっとわかってもらえるって」

「イヤ。やめて。連れてきたら追い出す」

「えぇ……」


 結とは仲良くしてもらいたいのだが、と湊は天井を仰いだ。


 ただ、つんとそっぽを向く結の横顔は、かつて兄妹仲が良かった頃の拗ねた表情に見えて、湊は少しだけ肩の荷が下りた。


 こうして、湊は大きな課題を何とかひとつ、クリアしたのである。



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