オゾン生贄【短編集】
蒙昧無知
オゾン生贄
【テレビの音声】"小学生がなりたい仕事ランキング第1位はオゾン生贄です!"
「・・・翔ちゃんの仕事、凄い人気なんだなあ。昔はあんなに批判されていたのに、やっぱり、時代の変化かなあ。」
翔ちゃんとは、私の愛する夫である。彼の仕事は、誇るべき名誉オゾン生贄だ。学生時代から優秀な成績だった翔ちゃんは、皆の期待通りこの仕事に就いた。
オゾン生贄とはその名の通り、オゾン層に捧ぐ生贄のことである。沢山努力したエリートしかなる事の出来ない、とても名誉のある職種だ。
なぜそのような職業が生まれたのか。
それは、今から数年前のことで、地球温暖化が進んだ現代社会で。いよいよ人類が滅びる寸前となったあの日の、眩しい昼のこと。
突然に現れた、自身を「宇宙の神様」と名乗る有機体は、人類にこう告げた。
「毎年、地球の為に、賢く聡明な生贄を差し出しなさい。さすれば、お前たちの、破れかけたひとひらのオゾン層を完全に修復してやろう。
お前達が怯えることなく地球に住み続けられるよう、安全を確立してやろう。私には指先一つでそれが可能だ。」と。
そんな夢のような提案。蜘蛛の糸にでも縋りたかった人類は、これに嬉々として乗った。
当初反発の声も多く上がったが、神様が砂漠化した土地を、ものの一瞬で木々の生い茂る桃源郷に変えてしまってからは、すっかり消え失せた。
国の偉い人々は、これをひとつの職業、「オゾン生贄」と設定し、盛大にプロパガンダを打った。そしてすぐに、オゾン生贄の就職人気は世界ナンバーワンとなったのだ。これがあらまし。
そんな高校生の頃の苛烈な記憶を思い出しながら、私は自室からボールペンを探す。ものを書きたかったのだ。探しながら、付けっぱなしのテレビを横目で見る。
番組は、「オゾン生贄儀式直前スペシャル、小学生に将来の夢を聞いてみた!」だ。
そこに映る、インタビュー映像の子供たちは、星が飛び散るが如く目を輝かせていた。
小学生のひとりが、「僕はたくさん勉強をして、将来、絶対名誉オゾン生贄になるんだっ!」と豪語していた。まあなんてことない、日常の風景だなあと思う。
私たちの時代から教科書が一新して、オゾン生贄がどれだけ誇れる職業であるか、沢山教えられた。この子達もそうなのだろう。
見つけたボールペンを持って、広いテーブルへと向かった。椅子に腰掛けると、無造作に置かれたポケットティッシュが目に入る。先程便箋を買いに行った帰りに貰ったものだ。ポケットティッシュの背面には、オゾン生贄協会の広告が入っている。
日常生活で目にするオゾン生贄という文字は、挙げだしたらキリがなかった。私はそれに、本当に辟易していた。これは翔ちゃんにも言ったことがなかった秘密だけど、なんだか、戦前の日本のようだな、なんて考えてしまう。
でもね、そんなこと、絶対に言ってはいけない。この国の暗黙の了解である。
【テレビの音声】"いよいよ中継を開始します!儀式開始の時刻が迫ってまいりました!今年の素晴らしい生贄の皆様は───"
あ、もうすぐ翔ちゃんが映るかもしれない。翔ちゃん。私の、大好きなひと。高校生の頃からずっと付き合っていて、大学生の頃に学生結婚した。だって翔ちゃんは、順当にオゾン生贄に就職すると思っていたから。オゾン生贄に選ばれちゃったら、もう二度と会えないから。
翔ちゃんの稼いだ莫大なお給料で買ったこのマンションに、オゾン生贄事前講習で忙しかった翔ちゃんはほとんど帰らなかった。人の匂いのしない、真っ白な部屋だ。
寂しかった。冷えたベッドは寒いから、翔ちゃんの体温で温めて欲しかった。でも私にはそれを言う資格なんてなくて、稀に疲れた顔をして帰ってくる彼に、暖かなハグを要求する彼に、掠れた声で、精一杯愛してると伝えるしか出来なかった。
だって私は、高校生のあの時に、言えなかったから。翔ちゃんに、オゾン生贄なんて進路やめてよって言えなかったもの。意気地無し。言いたかったけど、どうしても、言えなかったのよ。
テレビを見ながら便箋に文字を綴っていると、画面に、翔ちゃんが映った。はっとして、食い入るように彼を見つめる。翔ちゃん、最後に会った時より、少し痩せたなあ。顔が、塾帰りの元気がない時みたいだ。
名誉生贄から、人類の皆さんに向けた最後のメッセージの時間が来た。五人いる名誉生贄の、端の方からひとりずつ、言葉を紡ぐ。
それが終わった生贄から、ロケット型搭乗機に乗り込んでいくのだ。
ひとり、ふたり、ついに、三番目。翔ちゃんの番だ。私は激しい動悸を抑えようと胸のシャツを掴む。頭が痛くて、おかしくなりそうだった。
カサカサの唇を翔ちゃんが動かす。
【翔ちゃん】"愛する地球の為、人類の為、私はこの身を捧げることが出来て幸せです。本当に幸せでした、私の人生は。
お父さん、お母さん、私を立派に育ててくれてありがとう。数多の誇りをこの胸に、今、行きます。
・・・ああ、妻に、あいたいです。アイツは、アイツはさあ、大学ん時から、いっつも電気つけっぱなしで寝るから、俺が消してやんなきゃ、いけなかったんだ。
これから、跳ね上がる、我が家の電気代が心残りですね。・・・・・学生の時から今でもずっと、変わらず君を愛しているよ。名誉生贄になるって分かってた上で、俺を選んでくれてありがとう。妻になってくれて、本当に、ありがとう。ああ、まだ、死にたくな───"
【アナウンサー】"只今音声に乱れが生じた様です。しばらくお待ちください。はい、インタビュー中継を再開いたします。"
【翔ちゃんの次の番の生贄の人】"今凄くワクワクしています!なぜって──"
思うのだ。こうして、後世に語るにはあまりに醜く、しがみついて生き長らえるくらいならば、あの時、神様なんて現れなければよかったのにと。
神様はなんて意地悪をしたのだと、今でも毎日夢を見るように思う。アンタなんて、永遠に引っ込んどけば良かったのに。
だって人類をあの時滅ぼしておかなかったのはあなたのただの気まぐれでしょう。あなたにとってこの地球は、所有する無数の実験施設の中のほんの一つでしかなくて、どんな結末に行こうが関係なく、気分の一つで簡単に消し飛ばしてしまえるんでしょう。
ならばいっそ消してくれればよかった。全部終わりにして欲しかった。私は、何も出来なかったけど、こんな狂った世界なんて、見たくなかった。繰り返す無意味に、終止符が欲しかった。
ロケットが、四散する様子、生中継、湧き上がる歓声、ひしゃげたお前。
移り変わる画面、笑顔の総理、ねじれるわたしの臓物、放り出したリモートコントローラー、抜け出す単三電池、滲むインク、ぐるり回転して震える脳みそ、頬に擦れる、冷たいカーペット達の手指。
しばらく、床から白の監獄を眺めていた。どれほどそうしていたかは分からないけれど、ふと、立ち上がって、テーブルに座り直す。続きを、震えるボールペンで綴る。
"─────そういうことですので、私は死のうと思います。翔ちゃんに、会えたらいいなあ。皆さん、今まで大変お世話になりました。"
そう手紙の最後を締めくくった。遺書を書いていたのだ。
書き終えた手紙を、折りたたんで封筒に入れ、ボールペンで大きく「遺書」と書き殴った。
翔ちゃんの遺産でこの狂ってしまった世界を生きても、嫌気が差してしょうがないから。天国があるか分からないけど、やっぱり翔ちゃんが好きだから。少しでも、希望を夢に見たい。
やっぱりなあ、オゾン生贄なんて進路、止めとくべきだったなあ。そんな後悔は口に出せなかった。
ずっと用意していた脚立に脚をかける。首元の12ミリ。来世ってあるのかなあ。でも、来世も狂ったままならば、こんな地球の地面を、二度と踏んでやるものかと思う。天国で翔ちゃんと再開するだけの、甘い夢を見たかった。
脚立を勢いよく蹴り飛ばす。
吸えない肺、宙ぶらりんの足、ムズムズ痒い歯、潰れる程に熱い顔、爆発しそうな脳みそ、ひたすらに圧迫感、飛び出しそうな両目、息ができない、胃酸が締まった喉でせき止められて、頭はゆるゆるぼやけていった。
来世なんて望まない。
あの人はもう、戻ってこない。
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