#987探偵事務所

Lutharia

オー・シャテーニュ

 ところで、身の回りになにやら、おかしな出来事があると思いませんか?



 いつも使っているコップから、際限なく水が溢れてきたり。


 ピザがいつもより硬いと思ったら、それが紙粘土だったり。


 犬がニャアと鳴き、猫がワンと笑ったように聞こえたり。


 あるいは、なくしてしまったネックレスを数週間探していたのに、結局自分が着用したままにしていた、だとか。



 または───ちょっと、見知らぬ人を見かけませんでしたか?


 あの、ピンク色の髪をした女の子のことです。シャーロック・ホームズのコスプレをした───そうそう。


 は、走っていきましたか。どちらへ?


 ああ〜、あっちに。わかりました。ありがとうございます。


 ん?ああ、なんで彼女を追っているか、?えっと、秘密です。すみません、ありがとうございました!



 ──────


 私が、店頭のブラックボードにメニューを書いていたときであった。


「…かっ、匿って!!十ユーロ出す。十五までなら出せる!だからさ、お願い、シルヴプレお願いします!!」


 突然のことだ。店を構えて以来こんな事は初めてだったのだが、まさか、戯曲やらなんやらのように、女性に“匿ってくれ”だなんて申し出られるとは。


「こちらへ。お代は結構。」

メルシありがとう!」


 カフェ・マチルダMatildaを開けてから、三十分ほどの話だった。つまり、朝の十時ほどのことである。

 シャテーニュ通りの朝は静かだ。開けた通りに白を基調とした石造りの建物。シャンゼリゼと違って静かなのはいいことだが、お店は見たところ、私と、いくつかの八百屋しかやっていない。つまりはお客も少なく───赤字経営も、悪くはない。

 だからこそ、サービスは熱心に尽くそうと思っているのだ。紳士たるもの、やはりこういう時はレディに優しく。

 彼女はすぐさまカフェの裏方に駆け込んだ。私はまた一人を救った。


 ということは、次に来たるは悪漢である。

 心構えをしておかねば───メガネと前髪を整え、胸を張って、店頭の椅子に座ると、程なくして、背高のスーツの、金髪の男がやってきたものだ。ただ、礼儀正しく、あまり悪そうな顔には見えない。まあ、こういうハンサムな男が彼女に暴力を振るう、なんてことはよくあるストーリーかもしれない。



 ──────



 私は明るく彼に手を振って、店に入り、Closeの看板を下ろして、ドアを閉めた。からんからんとベルが鳴る。


「行きましたよ。」


 ひょこっ、と顔を出す彼女は、胸をなで下ろしたようで、崩れるように床に座り込んだ。

 まだまだ幼すぎる。一人でここらを歩くには危険だ。


「…た、助かりました。」

「彼氏さんかい?」

「いや、違くて!えっと、えっと…」

「無理に答えなくても大丈夫。」


 どもどもと何やら焦っている彼女を制止する。あまり問い詰めるのも失礼なことだ。


「お好みのコーヒーは?」

「ら、ラテ…です…。」



 ………



「ごゆっくり。」


 エスプレッソを炊き、温かい牛乳とたっぷり混ぜる温かい飲み物。値段に含まれるのは光熱費と高騰した豆代、パリ代観光地ボーナス、抽出の手間。ただ、お代は要求しないつもりでいた。


「お、おいしい〜…」

「やっぱりフランス人のカフェはおいしいや。」


 すっかり安心したようである。

 茶色のタータンチェックのインバネスコート、千鳥格子の鹿追帽。


「さながら、シャーロック・ホームズですね。」

「そそ、探偵なんだ。探偵っていうか───って、」


 彼女は立ち上がり、テーブルから顔を乗り上げる。どしん。と、手をそこに突っ伏して。帽子が机の横に落ちた。

 気迫に押されるように、私は椅子を少し引いた。


「理由は言えないけど、命を狙われてるから、匿ってほしいの!」



「私、このままじゃ消されちゃうんだよ!!」

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