第3話 放課後の誘い
◆ Sクラス棟・最上階
銀の装飾が施された厚い扉が、静かに軋んだ。
カリグレア魔術学院、Sクラス専用棟──最上階。
床には光が反射し、整然と並ぶ机。
その静けさの中で、誰かが舌打ちした。
「なーにやってんだよ、ノア。
見学中に暴発とか、マジで勘弁してくれよ」
商家の御曹司、キース・ローゼンベルクが悪態をつく。
対面で座るノアは顔を伏せ、机の木目を見つめていた。
指先が微かに震えている。
「やめてやれよ」
隣で腕を組んだジーク・ヴァルフォアが低く言う。
「お前だって、暴発しかけたことあるだろ」
「……しかけただけで、したわけじゃない」
教室の隅の少女がそのやり取りを見ていた。
マリアン・アロイス。
黒髪の少女が頬杖をつき、窓の外に視線をやる。
「なーんか、見たことあるのよね。あの男。
どこでだったかしら……
従兄さまに聞いたほうがいいわね」
誰も返さない。
ただ、全員が同じ“あの男”を思い浮かべていた。
レオン・ヴァレント。
詠唱なしで魔術を切り裂いた新入り。
──“機械より冷たい人間”。
「レオンは、とっとと帰ったみたいだな」
エルマーが空席を見やる。
椅子の背には外套が掛けられたままだ。
「Eクラスにでも行ったんでしょ」
マリアンが軽く言った。
「は? Eクラス?」
ジークが眉をひそめる。
「なんでまたそんな最下層に」
「知らないの? よく行ってるみたいよ。女の子に会いに」
一瞬、空気が止まった。
「……はぁ?」
キースが間抜けな声を出す。
誰もすぐには笑えなかった。
Sクラスの者が、Eクラスの人間と関わる。
それはこの学院では、“下賎に堕ちる”に等しい。
「Eクラスって、今、元Sクラスのエリックもいるんだろ?」
ジークが呟く。
「どうなってんだよ、あのクラス……」
「さあね」
マリアンの唇が笑った。
だがその目は笑っていなかった。
***
◆ Eクラス棟
放課後のEクラス棟は、夕陽が差し込んでいた。
レオンは無言で歩いていた。
教室の外から中を覗くと、レナが帰り支度をしているのが見えた。
小柄な背中が、机の上の荷物をまとめている。
視線に気づいたのか、レナがぱっと顔を上げた。
そして、あからさまに焦った様子でカバンを掴み、
椅子をぶつけそうになりながら駆け寄ってくる。
「SクラスがEクラスに来たら……目立つってば。
だから言ったのに、門の前で待っててって……」
レオンは、わずかに眉を動かしただけだった。
「俺がどこにいようと、誰にも関係ないだろ」
「あるの! もう……ほんとに……」
レナが半ば呆れ、半ば困ったように溜息をつく。
その時、教室の奥から陽気な声が飛んできた。
「おーい、レナ! 放課後、みんなでカードゲームやろうぜー! 今日、新作持ってきたんだ!」
声の主──エリック・ハーヴィルが顔を出す。
その笑顔が、一瞬で固まった。
廊下のレオンと目が合う。
空気が凍る。
レオンの視線が、無音のままエリックを射抜いた。
青の瞳が冷たく光り、殺気とも取れる圧が廊下を満たす。
ほんの数秒、それだけで誰も動けなかった。
「……ご、ごめん。今日は無理かも」
レナが慌てて答える。
エリックは苦笑いを浮かべながらも、レオンから目を逸らさずに言った。
「……わかった。また誘うよ」
その声には、明らかに“牽制”が混じっていた。
レオンは一言も返さず、レナの手を取った。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って、まだ……」
レナの言葉は途中で掻き消えた。
二つの影が、廊下の向こうへと消えていった。
***
◆ 学院外・夕暮れの通り
学院の近くの魔術専門用品店。
店頭のワゴンには古い魔術書が乱雑に積み重なっていた。
「ちょっと寄っていっていい?」
レナがそう言ってレオンは頷き、二人は店内に入る。
棚にはずらりと魔術書が並んでいた。
魔術補助の道具が所狭しと置かれている。
「白魔石どこかなー? 授業で使うんだよね。……ん?」
レナはふと、ガラスケースに入っているほんの欠片ほどの赤魔石を見た。
それは鮮やかな赤色で、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。
「あれは……」
レナの表情が一気に曇っていく。
その時、店員がレナに気づく。
ガラスケースの下にある価格を見て、驚いているのだと店員は思ったようだった。
「いらっしゃいませ〜。あっ、値段に驚きました?
赤魔石は貴重ですからね〜。この赤魔石は光り方からして新しい物だと思いますよお〜」
店員が説明を始めて、レナは動揺しながら俯く。
「これさえあれば詠唱不要、誰でも高位魔術を撃てる。
ファウレス家の血に感謝ですねえ、命を代償に強力な兵器になってくれるんですから〜」
その様子をレオンは横目で見ていた。
「レナ、早く買い物をすませて外に出よう」
促されて、レナは白魔石を買うとすぐに店を出た。
「ご、ごめんね。私、すごく動揺してるよね。
赤魔石が売られることは頭では分かってたんだけど……。
あの輝き方からして……時期的にお母さん、じゃないかなって……。」
「別にいいよ。あの赤魔石、どうしたい? 手に入れたいのか?」
「そ、そういう訳じゃない。
きっと集めることは不可能だから。
ただ、見るのが辛いだけだよ。
自分の未来を突きつけられてるように思えるから」
「自分を重ねるなよ。あんな未来にはならない。俺がさせない」
レオンは静かに手を伸ばし、指先で彼女の髪をかすめた。
魔術用品店を出てレナは俯いて黙って歩く。
「レナ。この辺りに、美味いカフェがあるんだ。……よかったら行かないか」
レオンの声は、少しだけ優しかった。
それが、逆に怖いほどに。
「そ、そうだね。行きたいな」
彼の歩調に合わせながら、レナは思った。
──この穏やかさが、永遠に続けばいいのに。
けれど世界は、そんな願いを残酷に壊してしまうことも分かっていた。
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