第4話 起:一揆軍、人材確保
「白焔一揆だぁああ!!」
村人たちの怒号にも似た歓声が、夜空に吸い込まれていく。
アドレナリンが引いていくのを感じながら、私は深く息を吐き出した。
演説(プレゼン)は成功だ。株主(村人)たちの承認は得た。
だが、真の地獄はここからだ。
(……さて。勢いで会社を立ち上げたはいいが、資金も資材もゼロ。完全な自転車操業だな)
私は冷静な目で、熱狂する村人たちを見回した。
手に持っているのは錆びた鍬や鎌。防具は蓑(みの)や布切れ。これで正規軍と戦えば、3分で全滅(サービス終了)する。
精神論で腹は膨れないし、竹槍で銃弾は防げない。
必要なのは「運用」と「管理」。つまり、私の本職だ。
「ムラマサ、ヤヨイ。いつまでも泣いてるんじゃない」
私は二人の肩を叩き、現実に引き戻した。
「感傷に浸る時間は終わりだ。これより業務(タスク)を割り振る」
ヘッドハンティング(人材確保)
まず最初に確保すべきは「物資」だ。
私は記憶にあるマップ情報を頼りに、村はずれの古戦場跡へと足を向けた。そこに、あの男がいるはずだ。月明かりの下、死体から必死に鎧を剥ぎ取っている猫背の影があった。
葬儀屋の善兵衛。
本来のゲームシナリオでは、プレイヤーに高額でアイテムを売りつけ、中盤の重要イベントで裏切ってレア装備を持ち逃げする「クズNPC」だ。
「精が出るな、善兵衛さん」
「ひぃっ!? だ、誰だ! あっしはただの通りすがりで……」
ビクつきながら腰の短刀に手を伸ばす善兵衛。その首元に、私は白焔を纏った鍬を突きつけた。
殺気はない。あるのは「交渉」の圧力だけだ。
「単刀直入に言おう。俺についてもこい。給与は歩合制。福利厚生は俺が保証する」
「は、はぁ? 何言って……」
「断れば、お前が『北の洞窟』の裏に隠している隠し倉庫の場所を、領主に密告する」
善兵衛の顔が引きつった。
そこには、彼が十年かけて溜め込んだ金銀財宝と、横流し用の武器が山ほどあるはずだ。プレイヤーにとっては周知の事実だが、彼にとっては墓場まで持っていく秘密だ。
「な、なんでそれを!? あんた何者だ!」
「ただの農民だ。……どうする? 在庫を抱えて死ぬか、俺たちに投資して大名商人に成り上がるか」
数秒の沈黙の後、善兵衛はガックリと項垂れた。
こうして、一揆軍に優秀な(そして弱みを握られた)「経理部長」が誕生した。
生産ラインの構築(イノベーション)
善兵衛の隠し倉庫から引っ張り出した鉄屑と、なまくら刀の山。
これを戦力に変えるには、技術者がいる。
私は村の鍛冶場へ向かった。そこには、酒瓶を抱えてふて寝している頑固親父――隻眼の鍛冶師・鉄心がいた。
「帰んな。俺はもう打たねぇ。打った刀は全部、妖気に蝕まれちまう……」
鉄心は、自身の最高傑作が「妖刀」と化し、使い手を狂わせることに絶望していた。
本来なら、彼はこの絶望から発狂し、中ボスの「暴走鉄心」として立ちはだかる。
だが、原因(バグ)が分かっているなら、対処(デバッグ)は簡単だ。
「素材が悪いんじゃない。火力が足りないんだよ、親父さん」
私は冷え切った炉の前に立ち、掌から白焔を注ぎ込んだ。
ボウッ! と音を立てて、炉内が白熱する。通常の炭火とは桁違いの熱量。
呪いすら焼き尽くす浄化の炎だ。
「なっ……なんだその火は!?」
「俺の命(カロリー)を燃やしてるんでね。これなら、あの黒い鉱石も溶かせるんじゃないか?」
鉄心の隻眼が見開かれた。職人の魂に火がついた瞬間だ。
彼は酒瓶を投げ捨て、金槌を握りしめた。
「……やりやがったな、農民。ああ、これなら打てる。打てちまうぞ! 俺の生涯最高の傑作が!」
「製造部長」確保。
その夜から、村には絶え間ない槌音が響き渡ることになる。
4.組織化と特殊部隊(スペシャリスト)
物資と装備の目処は立った。次は「組織」だ。
私は、村の入り口で行き倒れていた浮浪者を拾ってきた。
ボロボロの着物に、死んだ魚のような目。だが、この男こそ落第軍師・半兵衛。
彼の語る「兵站重視」「リスク管理」の戦術は、この時代の武士道精神からは「臆病」と罵られ、追放された天才だ。
「……私の策など、誰も聞きませんよ。武士は死に急ぐことしか考えない」
「だから良いんじゃないか。俺たちは死にたくない。生き残るための策が欲しい」
私が現代のプロジェクト管理手法――工程表(ガントチャート)や報連相(ホウレンソウ)の概念を説明すると、半兵衛の目が輝いた。
「なんと……合理的だ。兵を『消耗品』ではなく『資産』として扱うのですか」
「当たり前だ。ワンオペで勝てるほど世の中甘くない」
半兵衛という「参謀」を得て、烏合の衆だった村人たちは「軍隊」へと変貌し始めた。
農民たちは槍隊と弓隊に分かれ、シフト制で見張りを立て、休憩時間すら管理された。
さらに、私の「攻略知識」に基づき、一癖も二癖もある連中が集められた。
疾風のハヤテ:
元忍の彼は、正規の門を通らず、壁の判定の隙間をすり抜ける(グリッチ移動)。
「ハヤテ、敵城の裏口(テクスチャの継ぎ目)が開いてるぞ」と指示すれば、誰にも気づかれずに潜入が可能だ。
爆樽の源三:
「爆発したら死ぬ」と思い込んでいた彼に、私は導火線の長さと安全距離を叩き込んだ。
今や彼は、的確に敵陣へ爆弾を投擲する「生きて帰ってくる特攻兵」だ。
ミミックのカグラ:宝箱に擬態した彼女を、街道に配置する。欲に目がくらんだ敵兵が近づけば、中から巨大な舌と牙が……いや、彼女は重装甲の輸送車としても優秀だ。
拡大する「株式会社・一揆」
数週間後。クズハ村は、ただの農村ではなくなっていた。周囲には、夕霧の糸による不可視の結界と罠が張り巡らされ、鍛冶場からは黒煙(と白焔の光)が上がり続け、村人たちは鉄心製の規格統一された槍を手に、半兵衛の号令で一糸乱れぬ動きを見せる。
さらに、白百合の姫・キキョウを神輿として担ぎ上げたことで、近隣の村々からも「幕府に不満を持つ者たち」が続々と合流し始めた。
もはや一揆ではない。これは一つの「勢力」だ。
「社長……いえ、村雨殿。兵力が三百を超えました。食料備蓄も三ヶ月分は確保できています」
半兵衛が帳簿を見せながら報告する。
私は鍬の手入れをしながら頷いた。
「順調だな。……だが、急拡大には歪みがつきものだ」
ふと、視線を向ける。
村の隅、賑わう輪から離れた場所で、ムラマサが一人、刀を振っていた。
その顔には焦りと、孤独が張り付いている。
組織が大きくなり、システム化されればされるほど、単体最強の「個」である彼の居場所が失われていく。
(……ケアが必要だな。あいつのメンタル(SAN値)が、このプロジェクト最大のリスク要因だ)
私は懐から、小夜に握らせたおにぎりを取り出した。白焔の維持で腹が減って死にそうだが、今はこれを、あの不器用な少年に届けるのが先決だ。
「休憩だ、ムラマサ。残業続きじゃ、良いパフォーマンスは出せんぞ」
株式会社「一揆」。
その急成長の裏で、正史の闇(シナリオ)は静かに、しかし確実に、我々を飲み込もうとしていた。
経理部長:葬儀屋の善兵衛(アイテム管理)
「あの人は、妖怪よりタチの悪い『鬼』でさぁ」
「へへ……あっしは長いこと、戦場泥棒とヤミ商売で生きてきやした。人の欲も、弱みも、裏切りも見尽くしてきたつもりでしたよ。でもね、あの旦那(村雨)は格が違う。
初対面でいきなり、あっしが誰にも教えてねぇ『隠し金庫の暗証番号(ギミック解除法)』を言い当てやがったんです。心底震えましたね。
『善兵衛、お前の在庫管理は甘い。棚卸しを徹底しろ』だの『この回復薬は原価率が高いから自社生産に切り替える』だの……わけのわからん言葉で捲し立てられて、気づけば死ぬほど働かされてる。
でもね、不思議と悪い気はしねぇんです。だって旦那の言う通りに動けば、絶対に損はしねぇから。あの人の頭の中には、この国の『攻略本』が入ってるに違いねぇですよ」
2. 製造部長:隻眼の鍛冶師・鉄心(武具開発)
「俺の炉を満足させられるのは、あいつの『白』だけだ」
「俺は絶望していた。どれだけ魂を込めて打っても、この世界の穢れた空気じゃ、刀はすぐに『呪い』を帯びちまう。俺の腕が悪いんじゃねぇ、世界が腐ってるからだ……そう思って腐ってた。
だが、あいつは違った。慰めるでもなく、説教するでもなく、ただ黙って自分の命(白焔)を炉にくべやがった。
『燃料(リソース)は用意した。あとは技術(スキル)の問題だろ?』ってな顔でよ。
……燃えたね。炉も、俺の職人魂も。あいつの白い火を使えば、伝説の鉱石だって飴細工みたいに溶かせる。
あいつは俺にとって『最高のパトロン』であり、同時に『最高の燃料』だ。……まあ、すぐに腹減ったって倒れるのが玉に瑕だがな」
3. 戦略顧問:落第軍師・半兵衛(参謀)
「あの方は、百年先の戦場を見ておられる」
「私の説く『兵站(ロジスティクス)』や『危険予知(リスクヘッジ)』は、武士たちには臆病者の戯言と笑われました。しかし、村雨殿だけは『それが基本(デフォルト)だ』と頷いてくれた。
あの方の指示は奇抜に見えて、全て理に適っています。
『敵が来る前に罠を張れ(リスキル)』
『ボス部屋の前には補給地点を作れ(セーブポイント確保)』
まるで、敵がどこから来て、どう動くかを全て知っているかのような采配……。あの方こそ、乱世を終わらせる『真の管理者』でしょう。
……ただ時折、『胃が痛い』と言って胃薬を欲しがるのは、未来視の代償なのでしょうか?」
4. 特殊工作員:疾風のハヤテ(グリッチ忍者)
「旦那だけが、俺の『歪み』を見てくれる」
「俺の動きは変だろ? 壁に向かって走り続けたり、空中で二段ジャンプしたり……昔の仲間は『気味悪い』って俺を追い出した。
でも旦那は、俺を見て笑ったんだ。『お前のそれはバグじゃない、仕様(才能)だ』って。
『ハヤテ、あの城壁の角は判定が薄い。抜けろ』なんて指示、普通の奴には出せねぇよ。実際に行ってみると、本当に壁をすり抜けられるんだから笑っちまう。
旦那には見えてるんだよ。この世界の『隙間』が。俺は一生、あの人の影として働くぜ」
5. 現場担当:絡新婦の夕霧(元ボス・インフラ)
「あの方の光は、冷たい夜の唯一の太陽」
「私は……化け物でした。恨みと呪いで膨れ上がり、人を食らうだけの蜘蛛でした。
普通なら、刀で切り刻まれて終わるはずの命。けれどあの方は、私の毒の牙を『白い炎』で優しく撫でて、人へと戻してくださった。
『有能な人材を腐らせておくのは損失だ』……あの方はそう仰いましたが、私にはわかります。あれは、あの方なりの不器用な慈悲なのだと。
だから私は、この糸であの方の敵をすべて絡め取りましょう。あの方が目指す『定時退社(しあわせ)』な未来のために」
爆樽の源三の視点:『死ななくていい仕事』
あっしは、そういうふうに出来ている。
背中に背負った、自分と同じくらいの大きさの火薬樽。
敵を見つけたら、導火線に火をつけて、走って、抱きついて、ドカン。
それが、あっしの役目だ。
親父もそうだった。じい様もそうだった。この一族は代々、「花火」になって死ぬのが誉れだと教わってきた。
だから、あの白い旦那――社長(村雨)に会ったときも、そうするつもりだった。
「お、おい! 待て待て! 火をつけるな!」
社長は、走ってくるあっしを見て、刀を抜く代わりに手をかざした。
白い炎が、あっしの導火線の火を「消し」やがったんだ。
「な、なんでぇ……邪魔すんじゃねぇ! あっしは輝いて死ぬんだ!」
「死ぬな。資源(リソース)の無駄遣いだ」
社長は呆れた顔で、あっしの背中の樽をコンコンと叩いた。
「いい火薬だ。硝石の配合が絶妙だな。……だが、運用方法(オペレーション)が間違っている」
「運用……?」
「そうだ。いいか、よく聞け。爆発というのはな、敵を吹き飛ばすものであって、自分を吹き飛ばすものじゃない」
社長は懐から、見たこともない長い紐を取り出した。
そして、あっしの樽の導火線に継ぎ足したんだ。
「導火線を3尺伸ばせ。点火から爆発まで約10秒。その間に投げて、遮蔽物に隠れる。……これを『投擲(とうてき)』という」
「と、とうてき……?」
「そうだ。源三、お前には肩の良さがある。コントロールもいい。お前は死ぬ係じゃない。遠くから敵を爆殺する『砲台』になれ」
目から鱗が落ちた。
投げる。隠れる。ドカン。
……あとに残るのは、木っ端微塵になった敵と、無傷のあっし。
「す、すげぇ……! これなら、何度でも爆発できるじゃねぇですか!」
「当たり前だ。従業員の安全管理(ヘルスケア)は基本中の基本だぞ。……よし、指差呼称。『投擲よし、退避よし、安全よし』。復唱!」
「と、投擲よし! 退避よし! 安全よし! ……ご安全に!」
今、あっしは一揆軍の「工兵隊長」をやってる。
敵の盾兵が並んでても怖くねぇ。社長の指示通りに樽を放り込めば、面白いように空を飛ぶからな。
死ぬために生まれたあっしが、今は生きるために火薬を扱ってる。
へへっ、悪くねぇ職場だよ、ここは。
ミミック使い・カグラの視点:『鎖の向きを知る男』
暗い。狭い。お腹が空いた。
私は箱の中。豪華な装飾が施された、宝箱の中。
この世界には、愚かな人間が多い。
「お宝だ!」と目を輝かせて、無防備に蓋を開ける。その瞬間に、ガブリ。
それが私の食事(狩り)。私は「人喰い箱」の擬態。
あの日も、足音が聞こえた。
一人だ。足取りは重い。隙だらけの獲物。
私は息を潜めた。さあ、来なさい。蓋に手をかけなさい。その腕を食いちぎってあげる。
男が、箱の前で立ち止まった。
けれど、いつまで経っても開けない。
じっと、箱を観察している気配がする。
(……バレた? ううん、完璧な擬態のはず。呼吸も止めてる)
すると、男の声が聞こえた。
「……鎖の端が『手前』を向いているな」
え?
男は、箱の右端にある小さな鎖の装飾を見ていた。
「普通の宝箱は、鎖が後ろに回っている。だがミミックは、構造上鎖が手前にある。……これ、テストに出るぞ」
誰に言っているのか分からない言葉。
男は武器を構えなかった。代わりに、懐から干し肉を取り出した。
「おい、中の嬢ちゃん。腹減ってるんだろ? 出てきて話そうぜ」
コンコン、と箱をノックされた。
私は混乱した。
攻撃してこないの? 怖がらないの? それに、どうして私の正体(女の子)を知ってるの?
恐る恐る、蓋を少しだけ開けた。
隙間から覗くと、疲れた顔のおじさんが、干し肉をヒラヒラさせていた。
「……食べる?」
「ああ。やるよ。その代わり、契約(サイン)してくれ」
「けいやく?」
「ウチの会社には、頑丈な『金庫番』と、荷物を運ぶ『トラック』が足りないんだ。……その箱、矢でも鉄砲でも弾くだろ? 最高の装甲車だ」
男――村雨は、私を化物扱いしなかった。
ただの「便利な機材持ち」として扱った。
干し肉は美味しかった。
それからは、毎日お腹いっぱいご飯が食べられる。
人の指じゃなくて、温かいご飯を。
今は、この箱の中に「軍資金」や「回復薬」を入れて運んでいる。
戦場では、矢が飛んできたら私が前に出る。
カンッ、カンッ! と箱が音を立てるけど、痛くない。
後ろで村雨が「ナイス防御(タンク)!」と褒めてくれる。
私は、箱入り娘。
株式会社「一揆」の、大事な金庫番。
この箱を開けていいのは、社長と、私が許した仲間だけ。
……鎖の向きを見抜いたあの人を、私は信じてる。
ムラマサ視点___
月が雲に隠れた、暗い夜だった。
村の喧騒から離れた裏山で、僕は一心不乱に木刀を振っていた。
「……ッ、はぁ……ッ!」
手には豆が潰れた痛みが走り、肺は焼き切れるように熱い。
けれど、振るう剣筋は遅く、鋭さのかけらもない。
焦りだけが空回りしている。
(……追いつけない)
脳裏に浮かぶのは、あの昼間の光景だ。
村雨さん。
どこにでもいそうな、疲れた顔をした農民のおじさん。
けれど、その人は魔法のように世界を変えてしまった。
僕が怯えて動けなかった兵士を、鍬一本で追い返した。
僕がただ絶望していた村人たちを、言葉一つで熱狂させた。
僕が守りたかったヤヨイを、最も安心させる言葉で救った。
『ガキ一人守れねぇで、何が大人の役目だ』
あの言葉は、優しかった。
けれど同時に、僕の心臓に冷たい杭を打ち込んだようでもあった。
――ああ、そうだ。僕は「子供」で、「守られる側」なんだ、と。
「くそっ……!」
木刀を地面に叩きつける。
右腕が、ドクンと脈打った。
本来なら切り落とされていたはずの腕。村雨さんが守ってくれた腕。
その血管の下を、ドス黒い「何か」が這い回っているのを感じる。
父上は立派な武士だった。けれど、母上は九尾の妖狐だった。
僕の中には、半分だけ「化け物」の血が流れている。
村雨さんの炎は、白くて、暖かくて、みんなを癒やす「聖なる火」だ。
対して僕の力はなんだ? 殺意と、破壊と、呪い。汚れた「黒い火」だ。
「……僕が英雄になんて、なれるわけがなかったんだ」
ヤヨイの予知夢。
『黒い化け物になって、全てを壊す未来』。
村雨さんは「へし折る」と言ってくれたけれど、僕は怖い。
村雨さんが眩しければ眩しいほど、自分の影が濃くなっていくのが分かるから。
2.狐の囁き
『ケケケ……みじめじゃのぅ、半端者』
背筋が凍るような声。
振り返ると、木の枝の上に、白い狐面をつけた人影が座っていた。
母上の眷属(けんぞく)にして、僕をずっと監視している妖――イズナ。
「……失せろ。お前と話すことはない」
『つれないのぅ。せっかく慰めに来てやったのに』
イズナは重力を無視してふわりと降り立つと、僕の周りをまとわりつくように歩き始めた。
『あの白い男――ムラサメと言ったか。奴は凄いのぅ。人間でありながら、妖すら凌駕するあの胆力。まさに「王」の器じゃ』
「……ああ、その通りだ。あの方は素晴らしい人だ」
『でお前は? 奴の後ろで震えているだけの、愛玩動物か?』
図星を突かれ、僕は唇を噛み締める。
イズナは楽しそうに、僕の右腕を細い指でなぞった。
『悔しいだろう? ヤヨイという娘も、今やあの男に夢中じゃ。村の連中も、誰もお前など見ておらぬ。……「半妖のガキ」は、邪魔なだけじゃからのぅ』
「黙れ……ッ!」
『お前には力がある。あの男の「白」をも塗り潰す、絶大なる「黒」が。……解放しろ、ムラマサ。そうすれば、お前が主役になれる』
古寺に封印された、獄焔刀(ごくえんとう)。
その銘を聞くだけで、僕の血液が沸騰するように暴れだす。
欲しい。力が欲しい。
村雨さんの隣に立つために。あの方に「守られる」だけでなく、あの方を「守れる」男になるために。
そのためなら、この身を焦がす黒い炎に手を出しても――。
「――おーい、ムラマサぁ!」
不意に、能天気な声が響いた。
ビクリとして振り返ると、森の入り口で、村雨さんが手を振っていた。
片手には、竹皮に包んだ握り飯を持っている。
「こんなとこにいたか。探したぞ、飯の時間だ」
イズナは「チッ」と舌打ちをして、闇に溶けるように消えた。
後に残ったのは、僕と、息を切らした村雨さんだけ。
「……村雨、さん」
「まったく、若いからって無理しすぎだ。ほら、食え。善兵衛から巻き上げた……いや、提供してもらった高い米だぞ」
村雨さんは、屈託のない笑顔で握り飯を差し出した。
その顔には、僕が抱いているようなドロドロした葛藤など微塵もない。ただ純粋に、部下を労う上司の顔だ。
「……すみません」
僕は握り飯を受け取った。まだ温かい。
その温もりに触れた瞬間、さっきまで膨れ上がっていた殺意が、嘘のように引いていく。
この人は、ずるい。
こんなに暖かかったら、恨むことさえできないじゃないか。
「あの、村雨さん」
「ん?」
「僕は……あなたのように、なれるでしょうか」
村雨さんはきょとんとして、それから苦笑した。
「なるなよ、俺みたいには。俺はただの、くたびれた社畜だ」
彼はガシガシと僕の頭を撫でた。
「お前はお前だ、ムラマサ。その腕も、血も、全部ひっくるめてお前自身の強さだ。……焦るな。攻略(育成)には時間がかかるもんだ」
白焔が、僕の体の中の「黒」を静かに中和していく。
僕は泣きそうになるのをこらえて、握り飯を頬張った。しょっぱくて、甘かった。
――けれど、僕は知っている。
イズナの言葉は消えていない。
いつか来る「強大な敵(ヨハンや剛山)」を前にした時、村雨さんの白焔だけでは足りなくなる時が来る。その時、僕は。この温かい人を守るために、やはり「怪物」になるしかないのだろうか。
月が、雲の切れ間から冷ややかに僕を見下ろしていた。
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