第19話 徒手空拳

 ヘリットが立っていたのは古城の廊下だった。


「な、なぜここに」


 彼の目の前には頬をひどく膨らませた獏男が立っていた。


「ひどいじゃないですか、僕を置いていくなんて」

「君が夢の橋を架けてくれたのか?」


 離れた所にいる人の元に、夢の橋を使って行き来する『夢渡り』。獏家に伝わる秘術だが、まだヘリットはそれを父親から習っていなかった。


「ええ。普通は訓練しないと渡れませんが、あなたと僕は他の人とは違って切っても切れない強い夢の緒で繋がっていますから、あなたが初めてでもなんとかここに引っ張ってこれたんです」


 あの時。

 獏男の言葉で、一瞬のうちに眠りに入って意識を手放したヘリットの前に現われたのは手を伸ばした獏男と勢いよく延びてくる夢の橋だった。無我夢中で獏男の手を握り、引っ張られるままに橋の上を駆け出す。気がついたらヘリットはここに立っていた。


「ま、ぶっつけ本番でしたが夢渡りの術が成功して良かったです」


 ギャギャギューーーッ、ダダダッダーンン、スピーーーーッグボオオオオオッ。


 気がつけば廊下までライカの寝言が漏れている。


「そうか。最近、橋切りの魔言を唱えていなかった」


 父親が渡ってくるのを恐れて毎晩寝る前に唱えていた橋切りの魔言だったが、父親は都で自らの時を止めており夢の橋を渡ってくる可能性はない、ということでここ最近は唱えていなかった。

 あの魔言を唱えていたら、爆男がヘリットの心に橋を架けることはできなかっただろう。


「皆が寝入った後で、ふとあなたがいないことに気がついたのです。そして女主人も消えていたのでまさかと思ってさが、が、が――」


 獏男の顔が急に引きつった。ヘリットの背後に向けられた視線が、固まっている。


「さ、さすがヘリット……他人まで……」

「え」


 おそるおそるヘリットが振り返る。

 そこには、金色の目を血走らせ、鋭いくちばしを振り立てて、黒い羽根を一杯に広げたメデラ。


「うっわーーーーっ」


 慌てて廊下を奥に走り出す二人。

 走りながら獏男が叫ぶ。


「すごいですねっ、初めての術なのに他人まで一緒に夢渡りさせてしまいましたよ。普通は慣れるまで、他人も一緒に渡すと橋が壊れるんですがっ」

「喜んでる場合じゃないっ」


 音は無いが、羽根の風圧が伝わってくる。

 たいした能力の無い獏家、徒手空拳の二人に勝ち目は無かった。



 死ぬ。このままでは死ぬ。

 獏家とはおさらばして生まれ変わりたいけど、本当に死にたいわけじゃないんだ。

 ただ、すべての責任を放り出してのんびりと生きたいだけなんだ。

 怖くて、痛い死に方なんてまっぴらだ。


 ふわりと風圧がヘリットの頭上を通り過ぎ、獏男の前に舞い降りる。


「残念だね、もう逃げられないよ」


 急停止した獏男。

 目の前には鋭いかぎ爪の大きなフクロウが両方の翼を広げて行く手をふさいでいる。


「ヘリット、短い付き合いでしたが来世でも一緒に……」

「嫌だっ」


 もう、獏家とはおさらばだ。獅子王家も一角獣家も鳳凰家も、あの騒々しい龍家も。

 騒々しい龍家――。


「まずはお前から料理してやろうかね」


 ばさり、はばたきとともにメデラが飛び立つ。


「ひいいいいっ、獏の肉は美味しくありませんよーっ」


 泣き叫ぶ獏男の上にフクロウの影が覆い被さ――。


「こっちだ」


 メデラのかぎ爪が獏男を引き裂く、よりも一瞬早くヘリットは守護精霊の背中をひっつかみ、廊下を逆方向に走る。

 そして。


「往生際の悪い子達だねえ」


 余裕綽々で追いついたメデラを道連れに、最も端っこの部屋に飛び込んだ。


 ギャッキュイーーーーン、ドドドドド、ブワアアンッツ。ギャッキイイイ―――イイン。


 そこはライカの部屋。

 目張りをしたドアの外とは桁違いの騒音が部屋中を揺るがしている。


「あ……っ」


 メデラは顔面に音をもろに受けて落下した。


「獏男、ドアを閉めろ」


 ヘリットはけいれんしているメデラの身体と頭をひっつかむと、ライカに向けてフクロウの平たい顔を向ける。首をぐるぐる回して暴れるメデラ、しかしここで手を放すわけにはいかない。彼は歯を食いしばって時折当たるかぎ爪の痛みに耐える。耐えなければいけないのは、痛みだけではない。彼は両腕を思い切り伸ばすと腕の付け根を両耳に当てて、頭に突き刺さる凶器に近い音を和らげた。

 フクロウは音に敏感だ。とくにその平たい顔は音を集める働きがある。通常より良い耳はライカの凶悪ともいえるほどの爆音に耐えられなかった。


 大きなフクロウはしばらく音から逃れようと苦しそうにもがいていたが、部屋中に響き渡る大音響に次第に反応が弱くなり、ついにがくりと首を垂れた。

 そして身体が硬直した、と思うと黒い砂となってどさりと床に落ちた。

 酒の力か今夜の音はさらに質が悪かった。耳から錐が飛び込んだような音が、脳みそをかき回すような感覚になって襲いかかる。先ほどまで必死になってメデラを捕まえていたヘリットだが、もう限界だった。掌で耳をふさごうとしてふと下を見ると、そこには獏男が両耳に指を突っ込んでうずくまっている。


「おい、手伝えよ。少しは」


 メデラのかぎ爪によるひっかき傷で両腕が血だらけのヘリットは目をつり上げる。

 獏男は首をかしげて聞こえないふりをした。

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