6
しばらくしてクラウンが戻ってくる。
手すりの上を軽やかに歩いて、私の腕の中にポンと飛び込んでくる。
「さ、陽菜お嬢様、部屋に戻りましょう」
私に抱っこされたクラウンに言われて、私は部屋に戻る。
部屋に戻ると、私の腕からスルリと下りたクラウンが、ボニャールで伸びをする。
「やれやれ、ご親切な紳士で良かったです」
「紳士?」
「そうです。お隣の犬は、初めてお会いしましたが、とても紳士なシェパードのアイルトン=セナ様でございました」
「シェパードなんだ」
シェパード……あれだ、警察犬でよく採用されている黒い背中の犬だ。
よくお利口な姿が、ネットにも上がっている。
「ご趣味は、刑事ものドラマ。森村誠一などの渋めの作品もお好きですが、最近のドラマも好きなのだそうです。特に、警察犬が活躍するシーンには感動を覚えて、どうしても尻尾を振ってしまうのが、最近の悩みなのだそうでございます」
「いや、いいんだ。犬の趣味は」
この賃貸、どうなっているのだろう。
知らぬ間に変な光線とか、宇宙人に浴びせられてはいないだろうか?
ほら、人間の言葉がわかるようになる光線とか。
しらんけど。
だって、犬が刑事ものドラマ見るとか、初めてきいた。
「ええ、ご主人は、スポーツインストラクターで、とても爽やかな方。もしもうるさいとお感じになれば、部屋に突撃して直談判するタイプなのだそうです」
「直談判は困るけれども……ともかく、手紙の主は、203号室の人ではないのね?」
「ええ。特に犬の声がうるさいと思ったこともないそうです」
じゃ、違うんだ。
私は、座卓の上のトランプから、スペードの三を取り除く。
「ということで、この部屋から犬の鳴き声がしていると文句を言いそうな方は後は……」
ふむとクラウンがトランプを見つめる。
「やっぱり、ここが怪しいですね」
クラウンがお手々を載せたのは、205号室だった。
「でも、203号室は、うるさくないのよ? だったら、これはあり得なくない?」
だったら、205号室は、除外していいはずじゃない?
「陽菜お嬢様、寝言は、寝てから言って下さい」
「クラウン、口が悪いわよ。執事なんじゃなかったっけ?」
お婆ちゃんからクラウンを相続した時、クラウンは「執事でございます」と挨拶したのだ。
だったら、主人である私をこんなにディスっては駄目なのではないだろうか。
「いいえ、書物やテレビの情報によりますと、最近の執事というものは、主人をディスりながらもサポートするのが仕事のようでございますから」
クラウン……なんの影響を受けているというのか。
確かにサスペンスで、執事が解決する作品なんかで、頼りないお嬢様を執事がディスる物語があったとはおもうけれども。
ちょっと、影響されるのは、困る気がする。
「昨今の執事事情は、昔とは違うのですよ」
ドヤって胸を張るクラウン、ちょっと可愛い。
ま、いいか。可愛いし。
それよりも、手紙の主の話よ。
「ね、どうして、205号室が怪しいと思うの?」
「それはですね、向こうが、この204号室がうるさいと勘違いしていることが大きいです。やはり、隣接しているからこそ、犬の声が204号室から聞こえると思うのです。もう一つの可能性、真下の104号室です。ですが、ここも可能性は低いと思うのです」
「どうして?」
「104号室の住人が、ワンコの声に悩まされたら、まず、左右の部屋を疑いますよね?」
「まあ……そうね」
「で、犬がいないと分かれば、今度は、犬を飼っているかどうかを確認するでしょうし、確認したうえで次に疑うのは、本当にワンコを飼っている203号室ではないでしょうか?」
「それは……そうよね。でも、203号室のワンコがうるさいのならともかく、101号室のワンコがうるさいのに、どうして205号室の人が204号室に犬がいるって勘違いするのよ」
それに、205号室に聞こえるくらいに大音量で聞こえるならば、我が204号室にも、犬の鳴き声が聞こえていなくてはおかしいのではないだろうか。
「ええっとそれは……」
クラウンが考え込む。
状況から考えて、クラウンの考えが間違っているとは思わないけれども、これ以上は考えているだけでは、解決しない。
後は、私のやり方を通すのが良いはずだ。
「ま、いいか」
「陽菜お嬢様?」
あっけらかんとしている私に、クラウンがギョッとする。
「どこの犬がうるさくって、どこの人が手紙を出したのか、それが分かれば、十分でしょ」
「いや、待って! 陽菜お嬢様?」
クラウンが、焦る。
尻尾の先が曲がって、クラウンの不安を現わしている。
「後は、力技でしょ?」
「落ち着いて下さい、陽菜お嬢様!」
ふふ、得意なんだ。力技は。
「ちょっと、確かめてくる! 101号室のワンコがうるさくって、205号室の人が手紙を書いたのね!」
「待って! 陽菜お嬢様! クラウンも一緒に行きますから!」
慌ててクラウンが私の肩に乗った。
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