第19話 たった一人の援軍。魔物の大群が瞬時に消滅する

 城壁ゴーレムによる「ロケットパンチ」でカース・ドラゴンが消滅した後、エリュシオンの城壁上には奇妙な沈黙が流れていた。

 領主であるエルザ・フォン・ローゼンバーグ侯爵が、俺に詰め寄っているからだ。


「さあ、お答えなさい。貴方は何者ですの? ただの素材鑑定士だなんて戯言、もう通用しませんわよ」


 エルザの真紅の瞳が、至近距離から俺を射抜く。

 その迫力は、先ほどのドラゴンにも劣らない。美貌と威厳、そして底知れぬ実力を兼ね備えた「鮮血の戦乙女」。彼女に目をつけられた時点で、俺の平穏な隠居計画は破綻寸前だった。


「いや、ですから……本当にたまたま、古代の魔道具を起動させただけで……」


 俺がしどろもどろに言い訳をしていると、足元のポチが呆れたように念話を飛ばしてきた。


『主よ、諦めろ。あの女、獲物を見つけた狩人の目をしているぞ』

「うるさい。お前がもっと早くドラゴンを片付けていれば、こんなことにはならなかったんだ」


 俺たちがそんなやり取りをしている最中だった。

 眼下の戦場で、勝利の凱歌を上げていた騎士たちの動きが止まった。


 ザワッ……。


 空気が変わった。

 勝利の熱狂が、急速に冷え込み、肌を刺すような寒気が戦場を覆い尽くす。

 俺とエルザは同時に、森の奥へと視線を向けた。


「……まだ、終わっていない?」


 エルザが呟く。

 先ほど、俺の一撃でドラゴンと共に吹き飛んだはずのネクロマンサーの気配。それが消えるどころか、爆発的に膨れ上がっていたのだ。


「ヒャハハハハハ! 素晴らしい! 実に素晴らしい死体の山だ!」


 不快な笑い声が、風に乗って響いてきた。

 黒い霧が集束し、空中に一人の男の姿を形作る。ボロボロの黒衣を纏い、痩せこけた体に髑髏の杖を持った魔術師――ネクロマンサーのグルゴスだ。


「あの一撃には肝を冷やしたが……おかげで手間が省けたぞ。これほどの『死』が一箇所に集まることなど、戦争でも起きない限りありえんからな!」


 グルゴスが杖を振り上げる。


「起きろ、我が愛しき駒どもよ! 死を超え、痛みを超え、生ける者全てを食らい尽くす絶望の軍勢となれ!」


 禁忌魔法『死者蘇生・大軍勢(マス・アニメイト・デッド)』。


 ズズズズズ……!

 俺たちが倒した魔物の死体が、一斉に痙攣を始めた。

 首を失ったオークが立ち上がる。焼き焦げたゴブリンが這いずり回る。そして、粉々になったはずのカース・ドラゴンの肉片までもが、黒い瘴気で結びつき、醜悪な『骨竜(ボーン・ドラゴン)』として再構成されていく。


「な……っ!?」


 前線に出ていた『鉄血騎士団』の団員たちが悲鳴を上げる。

 彼らは残党狩りのために深入りしすぎていた。

 周囲360度、全ての死体が敵へと変わり、包囲網が完成していたのだ。


「隊長! 囲まれました! キリがありません!」

「引け! 城壁まで後退しろ! ……ぐあっ!?」


 一人の騎士が、足元から伸びたゾンビの手にかかり、引き倒される。

 エルザが血相を変えた。


「退がりなさい! ……くっ、間に合いませんわ!」


 彼女が救援に向かおうとするが、城壁の真下までアンデッドの波が押し寄せてきている。今飛び出せば、彼女自身も泥沼に飲み込まれる。

 蘇った魔物の数は、先ほどの倍――三万体以上。

 しかも、アンデッド特有の『不死性』を持っている。斬っても突いても、核を潰さない限り動き続ける悪夢の軍団だ。


「終わりだ……今度こそ、終わりだ……」


 ギルドマスターのガンツが膝をついた。

 城壁の上の冒険者たちも、武器を取り落とし、絶望に顔を歪めている。

 最強の防衛兵器は壊れ、城壁ゴーレムもエネルギー切れ。頼みの綱の騎士団は孤立無援。


「ヒャハハ! どうした人間ども! 泣け、叫べ! その負の感情こそが、魔王様への最高の手土産となるのだ!」


 グルゴスの高笑いが響く中、騎士団の防衛線が徐々に狭まっていく。

 全滅まで、あと数分。


 その時。


「……まったく。残業は嫌いなんだがな」


 気怠げな声が、戦場の喧騒を切り裂いた。

 エルザが驚いて振り返る。


「貴方……何を?」


 俺は城壁の縁(へり)に立った。

 夜風が俺の髪を揺らす。


「エルザ様。貴方の騎士団、助けてほしいですか?」

「当たり前ですわ! でも、どうやって……あの数、物理攻撃も魔法も効きにくいアンデッドですのよ!?」

「物理が駄目なら、概念(システム)ごと消せばいい」


 俺はニヤリと笑い、セリアとポチに目配せをした。


「セリア、ポチ。ここからは俺一人でやる。お前たちはエルザ様を護衛してろ」

「えっ、一人で!? アレウス、無茶よ!」

『主よ、あの腐った肉の山に飛び込む気か? 臭いぞ』


 心配する(?)二人を尻目に、俺は一歩踏み出した。

 何もない空中へ。


 ヒュゥゥゥ……ダンッ!


 俺は重力魔法で着地衝撃を殺し、アンデッドの大群のど真ん中、孤立する騎士団の前に降り立った。

 土煙が舞い上がる。

 突然の乱入者に、群がっていたゾンビたちが動きを止め、一斉に俺の方を向いた。


「アレウス殿!?」

「なぜここに! 逃げてください!」


 騎士団長が叫ぶ。彼らの鎧はボロボロで、体力も限界に近い。

 俺は彼らに背を向けたまま、軽く手を上げた。


「お疲れ様です。少し休んでいてください。すぐに終わらせますから」


 俺は正面のグルゴスを見据えた。

 奴は骨竜の頭上で、訝しげに俺を見下ろしている。


「あぁ? なんだ貴様は。たった一人で援軍のつもりか? 死に急ぎおって!」

「一人で十分だ。お前のその術式、バグだらけで見ていられないんでね」


 俺は右手を掲げた。

 スキル『物質解析』、全方位展開。

 俺の視界がデジタルな情報に書き換わる。

 三万体のアンデッド。それら全てを繋ぐ、細い魔力の糸。そして、その糸を束ねているグルゴスの杖。


 ――解析完了。

 ――対象:死霊操作ネットワーク。

 ――脆弱性:中央制御サーバー(グルゴス)からの命令信号への依存度高。暗号化強度低。


「お前の軍勢は、全て魔力によるリモート操作だ。なら、その回線を乗っ取れば(ジャックすれば)いい」


 俺はポケットから、一つの魔道具を取り出した。

 それは、先日「失敗作」として処分しようか迷っていた『音響拡張スピーカー(試作型)』だ。ただ声を大きくするだけでなく、特定の魔力波長を増幅して広範囲に拡散する機能がある。


「な、何をブツブツと……ええい、殺せ! その生意気な小僧を肉塊に変えてやれ!」


 グルゴスが杖を振る。

 三万のゾンビと骨竜が、雪崩のように俺に殺到する。

 騎士たちが悲鳴を上げ、セリアが城壁から名を叫ぶ。


 だが、俺は動じない。

 スピーカーを起動し、俺自身の魔力を流し込む。

 そして、たった一言、コマンドを口にした。


「システム権限掌握。――強制浄化(フォーマット)」


 キィィィィィィンッ!!!


 高周波の音が、戦場全体に響き渡った。

 それは耳に聞こえる音ではない。魔力そのものを震わせる、共鳴波動だ。

 俺が書き込んだコードは、『死霊術式への逆位相エネルギーの注入』。

 ノイズキャンセリングヘッドホンのように、アンデッドを動かしている「死の魔力」と正反対の波長をぶつけることで、魔力をゼロにする。


 効果は劇的だった。


 ピタリ。

 俺の鼻先まで迫っていたゾンビの爪が止まった。

 骨竜の顎が、空中で静止した。


「あ……? え……?」


 グルゴスが目を見開く。

 次の瞬間。


 パァァァァァァァッ……!


 三万体のアンデッドが一斉に白く発光した。

 禍々しい瘴気が瞬時に中和され、強制的に「ただの物体」へと還る。

 魔力という接着剤を失った死体たちは、砂の城が崩れるようにサラサラと崩壊し、光の粒子となって浄化されていく。


「な、なんだこれはぁぁぁッ!? 俺の、俺の最強の軍団が! 消えていくぅぅッ!?」


 グルゴスが絶叫する。

 彼の足元の骨竜もまた、光となって霧散した。

 空中に放り出されたグルゴスは、地面に無様に叩きつけられた。


 数秒後。

 そこには、三万の魔物は影も形もなかった。

 ただ、浄化された後の綺麗な土と、呆然と立ち尽くす騎士団、そして中心に立つ俺だけが残されていた。


 静寂。

 圧倒的な静寂が戻ってきた。


「……ふぅ。一掃完了」


 俺はスピーカーをポケットにしまった。

 城壁の上から見ていたガンツや冒険者たちは、顎が外れんばかりに口を開けている。

 エルザに至っては、扇子を取り落としていた。


「あ……ありえませんわ……」


 彼女の震える声が風に乗って聞こえた。


「たった一言で……数万のアンデッドを浄化した? 大司教クラスの聖女でも、そんなことは……」


 俺は倒れているグルゴスに歩み寄った。

 彼は腰を強打したらしく、這いずりながら後退る。


「ひ、ひぃぃッ! き、貴様は何者だ!? 人間か!? それとも神か!?」

「ただの素材鑑定士だ。お前、素材の使い方が雑すぎるんだよ。リサイクルって言葉を知ってるか?」


 俺は冷たく言い放ち、騎士団長に目配せをした。


「団長さん、捕縛を。こいつが今回の騒動の首謀者です。色々と吐かせることがあるでしょう」

「は、はいッ! 直ちに!」


 我に返った騎士たちが、グルゴスを取り押さえる。

 魔力を封じられたネクロマンサーなど、ただの老人だ。あっという間に縛り上げられた。


「離せ! 俺はベルゼビュート様の配下だぞ! こんなところで……!」

「連れて行け!」


 グルゴスが引き立てられていくのを見届け、俺は大きく息を吐いた。

 振り返ると、城壁の上から大歓声が沸き起こっていた。


「うおおおおおっ! 勝ったぞぉぉぉッ!」

「あいつがやったんだ! あのアレウスって新人が!」

「救世主だ! エリュシオンの英雄だ!」


 帽子が空に舞い、冒険者たちが抱き合って喜んでいる。

 ……まずい。

 完全に英雄扱いだ。

 目立ちたくないと言いつつ、派手にやりすぎた。


「……アレウス」


 背後から声をかけられた。

 城壁から降りてきたエルザだ。

 彼女はまっすぐに俺に近づき、その美しい顔を紅潮させていた。

 そして、俺の手を両手で包み込むように握りしめた。


「素晴らしい……! 本当に素晴らしいですわ!」

「え、あ、はい?」

「その力、その知性、そしてあの圧倒的な支配力! 貴方こそ、私が求めていた『伴侶』に相応しい殿方ですわ!」


 ……はい?


「伴侶?」

「ええ! ローゼンバーグ家当主として、貴方に求婚させていただきます! 拒否権はありませんわよ? さあ、今すぐ屋敷へ行って式の日取りを……!」


 エルザの目が完全に座っている。

 恐怖。スタンピード以上の恐怖が俺を襲った。


「ち、ちょっと待ってください! 俺はまだ未成年で、それに身分も……!」

「関係ありません! 実力こそが全て! 貴方の遺伝子を我が家に残すことこそが、領地の繁栄に繋がるのです!」


 彼女は俺の腕を強引に引いていく。

 力強い。さすがはAランクのオーガを殴り倒すフィジカルだ。


「助けてくれ、セリア! ポチ!」


 俺が助けを求めると、セリアが慌てて割って入った。


「り、領主様! 抜け駆けはずるいです! アレウスは私の……その、主(マスター)なんですから!」

「あら? 従者が主人の結婚に口を出すものではありませんわよ?」

「私も候補に立候補しますから!」


 セリアまで何を言い出すんだ。

 そしてポチはと言えば、


『主よ、モテモテだな。我は先に帰って飯にしているぞ』


 と、我関せずの態度で去っていこうとしている。あの薄情犬め。


 こうして、エリュシオンを襲った未曾有の危機『ダンジョン・スタンピード』は、俺の(不本意な)大活躍によって幕を閉じた。

 街は守られた。

 だが、その代償として、俺の名声は天井知らずに跳ね上がり、領主からの求婚攻撃と、王都からの注目という、新たなトラブルを抱え込むことになったのである。


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