第二部、第一章:食後の爆弾発言

丼の底に残った最後の一滴までスープを飲み干し、俺はカウンターにレンゲを置いた。



「ごちそうさん」

店主に軽く声をかけ、店の外に出る。


今日の「巡礼」先は埼玉でも屈指の濃厚さを誇る家系ラーメン屋だった。

パンチの利いた豚骨醤油と燻製チャーシューが今も胃袋の中で自己主張を続けている。

重い。正直、めちゃくちゃ重い。



隣を歩くディアはプラチナブロンドの縦ロールを揺らしながら、満足げに微笑んでいた。

あの「家系」Tシャツ姿もすっかり板についてきたのがある意味恐ろしい。

店の前で待機していた漆黒の高級車に乗り込むと、革張りのシートに身体が沈む。

密閉された空間に、俺たちから発せられるニンニクと豚骨の残り香がふわりと漂った。



「大変すすれましたわ。わしわしとした食感の麺の中には鶏油の層の厚さが広がっていて……

 まさに庶民の情熱が凝縮された『価値』の結晶ですわね」


ディアは後部座席でタブレットを取り出し、さっそく何やらデータを打ち込み始めた。

さっきの店の経営分析か、あるいは単なるラーメンレビューか。

もはや俺には区別がつかない。



俺は胃のもたれを少しでも緩和させようと、ミネラルウォーターのペットボトルに口をつけた。

ああ、やっと一息つける。

今日の「王の務め」もこれで終わりだろう。

あとはアパートに帰って寝るだけだ。

そんな安堵の息を吐き出そうとした、まさにその瞬間だった。



「あなた」



ディアがタブレットからふと顔を上げた。

その虹彩がきらめく瞳はいつものように俺を射抜いている。

だが今日の光はいつもと少し違っていた。根本的で、揺るぎない、何かを決断した者の光。



「わたくしたちもそろそろ“跡継ぎ”を考えねばなりませんわ」


「ぶっ!」


ゴボッ、と変な音が喉から漏れた。

口に含んだばかりの水が派手な放物線を描いて噴射される。

運転席のSPが「!?」と驚いてバックミラー越しにこちらを見ているがそんなことに構っていられるか。


「げほっ、ごほっ……!はぁ!?あ、跡継ぎ!?お、おま、何言ってんだよ急に!」

咳き込みながら叫ぶ俺を、ディアは不思議そうな顔で見つめている。

まるで「なぜそんなに驚くのか理解できない」とでも言いたげだ。



「何をそんなに驚く必要がございますの?当然のことですわ」

彼女はハンカチを取り出し、俺が水をぶちまけてしまったダッシュボードを当たり前のように拭き始めた。

その仕草があまりにも冷静で、俺の動揺だけが車内に浮いている。



「と、当然!?早くね!?早すぎだろ!俺らまだ大学も卒業してねえんだぞ!」


「年齢は関係ありませんわ。

 わたくしの会社経営はあなたの価値観を導入したことで完全に安定しました。

 わたくしの改革も順調です」

ディアはハンカチを畳むと、再び俺に向き直った。


「ですが一族にとって最も重要なのは『血の継承』。

 資産や経営理念だけではなく、その根幹たる“価値”そのものを次世代に繋ぐこと。

 わたくしとあなたの価値観を融合させた、完璧な次世代の『価値』を生み出すことこそが一族の悲願。

 わたくしの次なる最優先プロジェクトですの」



“プロジェクト”

その単語を聞いた瞬間、俺の背筋が凍った。ダメだ。こいつは本気だ。


冗談でも恋人気分で浮かれているわけでもない。

あの時、父親から会社を奪うと宣言した時とまったく同じ目だ。



「いや、プロジェクトって……そういう問題じゃ……」


「問題ありませんわ。すでに最高峰の医療チーム、教育プログラム、住環境の整備は手配済みです。

 あとは“実行”に移すだけですわ」


「っ! じ、実行って……」


「ええ……」


俺は後部座席のシートに深く沈み込んだ。


胃の中の豚骨スープが不安と絶望で逆流しそうになる。車

内の空気はニンニクの匂いと、ディアの放つとんでもない圧で、最高に息苦しかった。



こいつ、目がマジだ……!

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