黒く染まるダイヤモンド
狂う!
第零章-1:無垢なる原石
(お嬢様視点)
「価値、それは価格と同義ですわ」
午前六時。天井から吊るされたクリスタルシャンデリアが、朝焼けの光を何万ものプリズムに分解して床を照らしている。
わたくしは薄紅のサテンシーツからすっと起き上がる。
髪はひと房たりとも乱れていない。
両脇に侍女が控え、わたくしのためだけに温度管理されたバスルームへと導く。
銀の櫛が、プラチナブロンドの髪を滑り降りていく。縦ロールが崩れることは決してない。
今日も一分の遅れも許さぬスケジュール帳に沿って、全てが回り出す。
朝食は、世界最高級のキャビアとクロワッサン。
ピアノのレッスンは、ウィーンから招いたマエストロ。
ドレスの選定は、パリから届いたばかりの新作に目を通すのみで済む。
窓の外、曇天。ガラス越しに見下ろす街は、昨夜から降り続く雨に濡れて鈍い色彩を纏っている。
あの雑多な家々、看板、傘の波。全て下等なものがひしめく汚濁の海だ。
そこに住む人々は、所詮無価値な不純物。金額で測れる物しか、本当の価値ではありませんのに。
「お嬢様、今日は午後から投資家との面談が…」
「後ほどで構いませんわ。わたくし、少しピアノに集中したい気分ですの」
「かしこまりました」
使用人の手際は完璧で、わたくしの意向が世界の隅々にまで行き渡る。
世の中はわたくしを中心に動く機械仕掛けの箱庭。
父は時折、「もっと外の世界を知れ」と進言するが、その必要を一度も感じたことはない。
外の世界に、わたくしの価値を脅かす存在などあるはずもないから。
自室の壁には、著名な画家の絵。天井には24金の装飾。
ベッド脇には一粒数百万のダイヤモンド。
手の届く範囲に、わたくしが認めた純粋なものしか存在しない。
だが、わたくしは知っている。美しさとは「汚れなきこと」。
価値とは「傷が一つもないこと」。
外の世界は、ただただ価値を毀損する雑音でしかない。
だから、ショーケースの中でわたくしは誰よりも輝く。誰にも触れさせず、誰にも奪わせない。
そう、わたくしはダイヤモンド。他の石たちとは根本的に違う。
朝の紅茶に浮かぶ気泡すら、完璧に均等な大きさでなければ気に入らない。
侍女が指先でカップを傾ける様子すら、わたくしの美意識の中では監視の対象だ。
もし、一滴でも汚れが入り込んだら?一瞬たりとも耐えられませんわ。
全てを消毒し、焼き尽くし、最上級の清浄を取り戻すまで、絶対に許せない。
(ああ、今日も完璧な朝。世界はわたくしのために回っている。)
ショーケースの外では、雨が止む気配はない。
傘を差す無価値な人々の群れ。その誰一人として、わたくしの世界に入る資格などありませんのに。
それが、この日までは──わたくしの確信でしたのよ。
だって価値というのは、価格だけで決まるものですもの。
心も、命も、愛情すらも──全ては数字に還元できる。
わたくしの世界は、永遠に純粋無垢なダイヤモンドでいられるはずだった。
そう信じていたのですわ、この日までは。
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