第20話 夏休み前夜。みんなで合宿に行きませんか?

セミの鳴き声が、日増しに強くなっている。

窓から差し込む日差しは、もはや「暖かい」を通り越して「焦がす」ような強烈さを帯びていた。


「……終わった」


俺、クロムは教室の自分の席で、燃え尽きたように天井を仰いだ。

手元にあるのは、1学期の通知表。

そこには、燦然と輝く『可』の文字が並んでいた。

魔法理論だけは、あの「土壌改良論文」のおかげで『秀』だが、他はギリギリだ。


「危なかった……。本当に、危なかった」


もし赤点を取っていれば、今頃は補習地獄で、夏休みの畑仕事はお預けになるところだった。

だが、俺は生き残った。

今日から待ちに待った夏休みだ。

朝から晩まで土に触れ、汗を流し、採れたての野菜を食う。

そんな最高の日々が約束されたのだ。


「お疲れ様、クロム君」


涼やかな声と共に、アイリスが近づいてきた。

彼女の手にある通知表は、遠目に見ても『秀』のオンパレードだ。さすが学年首席。


「これで心置きなく、アレに行けますね」

「アレ?」

「とぼけないでください。園芸部の『強化合宿』ですよ」


アイリスは眼鏡をキラリと光らせ、一枚のパンフレットを俺の机に置いた。


『常夏の楽園・ルルディナ島へようこそ! ~未開の自然とダンジョンが貴方を待っています~』


青い海。白い砂浜。そして鬱蒼と茂るジャングル。

俺の目が釘付けになったのは、パンフレットの隅に載っていた写真だ。

そこには、たわわに実るマンゴーや、見たこともない巨大なパイナップルが写っていた。


「……南国フルーツ」


俺はゴクリと喉を鳴らした。

トマトやキュウリもいいが、夏の太陽を浴びたトロピカルフルーツは別格だ。

甘く、濃厚で、香りが強い。

もし、俺の育成技術であれらを育てたら、一体どんな味になるのだろうか?

マンゴーかき氷、パイナップルジュース、ココナッツカレー……。


「行こう。今すぐ行こう」


俺は即決した。

スローライフにおいて、食の探求は最優先事項だ。


   ◇


放課後。

園芸部の部室(快適リフォーム済み)に、メンバー全員が集まっていた。


「というわけで、明日から二泊三日で『ルルディナ島』へ合宿に行きます」


部長である俺が宣言すると、三人の美少女たちが歓声を上げた。


「やったー! 海だー! 水着だー!」

ミナが椅子の上で飛び跳ねる。

「合宿……良い響きね。砂浜での走り込みは足腰を鍛えるのに最適よ」

セリスが拳を握りしめる。

「南方の固有植物……未知の錬金素材の宝庫です! 採取用の袋を百枚用意しなきゃ!」

ルルが目を輝かせる。


三者三様の反応だが、やる気は十分だ。


「ちなみに、この合宿は学園長からの正式な依頼でもあります」

アイリスが補足する。


「ルルディナ島は学園が所有する無人島なのですが、最近、島の中央にあるダンジョンが活性化しているらしくて。私たち園芸部に、その『環境調査』をしてほしいとのことです」


「環境調査、ねぇ」

俺は苦笑した。

要するに、「強い部員が揃ってるから、ついでにダンジョンの様子を見てきてね(魔物が出たら倒してね)」ということだろう。

まあ、俺たちが揃っていれば、ドラゴンが出ようが問題ない。


「任務はついででいい。メインはあくまで『園芸部の活動』だ」

俺は力説した。

「現地の土壌を調査し、南国野菜の種を持ち帰る。そしてあわよくば、現地でBBQをする。これが最大のミッションだ」


「BBQ!!」

その単語に、全員の目の色が変わった。


「お肉……! 南の島で、開放的な空の下で食べるお肉!」

ミナがよだれを拭う。

「海鮮も期待できるわね。獲れたての魚介類を網焼きに……」

セリスが遠い目をしている。

「現地の果物を使ったデザートも研究課題です!」

ルルが鼻息を荒くする。


「よし、方針は決まったな。解散して、明日の準備だ! 集合は明朝8時、学園の転移ゲート前だぞ!」


「「「了解!!」」」


   ◇


解散後。

俺たちは学園都市の商業区へ買い出しに来ていた。

「必要なものを揃えよう」ということになったのだが、なぜか俺は女性陣の買い物に付き合わされていた。


「ねえねえクロム君! どっちの水着がいいと思う?」


水着ショップの前で、ミナが二着の水着を突きつけてくる。

一つはフリルのついた可愛らしいピンクのビキニ。

もう一つは、少し大人っぽい黒のワンピースタイプ。


「え、俺が決めるの?」

「当然でしょ! クロム君に見せるために着るんだから!」


ミナが大声で言うので、店員の視線が痛い。

国民的アイドルが水着を選んでいるというだけでパニック寸前なのに、俺という「一般人A」に意見を求めているのだから。


「……ピンクの方が、ミナらしいんじゃないか?」

「やっぱり!? じゃあこれにする! クロム君色に染まっちゃうぞー!」


「クロム」

次はセリスだ。彼女は腕組みをして、真剣な顔で競泳用の水着を睨んでいた。

「水の抵抗を減らすなら、やはりこのタイプかしら。でも、アイリスたちが言うには『可愛さ』も重要だと……」

「セリス、今回はタイムを競うわけじゃないぞ。もっとこう、リゾートっぽいパレオとかあるだろ」

「パレオ……布面積が増える分、防御力は高そうね。採用するわ」


「クロム君……」

最後はアイリスだ。彼女は顔を真っ赤にして、布面積の極端に少ない紐ビキニを手に震えていた。

「み、店員さんが『これが今年のトレンドで、男性はイチコロです』と……」

「それは店員に乗せられすぎだ会長! 刺激が強すぎる! もっと清楚な白のワンピースとかあるだろ!」

「へ? あ、はい……貴方がそう仰るなら……」


俺は冷や汗を拭った。

買い物だけでSランクダンジョン並みに疲れる。

だが、彼女たちが楽しそうなのは何よりだ。


俺自身の買い物は、ホームセンターで済ませた。

・南国用肥料(ヤシの実配合)

・暑さに強いスコップ

・害虫除けの魔導蚊取り線香

・BBQ用の特製炭


「完璧だ」

俺は満足げに頷いた。

水着よりスコップ。これが園芸部部長の矜持だ。


   ◇


その夜。

寮の自室で、俺は荷造りをしていた。

リュックに必要な道具を詰め込み、異空間収納(アイテムボックス)の中身も整理する。


窓を開けると、熱帯夜の生温かい風が入ってきた。

学園に来てから、数ヶ月。

最初は「誰とも関わらず、一人でひっそりと暮らす」つもりだった。

それがどうだ。

今の俺の周りには、最強の剣士、完璧な生徒会長、天才錬金術師、そして国民的アイドルがいる。


「……人生、分からんもんだな」


俺はベッドに寝転がり、天井を見上げた。

ハンター時代は、明日の命も知れぬ日々だった。

夜空を見上げても「明日は雨か、行軍が辛くなるな」としか思わなかった。


でも今は。

「明日は晴れか。海が綺麗だろうな」

「トマトに水をやらなきゃな」

「みんなで食べる肉は美味いだろうな」


そんな、些細で平和なことばかり考えている。


「……悪くない」


俺は枕元の目覚まし時計をセットした。

胸の奥が、遠足前の子供のように高鳴っている。

スローライフとは「何もしないこと」ではない。「やりたいことを、好きな仲間とやること」なのかもしれない。


プルルルル。

ふと、魔導端末(スマホのようなもの)が震えた。

園芸部のグループチャットだ。


ミナ:『楽しみすぎて眠れない! 早く明日になーれ!』

セリス:『剣の手入れ完了。明日のスイカ割り、一刀両断してみせるわ』

ルル:『耐水性の試験管を準備しました。海水を採取しまくります!』

アイリス:『皆さん、遅刻は厳禁ですよ。特にミナさん。……あと、おやつは300リラまでです』

ミナ:『えー! バナナはおやつに入りますかー!?』

クロム:『バナナは現地調達だ』


画面を見て、自然と笑みがこぼれる。


「さて、寝るか」


俺は電気を消した。

明日からの三日間。

きっと、騒がしくて、忙しくて、最高に美味しい夏休みになるだろう。


最強の元ハンターによる、全力のバカンス。

その幕開け前夜は、穏やかに更けていった。


だが、俺はこの時、まだ甘く見ていた。

「無人島」という閉鎖空間が、彼女たちのアプローチをどれほど大胆にさせるかを。

そして、島のダンジョンに眠る「主(ヌシ)」が、俺の畑を脅かすほどの厄介な存在であることを。


波乱の合宿編、いよいよ開幕だ。

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