「菊を食む」

夷也荊

第1話

 菊は秋の味覚の代表格だ。


 少なくとも私が住んでいるところでは、秋と言えばスーパーの農産品売り場の目立つところに菊が並ぶ。鮮魚コーナーに秋刀魚が並ぶくらいに一般的な光景だ。キノコが入れられているような透明で深いプラスチックの入れ物に、黄色の菊のがくより上の部分が詰め込まれている。片手で持てるくらいの重さだ。私には何が鮮度の基準か分からなかったが、祖母はいつも吟味していた。食用の菊はほとんど黄色のものだが、時に紫色の花弁も食用となった。この紫色の菊は「もってのほか」と呼ばれる。天皇家を象徴する菊を食べるなんてもってのほかだと言われるからだとか、昔の殿様が食べていたものを庶民が食べるなんてもってのほかだと言われるからだとか、由来は様々あった。しかし今でも明確な由来は分かっていない。


 時には畑で栽培しているご近所さんから、菊を大量に貰うこともある。ビニール袋いっぱいの菊の生首が、新聞紙の上にごろごろと転がる。その生首を一つ一つ拾い上げ、手作業で丹念に花びらだけを毟っていく。幼い私でも簡単に毟れるほど、菊の花弁は脆かった。一方のビニール袋に花弁だけを入れ、もう一方には花弁を失ったがくを入れた。菊の花弁は湯がいて、おひたしや酢の物にして食べた。少し苦みのある菊は、好き嫌いが分かれる。私は運動会などでポンポンを作るビニールテープを口に入れた時のような食感と、独特の苦みを嫌っていたため、ほとんど食べなかった。

私が菊を見る時、私の中ではいつもパチンという何かが弾けたような音がする。頭の後ろの方でその音が鳴る。ちょうど後頭部の辺りだ。髪を切ってもらっている時の感覚を持ちながら、それとは明らかに違う大きな音だ。紙を切っている時の音よりも、ずっと重い冷徹な響きだった。


 食用菊の黄色の花弁を毟ってはパチン。もってのほかの紫色の食用菊を毟ってはパチン。新聞紙に散らばった黄色と紫をビニールに入れてはパチン。それを熱湯でゆでてはパチン。なめこと菊を酢で和えてはパチン。菊を見た時しか響かないこの音の正体に、私は薄々気付いていた。


 この音は、亡くなった曾祖父がたてていた音だ。使っていたのは、ずっしりとした剪定用のハサミだった。オレンジ色が鮮やかに生えるグリップの先についた、無骨でよく切れる黒い刃。どんなものでも切れそうな刃は、太陽のもとではギラリと光った。それを握る曾祖父の歪で皺だらけの歪な手。曽祖父の手は小指が欠損していたり、小指と中指が交差するように歪んでいたりしていた。昔、柿の木に登ったせいだと言われていたが、幼い私にはその記憶がない。柿の木は枝が折れやすく、曽祖父が登ったことで折れて枝もろとも落ちてきたのだと言う。その時に、手が不自由になったらしい。しかし不自由と言っても、曽祖父は器用だった。ご飯を食べる時もちゃんと箸を使いこなしていたし、私の塗り絵も色鉛筆を使って塗ることができた。家族の言う不自由さと、曽祖父の不自由さは違っていたのかもしれない。


 曾祖父は白い観賞用菊を丁寧に育て、品評会に出していた。昼間など明るい時には、曾祖父は外で毎日菊の選定作業をしたり、虫が付いていないかとか、病気になっていないかとか確認したりしていた。私が小学校に行く時には私に「行ってらっしゃい」も言わなかったし、帰ってきても「お帰りなさい」も言わなかった。「行ってきます」と言った朝とほとんど同じ体勢を維持したまま、曽祖父は菊の観察に余念がなかった。ほとんど同じ場所に座って菊を確認していたから、菊の一本一本にかける曽祖父の時間も思いも、鬼気迫るものがあった。ひ孫の私でさえ、曽祖父と菊の間には入って行けないほどだったのだ。



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