第23話 復讐の牙

 死体巨人(ネクロ・ギガント)が、埋め込まれた無数の口から絶叫を上げながら、丸太のように太い腕を振り下ろした。  石造りの床が粉砕され、破片が弾丸のように飛び散る。  ただの力押しではない。その巨体から緑色のガスが噴き出している。


「毒霧だ。吸えば肺が溶けるぞ」


 俺が警告すると同時に、セレナが反応した。


「風よ!」


 彼女が杖を振るう。  突風が巻き起こり、迫りくる毒ガスを巨人の方へ押し戻した。  巨人は自らの毒を浴びても平然としている。  エリスが飛び出し、巨人の横腹に黒剛鉄を叩き込んだ。


 グチャリ。


 肉が弾け飛び、肋骨ごと胴体がえぐれる。  だが、断面から即座に肉芽が盛り上がり、数秒とかからずに傷が塞がっていく。


「チッ! キリがありません! こいつ、斬っても殴ってもすぐに元通りです!」


 エリスが舌打ちをしてバックステップする。  ゾルが高笑いする。


「無駄だ無駄だ! この巨人は城内の地下魔力炉からエネルギー供給を受けている! 魔力が尽きない限り、何度でも再生する!」

「魔力供給だと?」


 俺は冷ややかに笑う。  奴は自分の弱点をペラペラと喋っていることに気づいていない。  俺は巨人とゾルを繋ぐ、視認できない魔力のパスを【鑑定】で捉えていた。  供給源は地下ではない。正確には「中継点」がある。


「ファナ!」

「なんだ!」


 巨人の腕を回避しながら、ファナが叫ぶ。


「あの肉塊を倒す必要はない。巨人の再生を制御しているのは、ゾルが持っているあの杖だ」


 俺はゾルが握りしめている、骸骨の意匠が施された杖を指差した。


「あれを折れば、巨人はただの死体の山に戻る」

「なるほど……! 単純でいい!」


 ファナがニヤリと笑う。  彼女は巨人の攻撃をかいくぐり、一直線にゾルを目指そうとする。  だが、ゾルも警戒した。


「させん! 守れ!」


 巨人の背中から生えた無数の腕が伸び、ゾルの前に肉の壁を作る。  さらに、ゾル自身も障壁魔法を展開した。


「邪魔だァッ!」


 ファナが爪を振るうが、分厚い肉の壁に阻まれる。  再生速度が速く、切り開いてもすぐに塞がってしまう。


「くそっ、道が開かない!」

「エリス、セレナ。こじ開けてやれ」


 俺が命じる。


「了解です!」

「はいッ!」


 エリスが黒剛鉄を天高く放り投げた。  そして自らも跳躍し、空中で落ちてくる鉄塊をバレーボールのようにスパイクした。


「吹き飛べぇぇぇぇッ!!」


 音速を超えて射出された数トンの鉄塊が、巨人の胸板を貫通し、さらに背後の肉の壁ごと粉砕した。  風穴が開く。  その穴の向こうに、驚愕に顔を引きつらせたゾルの姿が見える。


「な、なんだその馬鹿げた威力は……!?」

「今です! セレナ!」


 エリスの合図に合わせ、セレナが魔法を放つ。  破壊の魔法ではない。  氷の魔法だ。


「凍りつけ(フリーズ)!」


 絶対零度の冷気が、巨人の傷口と肉の壁を瞬時に凍結させた。  再生しようとする細胞が凍りつき、動きを止める。  開いた風穴が固定された。  ゾルへの道が、完全に開通する。


「いけぇぇぇッ! ファナァッ!!」


 エリスの檄が飛ぶ。  ファナはすでに加速していた。  四つん這いになり、地面を削りながら疾走する獣。  彼女は凍りついた巨人の体内をトンネルのように駆け抜け、ゾルの眼前に躍り出た。


「ヒッ……!?」


 ゾルが悲鳴を上げ、杖を掲げて防御しようとする。  遅い。  ファナの動きは、老人の反射神経で捉えられる領域を超えている。


「返してもらうぞ……私の人生をッ!!」


 閃光。  ファナの爪が交差した。  カキンッ、という硬質な音と共に、骸骨の杖が三つに断たれて宙を舞う。  同時に、杖に込められていた魔力が暴発し、ゾルの障壁を内側から吹き飛ばした。


「あ……あぁ……私の最高傑作が……」


 ゾルが呆然と呟く。  背後で、魔力供給を断たれた死体巨人が、ドロドロと崩れ落ちていく音がした。  ただの腐肉の山へと還っていく。  ファナは止まらない。  彼女は杖を失ったゾルの胸ぐらを掴み、床に押し倒した。


「ま、待て! 待ってくれファナ! 話し合おう! 私はお前を強化してやった恩人だぞ!?」


 ゾルが必死に命乞いをする。  ファナは冷たい目で彼を見下ろし、ゆっくりと口を開いた。


「恩人? ああ、そうだな。お陰で私は、人間をやめることができた」


 ファナの口が、限界まで大きく開かれる。  その牙は、猛獣のように長く、鋭く伸びていた。


「ひぃぃぃッ! やめろぉぉぉッ!」


 ゾルの絶叫。  次の瞬間、グシャリという生々しい音が謁見の間に響き渡った。  ファナがゾルの喉元に喰らいつき、その気管ごと肉を食いちぎったのだ。  鮮血が噴水のように舞い上がる。  ゾルは喉を押さえ、ゴボゴボと赤い泡を吹きながら痙攣し、やがて動かなくなった。


 ファナは口元の血を拭おうともせず、死体に唾を吐きかけた。  そして、ゆっくりと振り返り、俺を見た。  その顔は血まみれだったが、憑き物が落ちたように晴れやかだった。


「……終わったぞ、ご主人様。これで、私の借りはチャラだ」

「ああ。いい牙だった」


 俺は短く称賛する。  部屋には静寂が戻る。  残ったのは、崩れ落ちた肉塊と、絶命した宮廷魔導師。  そして、玉座で失禁しながら震えている国王だけだ。


 俺はコツコツと足音を立てて玉座へ歩み寄る。  国王は視線を泳がせ、俺と、血に濡れた三人の女たちを交互に見た。


「ひ、ヒィッ……た、助けてくれ……! 国をやる! 王位も譲る! だから命だけは……!」


 なりふり構わぬ命乞い。  一国の王としての威厳など欠片もない。  俺は玉座の前の階段を上り、王を見下ろした。


「譲る? 違うな」


 俺は王の襟首を掴み、玉座から引きずり下ろした。  王は無様に転がり落ちる。


「これは簒奪(さんだつ)だ。お前がくれるものではない。俺が奪い取るものだ」


 俺は空になった玉座に腰を下ろした。  背もたれの感触を確かめる。  男爵の椅子よりも上質だが、どこか血と腐敗の臭いが染み付いている気がした。  まあいい。座り心地は悪くない。


「エリス」

「はい」

「この豚を地下牢へ放り込んでおけ。殺すなよ。生かして、新しい王の誕生を宣言させる証人にする」

「御意。ほら、立ちなさいよ元国王様」


 エリスが王を引きずっていく。  俺は玉座から広間を見渡す。  セレナが崩れた天井から見える月を見上げ、ファナが血のついた爪を満足そうに眺め、ミラが懐から手帳を取り出して早くも戦後処理の計算を始めている。


 王国は落ちた。  今日から、この国は俺の所有物だ。  俺は深く息を吐き、ニヤリと笑った。  だが、これはゴールではない。  大陸にはまだ、帝国や聖教国など、多くの勢力が残っている。  俺の領土拡大(コレクション)は、まだ始まったばかりだ。

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