side 空
「やめてよ、触らないで」
「いいだろう、一緒に飲もうよ」
近づくと男が橋崎友姫の腕を掴んで引っ張っている。
『あのさーー、おっさん』
「あのさーー、おっさん」
「何だよ、お前」
俺は、きいさんが喋る通りに、言葉を紡ぐ。
きいさんが伝えてくるイントネーションで話す。
「その人嫌がってんじゃん。何してんの?」
「お前には関係ないだろ」
『今だ!そいつの手を掴め、空』
「あのさーー、おっさん、汚い手をどけなよ」
「いたたたたた、わかった、わかったから離せ」
「もう二度と近づかないか?」
「近づかない、近づかないから」
手を離すと男は離れていく。
たぶん、彼は先輩の事務所の人だ。
きつく掴みすぎただろうか?
「ありがとう、お礼に一杯おごらせて」
「いえ、いえ。こんな綺麗なお姉さんにおごってもらうわけにはいかないですよ」
「まあ、冗談言わないでよ」
「冗談じゃないですよ。俺、入り口から見てましたもん。綺麗な人が座ってるな、一緒に飲みたいなーって」
橋崎友姫は、嬉しそうに微笑んでいる。
綺麗なんて言葉を使いたくない。
見た目は、無理をして若く見せるのに必死だ。
いつでも男をひっかけたいのだろう。
太ももの長さまでのピッチリした赤いミニスカートを履いている。
『指輪を見せて』
きいさんからの指示で、橋崎からは見えていなかった左手を見せる。
橋崎は、俺の指に視線を向けた。
「遠慮しないで、一緒に飲みましょう」
「でも、俺みたいなのと飲んでたら、申し訳ないから」
「いいから、いいから。立ってるの疲れちゃったし、座りましょう」
橋崎は俺の手を掴んで、カウンターの椅子に座らせる。
触れられるだけで、怒りが沸き上がってくる。
だけど、冷静でいなくちゃ。
バレたら終わりだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ビールでいい?」
「はい」
橋崎がビールを頼んでくれる。
真っ赤なマニュキュアに真っ赤な口紅。
赤が好きなのがわかる。
「あなた、名前は?私は、
「
「いらないわ。下の名前だけでいいわ」
「お待たせしました」
「ありがとう、マスター、乾杯しましょう」
「はい」
くねくねと体をくねらせながら、上目遣いで俺を見る。
こういうのが、好きな男もいるんだろうけど、俺は気持ち悪いと感じる。
確かに、スタイルは少しぽっちゃりしているがいい方だろう。
カチンとグラスを合わせて、俺はビールを飲む。
「
グラスについた赤い口紅を拭いながら、橋崎友姫は俺を見る。
『結婚して2年なんです』
「結婚して2年なんです。だけど、奥さん嫉妬深くて疲れちゃって。今日は、残業って嘘ついてここに来たんですよね。結婚向いてなかったなーーって思うんですよ。友姫さんは、結婚してるんですか?」
「してるわよ。私みたいなおばさん、してない方がおかしいでしょ、フフフフ」
「おばさんってどこがですか、全然見えないですよ」
「あら、冗談がうまいのね」
「冗談じゃないですよ。残念だなーー。こんな綺麗な人とお近づきになれたと思って喜んだのに……。結婚してたら、もうこうやって飲めないですよねーー」
ガッカリした素振りをしながらビールを飲む。
俺のキャラクターとは全然違う話し方に、時々笑いそうになってしまうから……何度もお腹に力を入れる。
「飲めるわよ」
「えっ?いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない。空君みたいな若い男の子と飲める機会なんてないじゃない。こんなおばさんは……」
「若いって、俺もう29ですよ。おっさんです。それに友姫さんは、おばさんじゃないですよ」
「えぇ、じゃあ、いくつに見える?」
「そうだなーー、33?」
「そんな訳ないじゃない。私は、もう、47よ。空君に近いぐらいの歳の息子もいるんだから」
橋崎友姫は、あからさまに嬉しそうにしている。
やっぱり、きいさんは凄い。
俺は、きいさんの指示通りに話しているだけなのに橋崎の気持ちが傾いているのがわかる。
「ええ、見えない。本当にお母さんなの?」
「本当よ」
「羨ましいな、旦那さんと息子さん」
「どうして?」
肘をついてグーにした両手に顔をのせながら、俺を見つめて話してくる。
中学の頃、陽菜が嫌いだって言っていた女の子の仕草に似ている。
「毎日、綺麗な友姫さんを見れるからに決まってるでしょ」
「空君って、嘘が上手いのね」
「嘘じゃないよ、本当だよ。俺の奥さんが友姫さんだったら、毎日帰るのになーー」
「そんな事言ってくれるなんて、嬉しいわ」
「友姫さんは、彼氏とかいるんでしょ?俺なんか入る余地がないぐらい素敵な人なんじゃない?」
「何で、そう思うの?」
「こんな綺麗な人を放っておく男はいないよ。だから、旦那さん以外にも相手がいるのかなって。今も、待ち合わせしてるでしょ?さっきから、鞄気にしてる」
「そうねーー。彼氏はいるわ。だけど、彼はもう帰ったわ。ここは、一人で飲みに来てるだけ」
橋崎は、カクテルグラスについたオリーブをくるくる回しながら笑う。
「好きなんだねーー、その人が……」
「好きじゃないわよ」
「そうなの?じゃあ、俺にもチャンスあるって事?」
「ええ、チャンスは空君にもあるわ」
「でも、好きじゃないのによく付き合ってるねーー」
「なかなか落とせなかったのよ。それが、最近、ようやく落とせたの」
「へぇ、どうやってって聞いてもいい?」
「フフフ、駄目よ。そんなの話したら、空君を落とすのに使えないじゃない」
「俺は、そんな事しなくても、もう落ちてる……なーーんてね」
「フフフ、欲しいものは手に入れなきゃね。恋だって、クレーンゲームだって落とすまでが楽しいじゃない」
「凄いなーー、俺も、もっと落とされたい」
ブー、ブー、ブー
「電話?」
「奥さんからだ。今日は、帰らなくちゃ」
「空君」
「これ、連絡先。よかったら、連絡してよ!会社の携帯だから、奥さんにはバレないから。じゃあ、ごちそうさま」
ビールをいっきに飲み干すと、女が近づいてくる。
「あれーー、ゆみちゃん」
「人違いです」
「あーー、すみません。間違えました」
女は、橋崎の鞄に何かを入れたのか、つけたのか?
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。じゃあね、空君」
「はい、ごちそうさまでした」
俺は、振り返らずに店を出る。
ゲーム……。
橋崎の言葉に、だんだんと怒りを覚えてきた。
橋崎にとって、先生の旦那さんを落としたのはただのゲーム。
だけど、先生の旦那さんじゃなくてもよかったはずだ。
何故?
先生の旦那さんじゃなければならなかったんだ。
「お疲れさま、
「先輩、俺、うまく出来ましたか?」
「上出来だったよ」
「お疲れさま、まさか、ここまで俺の指示通りに動いてくれるとは驚きだよ」
「的確な指示のお陰です」
「連絡がきたらやり取りは、きいちゃんがするから、心配するな」
「ありがとうございます」
「じゃあ、帰るか!空は、明日、先生に報告しなきゃいけないだろ?」
「ちゃんと伝えます。橋崎友姫の事……。それと、もう一つお願いがあるんですが」
「何だ?」
「もしも、橋崎友姫が先生の旦那さんを誘惑する事に決めたのが、この記事だったとしたら」
「週刊誌の記事か……」
「俺は、週刊誌に嘘をついた近隣住民も許せません」
「空の気持ちはわかる。だけど、それはちゃんと先生に確認した方がいい」
「どうやって?」
「そうだなーー、もしも、橋崎が乗り込んできたりしていずらくなったら引っ越せるかって聞いてみたらどうだ?」
「わかりました。聞いてみます」
「引っ越せるって言うなら、俺達が近隣にも罰を下してやるから」
「ありがとうございます」
もしも、あの記事のせいで旦那さんがターゲットにされたなら、もちろん俺にも責任がある。
真実を確認せずに週刊誌に話した近隣にも責任があるはずだ。
「じゃあ、帰ろう」
「はい」
先輩が家の前まで送ってくれた。
明日は、先生に話さなくちゃいけない。
真実を知った先生がどれほど傷つくか……。
さっき、話している時に、橋崎友姫に触れられなくてよかったと何度も思った。
もし、触れられていたら、俺は先生にもう触れられない。
触れてはいけない気がする。
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