side 空

 陽菜の所に行かないで家に帰ってきた俺の前に何故か陽菜がいる。



「今日、お店開けてないの?」

「空、助けて」

「えっ?」

「早く家に入れて」

「わかった、わかった」



 俺は、急かされるまま家の鍵を開ける。

 開けたと同時に陽菜は玄関で靴を脱いで中に入っていく。



「ちょっと待って。何があったんだよ、陽菜」

「ごめん。ちょっとお客さんがストーカー?みたいな感じでね」

「それで、店閉めたの?」

「ううん。今日は、その人が立ってるの見えたから開けずに空の家に来た」

「そうだったんだ。家まで送ろうか?」

「家に帰ったらお母さんが心配するから、今日はここに泊まる」

「ここに?!」

「何驚いてんのよ!私達は、裸を見せあったなかでしょ?」

「裸って小さい頃だろ?誤解を生む発言はするなよ」

「誰が誤解するって言うの?されたって、空は困らないでしょ?彼女いるわけじゃないんだから」

「困るよ。誤解されたら」

「どうして?」

「今、コーヒーいれる」

「待って、空。誰に誤解されたら困るの?」



 くっついてこようとする陽菜を無視してキッチンに行く。

 陽菜は、「誰?」と繰り返しながら俺の傍にやってくる。



「ねぇ、誰?空」

「誰でもいいだろ」

「よくないよ」

「何でだよ」

「だって、私は空が好きだもん」



 驚いた顔をして陽菜は、慌てて口を押さえる仕草をした。

 俺は、やかんに水を入れている最中で。

 勢いよく蛇口を捻っていたせいで、水がポコポコとやかんから零れはじめている。



「ごめん、今の忘れて。やっぱり、私帰るね」

「待って、陽菜。危ないから送るよ」

「さっきの誰か教えて」

「それは……」

「先生なんでしょ?」



 陽菜の言葉に俺は何も言えずに黙ってしまう。

 そしたら、陽菜は「図星なんだ」と言って俺を覗き込む。

 「ごめん」と言いそうになった俺を陽菜は凝視してから「やっぱり、帰るのやめた」と言って鞄をダイニングの椅子に置いた。



「じゃあ、コーヒーいれるよ」



 やかんから零れる水を少し捨ててから、火にかけた。



「空は、勘違いしてるんだよ」

「えっ?」

「私、コーヒーよりビールがいい」



 近づいてきた陽菜は、ガスコンロの火を止めて冷蔵庫を開ける。



「飲んでいい?」

「いいよ」



 ビールを持って行くと陽菜はプシュと開けてゴクゴクと飲み始めた。

 さっき陽菜は何て言ったのだろう?

 聞き返すのは失礼な気がして、俺も冷蔵庫からビールを取り出した。



「一緒に飲もう」

「あたりめとポテチぐらいしかないけどいい?」

「いいよ、いいよ。ビールは、じゃんじゃん持ってきて」

「じゃんじゃんってほどないよ。お店じゃないし」

「じゃあ、あるだけ」

「わかった」



 そのまま冷やしていた6缶パックとあたりめとポテチを持ってダイニングに座る。

 500ミリリットルの6缶を片手で持つのは、この距離でも重い。



「乾杯」

「乾杯」



 ゴクゴクとビールを飲みながら陽菜を見るとポテチをパーティー開けしていた。



「空は、お母さん知らないんでしょ?」

「まあね。小さい頃に出て行ったから。顔も覚えてない」

「それよ、それ」

「何が?」

「空は、勘違いしてるの」

「勘違い?」

「そう。47歳の先生を好きだって勘違いしてるの。それは恋じゃなくてお母さんを求めてるだけだから」



 陽菜の言葉にビールを飲む手が止まる。

 お母さんを求めてるだけ、そんなわけない。



「違うって言える?」

「お母さんを求めてるわけじゃない。俺は、先生を好きなんだ。優しい所とか一緒にいると心地いい所とか……」

「それを恋だって、空は本当に言える?」



 陽菜に詰め寄られると途端にわからなくなる。

 俺は、恋愛ってものをちゃんとしてきた経験がない。

 母親に捨てられて父子家庭になった俺。

 そんな俺に新しいお母さんが出来たのは、5歳の夏だった。

 俺は、新しいお母さんに甘える事はしなかった。

 母さんも父さんも働いていて忙しくて、家にはほとんど深夜近くに帰宅していたから。

 陽菜達家族が俺の面倒をみてくれていた。

 だからこそ、陽菜にへ向ける愛情なのかと問われたら答えられないのだ。




「俺は……」

「つうか、先生とそうなれるの?キスできる?」

「それは、できる」

「じゃあ、その先は?その先にいったら地獄しかないんじゃないの?」



 その先にいける自信はあるけれど。

 陽菜の言う通り地獄しかない。

 そんな事をしたら、先生の家庭を壊すだけだ。

 俺は別に、先生の家庭を壊したいわけじゃない。

 先生には、幸せでいて欲しいんだ。



「別に、何もしないよ。俺は、先生と一緒にいられるだけでいいから」

「バッカじゃないの!そんな綺麗事言えるのは恋じゃないからよ」

「そんな事ないよ」

「あのね!好きって綺麗事じゃないから。どうしても欲しくなるの。一緒にいると苦しくなるから一緒にいれなくなるし……何度も何度も気持ちを伝えたくなるの。だけど、失うのが怖くて、勇気が出せなくて。それが、人を好きって事だから。だから、空が先生を思う気持ちは違うから」



 ボロボロ泣きながら話す陽菜の言葉を否定する事は出来なかった。

 否定したらきっと陽菜は、もっと泣いてしまうと思ったから。

 俺は、先生の事が好きだけど。

 陽菜の事も好きだから……。




「ごめん。何か酔ったかも。まだ、全然飲んでないけど空きっ腹だったし……」

「もう、寝な。歯ブラシ出すよ。歯磨いてる間に寝れるようにするから。ベッド使って」

「ありがとう、空。ごめんね」

「謝らないでいいって。歯ブラシ、歯ブラシ。あった」

「鞄から出てきた?」

「たまに会社に泊まるからね。歯ブラシは、必需品」

「そっか、そうだよね」



 陽菜が洗面所に行ってる間に、俺はベッドの上の布団を直す。

 「深森ん所って幸せな家族だよな」同級生が家に遊びに来て、俺の家や写真を見て言った言葉を思い出した。

 人には、幸せそうに見えていたのだ。

 母親は、後妻だけど、俺を嫌っていたわけではなかった。

 ただ、少しだけ母親は子供が苦手だっただけ。

 殴られたり、罵倒された記憶はない。

 ただ、両親は俺をほったらかしにしていただけに過ぎない。

 そこに愛情があったのかなかったのか確認はした事がなかったし……。

 なんてわざわざ聞く事はおかしいと思っていたから確かめはしなかった。




「もう、寝るね」

「布団直したから。俺は、こっちで寝るから」

「うん、ありがとう。おやすみ」



 戻ってきた陽菜は、申し訳なさそうな顔をしながら笑っていた。

 確かに陽菜の言葉に怒りたい気持ちはあったけど。

 ムキになるのも何だか違う気がした。


ーーピロン


【深森君、今日はみっともない所見せてごめんね。わざわざ来てくれてありがとう。嬉しかったです】



 先生から入ってきたメッセージを見つめる。

 ありがとうや嬉しかったって言葉だけで救われる。

 先生を好きでいていいんだって思えた。

 俺が、今、すべき事は一つだ。

 先生の旦那さんを浮気相手から取り戻す事。

 その為に、頑張るから。

 だから、先生。

 もう、苦しまないで欲しい。

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