雪庭に紅さす頃

双思双愛

雪庭に紅さす頃

冬の寒さが肌に沁みる頃だった。

 こちらの気配に気づいて振り向くとき、赤いリボンでまとめられた髪が揺れ、彼女は目を見開いた。

 彼女の濡羽色の髪はとても美しかった。肌は雪よりも淡く、外気を寄せつけぬようだった。細身の体に似合わず、口だけはしっかりしていた。

「御前、名は」

 と尋ねたとき、彼女は顔を赤く染めてほぅ、と小さく白い息を吐きながら云った。

「お母様に知らない方へは教えてはダメと言われているから無理よ。そもそも私に名前を聞く前に貴方が名乗ったらどうなの」

 と、気丈に返してきた。

 後に彼女はこのときの話をくすくすと笑いながらしてくれた。

『あのとき、本当はとても怖かったのよ』

 と。知っていた。袴の裾から見える編み上げブーツを始め、すべてが目に見えるほどわかりやすく震えていたのだ。

 その後も私は名を名乗らず、彼女も名を告げなかった。だから今も互いの名を知らぬままだ。だが、話すときに敬称がないのは不便極まりなかったので私は彼女を椿と呼んだ。彼女は私をキツネさんと呼んだ。

 なぜ椿なのかと問われたが返答しなかった。

 理由はごく単純だ。彼女が椿のようだったからだ。

 私がキツネさんと呼ばれたのは私の頭に狐の耳が生えているからだろう。

 それから彼女、もとい椿は、学校帰りの夕暮れに私を訪ねるようになった。雪が鳥居に舞う頃、誰にも気づかれぬよう、そっと石段を上ってきた。


 「又、来たのか」

 そう、椿に問うと、外套についた雪を手で払いながら石灯籠に腰かけて云った。

「いいじゃない、だめなの?……そんなことより聞いてちょうだいよ!キツネさん、ろみおとじゅりえっとってお話はご存知?」

 頬を林檎のように赤らめ、嬉しそうに彼女は私に話す。

「知っているわけもないだろう。まぁ、君がそんなふうに生き生きと話すというのはどうせ恋物語なんだろう?」

「いいじゃない、恋物語。私には縁遠い話なんですもの。恋なんて」

 こっちを見て、拗ねた顔をする。そして顔をプイとそらした。あぁ、面倒くさい。こうなった椿の話は聞くしかないのだ。

 「で、その話がどうかしたのか」

 そう聞いてやるだけで彼女は機嫌を良くして林檎色の頬で私に話をしてきた。

「あのね、異国のお話なのだけれど敵対している家の男女が恋に落ちて、死ぬの」

「……すまない、話の展開についていけなかったのだが、つまり二人は物語の最後で死ぬのか?」

「えぇ、ちょっとしたすれ違いでね」

「はぁ」

 なんというか、何が良いのかが全くわからなかった。死ぬのが素晴らしいという話なのだろうか。

「意味がわからないって顔をしているわね」

「嗚呼、まぁ」

「この話は奥が深いのよ。貴方はもう少し長い忍耐力を持って話を聞いてちょうだい」

「で?」

「急かさないでちょうだいよ。このお話の素敵なところは敵対する家のロミオとジュリエットが一目惚れするところなの!家族の反対を押し切るところには涙が出そうだったわ」

「バルコニーで愛を誓い合うところも素敵だったの」

 キラキラとした目で椿は海外の小説について私に話した。それに何も返さないでいると椿は不満げな表情で私を見て拗ねた声で話を続けた。

 「どうせ、貴方のことだから御伽噺、とか夢だとか思ってるんでしょう」

 合っている。椿の口から白い息が少し漏れた。

「私にはできないことなのよ。恋も、恋愛も、お父様とお母様に少し、反発することさえも」

 椿は来春に両親が決めた婚約者と結納するのだそうだ。両親のことが好きだし、婚約者も優しい。だけど結婚だけは私自身が、恋をしてみて、人を好きになってみてから考えてみたかったそうだ。 そんなものはあくまでも夢だと、私は思うがそんなふうに言うときっと椿は怒るので黙っている。

 

「貴方には関係のない話ですもの、私の結納もろみおとじゅりえっとも」

「貴方が聞いてくれているだけで私は感謝しないといけないことは私だってわかっているのよ」

 椿は鞄を抱きしめるように抱え、下を向いて呟いた。

 



 「いっそ、このまま貴方が私を奪ってくれたらいいのに」



 「は、無理な話だ」

 そう言って苦笑した。彼女なりの冗談だろう。可愛らしい願いだった。


 「えぇ、知っているわ」

 

 そういって椿は笑って、その後何回か会いに来て少し話をしていたら、春の風に誘われるように、椿は私の前から消えた。

 彼女とはそれきりだ。


 

 きっと彼女は、優しい家族と旦那様に恵まれて幸せに暮らしていることだろう。

 わざわざおめでとうと祝うことはなかったが彼女が幸せなら何よりだと私は思っている。

 春になるとあの時の彼女の顔を思い出す。

 冬に現れて、春に消えた。だから冬が来ればまた会える気がして、木枯らし一番が吹くと、無意識に鳥居を見やってしまう。


今年の冬も、彼女は来ない。

彼女は春にさらわれたままのようだ。

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