第4話
ステータス画面の【名前:なし】という表示が、どうにも収まりが悪かった。
SEの性だろうか、空欄(NULL)を見ると埋めたくてたまらなくなる。
それに、たとえ姿が犬になろうとも、俺の根っこは変わらない。
(俺の名前は、佐藤奏多だ)
心の中で強く念じる。すると、半透明のウィンドウが明滅し、文字が書き換わった。
名前:奏多(ソウタ)
(よし。これで正式に、俺の第二の人生(犬生)がスタートしたわけだ)
奏多は小さく鼻を鳴らしてウィンドウを閉じた。
名前が決まれば、次は行動だ。
まずはこの世界での「スタート地点」の安全確保と情報収集が必要である。
「クンクン……」
さっそく、スキル【嗅覚強化】を意識して鼻を動かす。
途端に、世界が「匂い」という色彩を帯びて脳内に流れ込んできた。
湿った岩の匂い、腐葉土のような甘い匂い、そして微かだが、どこからか吹き込む風の匂い。 視覚よりも鮮明に空間を把握できる。
これが犬の世界か。
匂いの粒子を解析するように、慎重に洞窟内を歩き回る。
どうやらここは洞窟の入り口近くではなく、少し奥まった空洞のようだ。
今のところ、自分以外の生き物の気配――特に敵対的な獣の匂いはしない。
《熟練度が一定に達しました。スキル【嗅覚強化】がLv.2に上がりました》
頭の中に無機質なアナウンスが響く。奏多の尻尾がブルンと振られる。
(来た!これだよ、これ!)
ただ周囲の匂いを嗅いでいただけだ。
それだけで確実に強くなっている。費やした時間は、必ず報われる。
次は寝床だ。この冷たい岩の上で寝たら、HPが削られて風邪を引くリスクがある。 子犬の身体は驚くほど燃費が悪いようで、少し動いただけで強烈な眠気と空腹感が襲ってきていた。
安全に休める場所を確保しなければならない。
奏多は壁際の、岩が少し窪んで風除けになっているスペースに目をつけた。
あそこをベースキャンプにする。だが、床が硬すぎる。
彼は近くに生えていた乾燥した苔に目をつけた。
前足を使って、ガリガリと苔を剥がしていく。肉球が少し痛むが、気にしない。
剥がした苔を口にくわえ、窪みへと運ぶ。 剥がしては運び、剥がしては運び。
地味で単調な作業。だが苦痛ではなかった。
苔の山が少しずつ高くなり、フカフカのベッドが出来上がっていく様子は、プロジェクトの進捗バーが100%に近づくような快感があった。
「ワフ(……ふぅ)」
一時間ほどの労働の末、子犬一匹が丸まって眠るには十分な苔のベッドが完成した。 達成感に浸りながら、その真ん中に身体を埋める。
岩の冷気が遮断され、苔の暖かさが腹に伝わってくる。
《特定の行動により、新スキル【巣作り Lv.1】を習得しました》
《VIT(耐久)が 1上昇しました》
(よしっ!)
新しいスキルの獲得に、思わず前足を上げる。
ただ寝床を作っただけで、スキルもステータスも上がった。
この世界は、なんて素晴らしいシステムで動いているんだ。
心地よい疲労感と共に、強烈な睡魔が襲ってくる。
HPは満タンではないが、精神的な充足感は満タンだった。
(おやすみ、俺)
奏多は丸くなり、鼻先を尻尾に埋めると、深い眠りへと落ちていった。
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