第2話
寒い。
それが最初の感想だった。
死後の世界というものは、もっと無機質な虚無か、あるいは天国や地獄といった判定が下される場所だと思っていた。だが現実は違う。
ゴツゴツとした硬い岩肌の感触が、背中から直に伝わってくる。
生きている、のか?
目を開けようとするが、まぶたが酷く重い。
全身が鉛のように気怠く、手足の感覚が奇妙だった。
いつものスーツの締め付けがない。それどころか、肌に直接冷たい空気が触れているような……いや、何かに包まれているような不思議な感覚だ。
ゆっくりと目を開ける。 視界がおかしかった。地面が近い。いつもなら一七五センチの高さから世界を見下ろしているはずなのに、今はまるでハイハイをしている赤ん坊のような視点の低さだ。
起き上がろうとして、手をつく。 ペチャリ。湿った音がした。
薄暗い視界の中で、自分の「手」を見る。
そこにあったのは、使い古されたキーボードを叩くための細長い指ではない。
クリーム色の毛に覆われた、丸っこい前足。 黒くて小さな肉球。
は……?
声を出そうとした。
「ワンッ!」
口から出たのは、愛らしい鳴き声だった。 奏多――いや、かつて奏多だったモノは、パニックに陥りそうになる思考を必死に抑え込んだ。
周囲を見渡す。日光は届かない。
湿っぽく、カビ臭い空気。岩肌が剥き出しの天井。
どこからか水滴が落ちる音が反響している。どうやらここは、どこかの洞窟の中らしい。
俺はトラックに撥ねられて死んだはずだ。なら、これは夢か? それとも転生ってやつか?
状況を確認するため、彼はよちよちと歩き出した。
四足歩行は初めてのはずなのに、身体が動かし方を覚えている。
少し歩くと、岩のくぼみに雨水が溜まっている場所を見つけた。
わずかに差し込む微弱な光が、水面を鏡のように照らしている。
彼は恐る恐る、水溜まりを覗き込んだ。
そこに映っていたのは、くたびれたサラリーマンの顔ではない。 垂れた耳。つぶらな瞳。思わず撫で回したくなるような、モフモフとした毛並み。
嘘だろ。
水面に映るその姿は、紛れもなく、彼が最期に命と引き換えに助けたあの子犬――いや、それよりももっと愛くるしい、最高に可愛い子犬だったのだ。
「クゥーン……」
マジかよ。 無気力なサラリーマン・奏多の第二の人生(犬生)は、薄暗い洞窟の中で、とびきり可愛い姿で幕を開けた。
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