第12章 女二人相対す

 夕方――。

 あかつき市の空が茜色に染まり、街全体にほのかな熱が残っているころ――。


 ひなたと冴姫は、学園から少し離れた場所にある場所。

 住宅地の霧島タウンに佇むスーパー銭湯――。

「郡真温泉物語」 の暖簾をくぐっていた。

 ひなたはふと、内心でつぶやきを漏らす。

(女湯に――亮は連れていけないわね。私なら大丈夫だけど)


 テニスコートの空気から一転して、鼻をくすぐる木の香りと湯気。

 脱衣所には、夕方の客のざわめきが優しく響いている。


 冴姫はタオルを肩にかけながら、まるで息をつくように言った。

「……こんな感覚、久しぶりだわ」

 言葉は短いのに、背景が深い。

“人と肩を並べる普通の時間”を、久しく忘れていた人の声。


 ひなたは水着の肩紐を外すかのような自然さで笑う。

「水泳部だと……ほとんど裸と変わらないですけどね。こういうの、案外慣れてます」


 冴姫はふっと笑った。

 珍しく、張り詰めた空気が少しほぐれる。

「そうかもね……なんか碧唯さんって自然ね。距離の詰め方とか……」

「え? ほめてます?」

「ええ。一応ね」


 軽いやり取りが続く。

 ひなたは冴姫の身体を見てつぶやく。

「明智さんって――モデルさんみたいですね。胸も大きいし、羨ましい」

 冴姫が遠い目をして言う。

「そう?テニスでは、邪魔になるだけよ。ラケットも振りにくいし……」

「女子でも男子でも――憧れると思いますよ。亮だって……」

「寺本さんが?私の?」

「内緒です」

「ふふふ……そんな言葉――大海とカナからしか聞けなかったわ」

 テニスコートでは見せなかった冴姫の“素の顔”が、湯気の中で少しずつ見えてくるようだった。


 二人は脱衣室を離れ、浴室へ入る。

 そして、湯船の方へ歩きながら、ひなたがふと目を細める。


 ――ひなたの共感力が、冴姫の感情に触れた。

 

 冴姫の切ない思いが、湯気とともにひなたの心に滲んでくるようだった。

(……明智さん。本当に“普通の時間”を忘れてたんだ……誰かと肩を並べることさえ、ずっと避けてきたんだ……)


 冴姫は湯の縁に手をかけながら、ぽつりとつぶやいた。

「ずっとね……人と一緒に入る気になれなかったの。 足のこと、見られたくなかったから。それだけじゃないけど……」

 彼女の手は無意識に、豊かなバストに添えられている。

「ここは――嫌いだった。昔から……けど、大海とカナは誉めてくれた」

 

 ひなたの視線が――冴姫の手を、鋭く捉えた。

(亮の奴――あの時も、ジロジロ見てたわね……また肘鉄してやるんだから!)

 ひなたは湯に浸かりながら、静かに言葉を返す。

「でも、今日は……一緒に来てくれたんですね」

(自分を許せなかった――そういうことなのね……)


 冴姫は少しだけ視線を逸らす。

「あなたが……変な遠慮しないからよ。“普通に扱ってくれる”って……こんなに嬉しいものなのね。大海とカナ以外はね」


 ひなたの胸が熱くなる。

(……冴姫さん。やっぱり敵なんかじゃない……味方になってくれる人だ)


 そして、湯船の水面が揺れる。

「冴姫さん。松平さんのこと……もう少しだけ話してもらえませんか?」


 冴姫の表情に影が差す。

「そうね……けど3か月前から何も連絡してないわ。これは本当よ」

「ファウンデーション事件の時から?」

「私がテロ組織とつながっていた――そんなこと言える?あれ以来、“怖くて”連絡できなかった……」

「言えないですね――確かに」


 すると、冴姫の視線が水面に落ちた。

 瞳に戸惑いが浮かんでいる。

「けど――仙華が……ファウンデーションだなんて」

 冴姫の肩が、湯気の向こうでごくわずかに震えた。

「ライバルだったのよ――お互いに切磋琢磨を……」


 ひなたの表情が強くなる。

「本当なんです。私と亮――白影トンネルで彼女に殺されかけた。それに……」

 冴姫が訝し気に視線を向ける。

「それに?」


 ひなたは強い視線を冴姫に向ける。

「彼女はペンダントをつけてました――ファウンデーションFoundationのエンブレムの……」

「仙華が――?」

 冴姫の表情が強張る。

  

 湯気の中で、二人の距離は確実に近づいていた。

 ひなたはふと内心でつぶやく。

(明智さん……松平さんを本当に信じていたんだ……この反応は嘘じゃない……)


 そして、ひなたは微かに疼く――自身の左肩にそっと手を当てた。

(私も――傷が残った……けど、後悔はしてない)


 視線が冴姫を真っ直ぐに見つめる。

 力強く――だが、人を慈しむ目……。

(皆んなを守るため――京子も……)


(明智さんは――左足だけじゃない……心まで……)


(私は――京子を取り戻したい……)


(明智さんも……)

 

 仙華の謎と、京子の失踪――。

 それらは――今、つながろうとしていた。

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