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 最初はまた空き巣に入られたのだと思った。でもヤクザだらけのマンションにわざわざ入る空き巣が、いるか? とは言えしばらく茫然としていたが、壊されたものの片づけがてら室内を歩き回るうちに、動揺は少しずつ収まっていった。程なくして盗られたものも分かった。あちこちにリカバリーとしてのコピーを作っているから、盗まれたこと自体は致命傷じゃない。そもそも盗んだとしても普通の人間なら、まともな使い道があるとも思えない。最も、謝りたくない相手に謝らざるを得ない状況に追い込まれたという点は、不快だが。

 苛立ちがてら掃除を続けた。ガラスの破片を表通りのドンキで買って来たちりとりと箒で、無心で集めている頃には、結局どうでも良いものばかりが壊されていることに気づいた。いつまでも捨てられなかったスーツケースには刃物で派手にバツ印が入っていた。鬱陶しい思い出を存在ごと切り捨ててくれるような潔さだ。

 いっそこれ、ベランダから外に捨てるか。この前自転車落とすバカもいたことだし。

 しかし、脱捨離をこんな風にやってくれるのなら、ついでに冷蔵庫の中身も満杯にして欲しいもんだ。精神的な回復力が優れているのは俺の長所の一つ。現に、またものが少なくなった部屋で、この程度の虚勢を張れる位にはもう回復している。


 ――ここまで書いて俺は何をやっているんだと、勇飛は思った。津波のようにものが溢れかえった部屋で何をやっているんだと。動揺したら文章を書いて気持ちを静めるようになったのはいつ頃だろうか。PC上にあるのは、NPOの理事をしつつ、テクノロジーを享受する街の一住人としての権利を公平に行使するためのアプリツール。携帯版もあるが、さすがに小さな画面で背中を丸めてしこしこ書く気にはならない。書いた傍からAIに食わせるためのコードが裏で回りつつ、校正専門のAIの自動推敲が入ることで、ワード上に出現した傍から主述の漏れや表記ゆれが、生真面目で小心者のゴーストライターが悲しい職業病を発揮するようにそれらしく補正されていく。記述終了を宣言した時点で最も効果的なフォントが演出され、自分に紐づくウォレットアドレスが本文前に追記される。奇しくも今はドアドアだから餌の認定がバックグラウンドで下りたらすぐ、手動で止めない限り、学習用データの海に圧縮して投げ入れられるだろう。NPO理事の場合は、職業性優位を補正するための追加要件として、相当に信頼性の高い第三者由来の情報源を最低二つ添付しなければ餌として認められない。無論、現状で添付など出来ないから、これはゴミの駄文と見なされて廃棄される。だから今はこんなことをしている場合じゃない。いい加減そろそろ出かけなくてはならないのに。

 現実逃避のために書く文章には虚実が入り混じっている。最も弱い、言い訳という虚が。自分が見たいものだけを見るのが、人の常なんだろう。埃を被った本が床にひっくり返されている。デスク兼食卓として使っていた折り畳みテーブルには真新しい傷が無数に付いていて、それを囲むように、酒の空き缶と酒瓶が散乱している。もったいない。付近のフローリングには酒の水たまりが出来ている。これらは、基本的には俺が一人で飲んだものだった。

 盗まれたものはあるにはある。直近のアップデートでゴミに成り下がったデータが入ったUSBメモリーと、数日前の誕生日にプレゼントされた財布。

ここで分かった。要するに同棲解消ということだな。同棲と言っても、事務所でだが。

 眼前の事実をありのままラインで伝えた上で、「お前何か俺に言いたいことあるんじゃないの」と水を向けた。すぐに既読になったが、返信はない。あいつ、今どこにいるんだ? この状況でスルーはしないだろうが、万が一ということもあった。腕時計に目をやると午後二時。時間帯からしてフリースクールで、スタッフとして勉強を教え終えた頃か。

 今日は給料日だから、大方、いつもの場所で時間を潰しているだろうか。銃撃事件があったにも関わらず営業を続けている奇跡のカフェ。

 せあらがテーブル席で、堅気ではない人間に挟まれて悠々とコーヒーを啜っている様が、勇飛には容易に想像出来た。

 あいつ何気に生活力ありやがるから、もし俺達と出会わなければ、水商売をしながら、ああいう輩と同棲して歌舞伎で生きていたかもな。客に貢がせた金で、自分の店を出す位はしたかもな。

 だが俺の家の住所をどうやって知ったのか。深夜帰りの闇に紛れて尾行でもしたか? 住人の過半数がヤクザ、半グレ、中国マフィアの役満であるこのマンションの周囲を、愛人でもない女がうろうろするのはそれなりに危ないだろう。どうでもいい情報しか渡してないから、餌の元原稿で割れたということは、絶対にないと断言出来る。まさかハッキング? バカな。あいつは俺が持ち歩いているサブ携帯のロックも外せない。職場に置いてある資料は引っ越し前の住所だったし、末端のPC端末も、アプリ開発元が推してきたAI駆動型のセキュリティ監視サービスとやらでその先のサーバーごと守られる。つまり乗っ取られる可能性はあいつ一人の犯行であれば、限りなくゼロに等しい。

 無駄な仮説で思考を消耗している気がして、今はこれ以上考えても無駄と勇飛は結論付けた。どっちにせよ忍び込まれたのだ。家に忍び込まれるだけならホスト時代にもあった。実被害が大したことないのだから、直接会って詰めた方が早い。

 ゴミ溜めから爪先歩きで脱出し、鍵を掛けて外に出る。中にゴミしか入ってなくても、これ以上荒らされたくない。そのまま寂れた廊下を歩き、階段を下る。歌舞伎で深夜女が一人歩いていても、歩き慣れた足取りであればホス狂かトー横キッズだと思われる。足取りがぎこちなければホストの初回初体験帰りか、道に迷った観光客だろう。通行人やキャッチ、客引きと人の目が多いので、監視カメラがない裏路地に行かない限りは、ナンパや売りの打診をされることはあるが、いきなりレイプされることはない。そこが海外のハーレムとの決定的な違いで、広場で流血沙汰の喧嘩が起こっただけで携帯で取り囲んで大騒ぎの、呑気な国民性にも腹立たしいほど表れている。

 赤煉瓦の団地然としたマンションを出ると、条件反射で未だにたまに使うバリ風ホテルに目をやる。昨日税務署に行く前に見たニュースによると、またホスト絡みの無理心中があって、ワンフロア閉鎖中だと。大通りに出ると、仕立てのいいスーツを着た一軍とすれ違う。懐かしい風にあてられた。遅いランチだろう。管理職らしい同世代の男が、五名ほどの部下を引き連れていた。歩道一杯に広がって歩いていて避けなかった。先頭の男が避けなかったからだ。歌舞伎の人間には道を譲る価値がないと思っているのだろう。男は空を見るついでとばかりに勇飛の全身を盗み見た。死ぬほど鬱陶しかった。それは自分の感じ方の問題だと、分かってはいたのだが、今回ばかりは安全圏内から好奇心を満たそうとする様が、今の自分の焦燥の塊を無遠慮にさらおうとするように見えた。上司の視線を追って部下達も同じような視線を投げかけて来る。若い彼ら彼女らはより一層好奇心を隠そうとせず、上司を盾にして絡みつくような視線を投げかけて来る。不快感を覚えた勇飛はまとめて怒鳴りつけてやりたくなったが、すんでの所で堪えた。ここでモーゼのように突っ切るのは余裕がないと思われる。目を逸らす理由も全くないのでホスト時代のマナーを巧みに駆使する振りをして道を譲ってやった。そして一番後ろを俯いて歩いていた気弱そうな女に道を譲らせた時にざまあみろと思い、裏拳で一人ひとり、最後の女も含めて殴ってやる妄想をした。最後に離れる時に、何か小声で言われたようだが、生憎イヤフォンをしていたので、聞き取れない。

どうせ聞く価値のない、被害者面のセリフだろう。左手側にはバブル期のホテルの居抜きを思わせる、自社ビルが鎮座している。

 どうやって詰めようか、と考え続けていたが結論は出なかった。それ以前にどうやって対峙するか、プランが全く浮かんでこない。当然のことだった。勇飛は最近では、ほとんどの会話を外注している。今は事前に質問するとたたき台のトークスクリプトが数秒で提示される。即興だと時間がないからその場で会話の筋を予想するに留まる状態だが、市販のノイズキャンセリングイヤフォンを改造したインカムが、アプリ開発元の親会社のメーカーでもうじき、試作されるだろう。自身と相手の生体情報を加味した上で、常時両耳に差し込んだ状態で聞こえてくる回答をそのまま復唱すれば大抵のことは、歌舞伎の情念で生きている人間相手でもあっけないほど丸く収まるようになる。歌舞伎の多様性を数列で変換してアルゴリズムで分類して対処する時代がもうじき来る。この流れは、止められないだろう。なんせNPOの監査役にはスクラップという形で、デジタル庁に籍があっただけが取り柄の精神障害の官僚を天下りさせている。監査の時期には勇飛しか動かず喋らない、という点において、バリアフリーも徹底されているのだから。

 想定された枠に収まらない形で、炙り出されたマイノリティは敵対しているか、言い換えるならばそれらは元々馬が合わない奴ら。真摯に付き合ったとしても見返りが禍の方が多いのは明らかだから、極力自滅に持ち込んで潰す手段を考える方が得なのだ。導入時に複製し、裏パッチの魔改造で倫理トリガーを外したサブAI――蔑称・ニートの七瀬と共に考えて、日々の小さな楽しみのように、少しずつ実行すれば良い。

 一連の些末なコミュニケーションの時短により勇飛は、自身の担当域に劇的な集中力を発揮していた。月次の消込をAIと共に数秒で片付け、減価償却の数字の辻褄合わせをパズルのようにこなした。経費計算の取り込みは携帯で撮影すれば、画像認識で必要なデータが自動取得される。オンライン銀行の取引データをワンクリックで流し、一通り定例の仕訳を入れさせた後、仕上げに自身のレトロ趣味になり果てた電卓検算、その後で必要に応じて数個の、端数調整のための補正仕訳を入れれば、目ぼしいルーチンは終わりだ。

 もはや数学アレルギーはおろか算数障害でも、やる気さえあれば一般会社はもとよりNPOの月次、更には四半期・年次まで締められる時代になった訳だが、発生した可処分時間を更に精査してろ過することで無駄な時間を見つけ出して始末する、ローカルbot粗製ロボット的行為によってなおもしぶとく浮かび上がった、「処分可能な時間」を今度は何に使うのか。

 勇飛は失われた日々の追悼に使った。断じて生身のコミュニケーションには費やさなかった。そんなものに費やす意味が分からない。リアルタイムで移ろいゆくものに思いを馳せるなど、無駄の極みだ。

勇敢に滅びゆく者は他者の思い出の中で、その功績を讃えられ続ける。今際の時に見る走馬灯の幻想に近しいという点でも、残された者に餞として贈られた思い出は常に美しい。相互間の自律自習が実現しつつあるAIによって、刻々と削られていく経理の専門性。その構造的欠陥をかつては憎んでいたはずなのに、今では痴呆症を発症した身内を見るような、感傷さえ抱いてしまう心地だった。経理という職種が、明日なくなったとしても、驚かない。むしろよくここまで長生きしたと、褒めてやりたい。

 赤子の手を捻るように簡単になったからこそ物足りなく、名残惜しい。俺を明るい日の下で食わせてくれた仕事。自らが定めた一日の作業ノルマを終えてもなお、数字と戯れ足りないと思える自分の、らしくない勤勉さに、今では苦笑する毎日だ。

 経理の現状がこうなら、その上位職種に当たる会計はどうだろう。殊に勇飛の本懐のNPO会計は。勇飛の体感ではNPOの不正会計は表に出ないものも含めてコロナ禍以降、右肩上がりだが、国の監督強化の腰は依然として重い。片や大企業相手では、会計学に己が人生の大半の時間を捧げることで、忠誠心を示した手勢の年収が下がらないように、かと言って預かり元のアヒルを締め付けすぎて歳入減にも繋がらないように、民間ではあり得えないほどの牛歩戦術を用いて、錬金術に精を出しているというのに。

 まあ今更厳密に整備した所で天下りを示し合わせで拒否されても困るので、都民の告発制度である住民監査請求に花を持たせて自主的にはやりたくないというのが実だと思うが、監査に録音が義務付けられている訳でもなし。何らしがらみなしの立場としてはこの遠慮の塊を見過ごす義理もない。未だ治外法権が保たれている中、監査法人出身の会計士様が自ら仕訳を切る形で、その正確性を担保したNPOは、歌舞伎の悪すぎるイメージを差し引いてもなお、存在価値はある。

 やっていることはどぶさらいと残飯漁りだが、仮に外野からそう見えていたとしてもNPOの支援者達は、おくびにも出さない。そんな奴と長年つるんで金のやり取りをしていたことが明るみに出れば、各々の株も連動で暴落するし、その心もこれまで以上に病的にささくれ立つという点で、惨めだ。

 見た目は泥船だが、それは面倒事を呼ばないための擬態に過ぎない。実際は周囲の浮ついた期待と歌舞伎の澱んだ空気をその腹にため込んで、軽やかに漂い続ける。歌舞伎の大気汚染が進めば進むほど、船は更に舞い上がり、その汎用性からゆくゆくは東京中、日本中の汚染された空も縦横無尽に飛べるようになるだろう。これが人嫌いでも出来る、本当の孤高の作り方だ。

 この甘い汁を吸うためのシステムの八割は自分が作り上げたと勇飛は自負していた。いや歌舞伎の人間心理の操作に関する部分では、AIの世話も含めて、ほぼ全部自分の経験が頼みにされた部分もあると言える。ゆえに自ずと思った。一匹狼になるための詰めが甘すぎるあんな小娘に、このやり方を卑怯だと言われたくない。言わせはしない。それでも言おうとするのなら、前に遊びでやったようにガムテープで口を塞いでやると。

 最初に掛ける言葉は、AIに練りに練らせた結果、相手が俺で良かったな、にすることにした。映画でよくあるくさい台詞だ。どうせ自分が何をしているのかも分からないのだから、時間短縮のためにフィクション色を濃くして尋問をしやすくすればいい。現に他人だったら適当に被害をこじつけて、とっくに警察を呼ばれている。お前だって未成年淫行やった癖にと言われても、すれすれでかわせると勇飛は思っていた。向うから誘って来た音声は録音しているから、手を出したのが成年ぎりぎりだったことも絡めた上で、訴えられたらSNSで純愛だったと繰り返して、火だるまで延焼するように煽ればいい。

 所詮よくある話だ。歌舞伎でなくても、仕事で色恋沙汰を演じていた人間がその職域を超えて客を本気で愛してしまうことが、贖罪的な真心の発現として大多数の良心に支持されるからくりなのだから。しかも自分もその茶番に無様に取り込まれてしまっていた頃もあるから、嘘がバレるリスクも軽減される。境遇の相似を感じながら抱いた瞬間など、本気でそう思っていたのだから、足を引っ張られる罪悪感自体が生まれようがない。

 勇飛は七瀬に連絡しようとして止めた。携帯をしまう。今連絡して、何になるというのか。

 積極的に関わる度胸がないがゆえに見て見ぬ振りをしていたビビり弁護士のあいつが、何かするとは思えない。むしろ己に火の粉が掛からないように良きに計らうだろう。

 歌舞伎の救世主と持ち上げられた気鋭のNPOのお家騒動は格好のゴシップだが、社会の必要悪であるがゆえに弁えているメディアは叩かない。七瀬にマスコミ対応など、任せられる訳がない。なんせゴシップを嗅ぎ付けて押し掛けるのは、口調が下種すぎて、法廷のようなお上品な場所では、その声を聴くこともないメディアなのだ。

 あいつ本当は対人恐怖症なんじゃないか。そんな疑惑を、長年勇飛は抱いていた。たまたま居合わせた雑誌インタビュー。目が合っただけの自分にさえ話しながら会釈をするほど礼儀正しかった記者に対しても、仏頂面でぼそぼそと受け答えし、話が終わったらそっけなく追い出していた。頑なな不愛想さ。冷淡で洗練が足りなかった。せめて一貫性があれば、ああ典型的な弁護士先生の振る舞いだと思い込むことが出来たのに、ペットボトルのお茶ではあんまりだから何か気の利いた飲み物と思って事務所のドア脇でかがんだ時に目に入ったのは、七瀬の神経質な手の震え。

 審廷とは別人のあんな危うい不均衡を見せられて、威嚇だけは一人前の卑怯者と思うなという方が無理だ。あいつの弁護士の鎧の中は、深淵以前のただの洞だと、あれを見て確信した。

 勇飛は、もう失望はしなかった。士業には元々そういう奴が多いと思っていたから、今回も予想通りと思っただけ。

 最終判断をするのは人間だからそこで問題にされるのは前例の有無で、それ以前の訴求で重視されるのは、悲しいほど単純な心理学だ。士業の矜持。志と威勢はいいが、その定型化が可能な業務性質上、提示されたデータを分析して当たり前に毛が生えた結論を引き出すだけのマーケティング職や、埃の被った専門論文を虎の威にして、誰も得しないアドリブをしたり顔でやらかすコンサルタント職を駆逐するのと同様に、性格の良いAIに外注しまえばそれで済むフェーズに、認めたくなかろうがもう到達している。職人気質の暑苦しい根性論は2023年以前の遺物として、急速冷凍されつつある。未来にはこう考察されるだろう。まだAIの技術的脅威がなかった時代、一人でも多くの人間を社会的に適合させるためのギプスとして、士業なるものは機能していた可能性がある、と。

 その意味で、対人恐怖症の七瀬と自分は、一蓮托生なのだ。至近距離で同じ蓮の上に座る絵に勇飛は過剰な仏教色を感じてしまうがゆえに馴染めないし、生理的にも嫌だが、七瀬が助ける気がないならないで、別に構わない。その時は自分が蹴落としてスキームだけもらう。あの「健全」なホスト通いの素晴らしさを、インスタのDMで送られてきた撮影者不明の動画を通して、世にあまねく広めてやるまでだ。


 思えば勇飛自身も、愚直に生きるのが、本質的に向いてない性格だった。元々金のために始めた仕事であり活動。多少のノスタルジーに包まれたとしても、それ以上の意味はない。

非合理な教義を信奉する異教徒の祭壇に必要とあらば唾が吐けるように、仕事の意味自体を自己批判することは、勇飛の場合はいくらでも出来た。実際、目を細めて疑惑の対象を観察すると、巧妙に隠しているはずのからくりが露わになるのだ。同胞の雇用を守るためだけに数世代に渡って作り上げ、仕込まれた複雑さだけが取り柄の幼稚な玩具を祀り上げて簿記のロジックの妙だの男女の心の機微だのと、御大層な題目を付けて老いも若きも有難がっている光景は、外野から見れば酷く荒涼で、不気味な異様さしかない。そんなものに庇護されたくないと思いながらもそうするしかなかったので無心で利用し、本格的に吐き気がし出した時点で、体よく抜け出した。

 日向であれ日陰であれ、そんな生き方だ。目の前の生活を積み上げていく行為には賽の河原の不条理な徒労を連想してしまう。救いなのは、紅葉の手で積み上げる、石塔よりも遥かに強固で気高い親の期待を裏切った子の罪を滔々と説くしゃがれ声を自分は全く知らない。鬼を知らないのだから、救いの手を差し伸べる仏も知らない。茶番に守られた生の謳歌を端から望んでいないのだから、かつて育った施設の大人達に不信心だと責められようともそれで良かった。 

 二十一世紀になっても未だに宗教戦争が続く世界で、この考えは、マイノリティの中でも異端で、十九世紀後半に似た考えに至った異邦人の哲学者が狂死した例よろしく、この世界のどこにも受け入れ先がないのだ。

 いけ好かないとは言え仲間を裏切ったことに対する罪悪感は、至近距離で詰問すれば恐怖と共に絞り出るだろう。勇飛はせあらが涙を流せることを知っていた。あの涙が快楽によるものでも、そこに流れている情緒の存在を感じさせた時点で負け。「あたしは囲い込める人間」と暴露するも同義なのだ。


 今どこにいる、話したいんだけど。


 自分でも気持ちが悪いほど下手に出たラインの返信は、「いつものホテル、広場の」だった。数人で金を出し合って泊まっているのだ。トー横キッズの収入源は、市販の配信アプリの投げ銭と案件と呼ばれる援助交際か、立ちんぼだ。いずれも案件とぼかして一丁前の仕事を装っている様が、勇飛には悲しいほどガキに思えていた。程々に仕事が出来ればいい警察の片目と、撮れ高さえあればいいとほざく点で、仕事に対する姿勢はキッズと何ら変わらない世直し系ユーチューバーの両目の視野角を掻い潜りながらの仕事は、金が払われるまで一時も気が抜けない日雇い土方のようなもの。出来得る限りのリスクヘッジを目的としたルームシェアは内輪の常識で、広場に面したビジネスホテルか、表向き高級路線のマンガ喫茶のシアタールームをその日暮らしのねぐらにしている。

 前は野宿という手もあったが、界隈が社会問題化してパトロール強化されてからは選択肢から消えた。仲間がいれば比較的安全に過ごせるのは、ここでも同じだった。仲間内で金を回せなかったり、トラブルを起こしたりして追放されたり、悪い意味で有名になった子はトー横でも孤立した。そんな状態で金がなければ路上で寝るしかない。成人済みで身分証はたまたま持っていないと言い張っても、連日同じ言い訳ならさすがに補導される。補導後はすぐに親元に強制送還されるから、ハブられた子はトー横に留まり続けるために過酷な条件の案件を一人でこなさざるを得ない。理不尽の極みのような親との暮らしを続けるよりも、ここで大人を騙したり体を売ったりしながらしのいでいく方がまだましという価値観で生きているのだ。

 カップラーメンの本社ビルの向かい、仏と変わらない顔で石化した古代インドの恋人達の前を、勇飛は携帯をいじりながら横切る。そのまま個人商店の多い二車線の通りを、新宿駅方面に歩き続ける。歌舞伎の特徴的な建物の先端が、もうここから見えている。灰色の薄板のようなビルには、映画館と劇場とホテルが入っているが、いかんせん距離が遠すぎる。ここからの外観はオフィスビルと何ら変わらない。

 七瀬からもラインが一件来ていた。今日は裁判所に行っているはずだが、もう戻って来たのか。今ちょっと、空いてるかな? 空いてる訳ない。というか、先に要件を言え。ホスト時代の営業電話を掛けていた頃の気分になる。どうでもいい女への気遣いは無用だ。携帯のAIを呼び出して文章を作らせるまでもない。同趣旨の内容を単語でぶつけたら、無意味な謝罪があった。

 時間がないならいい、今どこにいるかだけ教えて。何だその卑屈な態度は。逆に腹が立った。が、その程度の情報なら開示してやってもいい。せあらと打ち合わせ。今広場に向かっている。いつもの花壇の前。二人きりで会うのは隠さない方がいい。今日は夜にフリースクールの補習がある。今からの話し合いは十中八九纏まらないから、きりのいい所で打ち切って残りは補習後に続ければいい。キレたければお好きにどうぞ。弁明の権利は行使するが、そっちの表現の自由まで侵害する気はない。そんなに嫌だったのなら、なぜ自分からホテルに誘ったのか聞きたいものだ。ディープフェイクの使用合戦になるだろうが誰がどこまで騙されるかのデータは貴重だからぜひ収集したい。

 というか、同メソッドの色恋なしバージョンで育てているホストの奴らが役割に慣れるまではいてくれないと困る。理由は簡単。一時的に守りながら回す形になるからやりにくい。

抜けるにしてもその方がせあらにとっても都合がいいはずで、ゆえに逃げるという選択肢はないと勇飛は思っていたのだが。

 そもそも何で本来であれば保護される側のお前を俺達がすんなり雇ったと思う? 学生バイトの態できてもらいたいからと、出させた履歴書の内容のうちどれが本当でどれが嘘か、俺達は初めから知っていたんだが。今でもはっきり覚えている。面接は終始和やかに進んだ。あの時の映像も残っているから、どっちに転んでも不利になるのはお前だけど。

 もう一度聞くけど、お前それでもいい?

 巨大なホストクラブの看板が、ゆっくりと近づいて来る。掲載されているホスト達の顔の造作が目立つより先に、右手前に、より情報量の多い装飾を施したビルが現れる。パリのキャバレーとベガスのカジノをステアしたような、レトロな電球サインが印象的なビルは、八階から地下二階までの全フロアをホストクラブとキャバクラが占めている。歌舞伎では典型的な水商売だけで回っているビルで、店の入れ替わりも恐ろしく早い。かつてここに、勇飛が初めてホストとして働いた店もあった。

 大手グループの億プレイヤーだったホストの独立店だった。朝六時から十二時までの二部営業の小箱で独立時についてきた子飼いの部下を中心に回していた。新人の面倒見はやたらと良かったが、最速で稼ぎたかった勇飛には馴れ合いが鬱陶しかった。一人前になってもばら撒かれ続ける飴は、もらう意味が分からないがゆえに居心地が悪く、纏わりつくような甘ったるい空気も相手への媚びでしかなかった。最初とは言え日和ってこんな店を選んだ自分自身を恥じたものだが、最低保証給の存在と辞めた後で噂の種にされることを思うと速攻で辞める選択肢はなかった。だが、こんなぬるま湯でも売れなさ過ぎてヘルプ専業をほざくようになった先輩と、影でその様を嘲笑いながら本人に対してはそのまま突っ走れといやらしく煽る雇われ代表の背中を見る度にどうしようもない苛立ちと焦燥を抱くようになり、営業中にジュビリーの瓶でまとめて頭をかち割りたくなった時に、辞めた。

 我ながらよく飛ばなかったと思う。店の名前は今でもはっきり覚えていて、ここまでの道も未だに身体に染み付いている。自分の女々しさにうんざりするからさっさと忘れたいのだが。風の噂ではとうにマネジメント業からも退き、田舎に引っ込んだそうだ。今は名義だけを歌舞伎に残し、賃貸物件の又貸しでこそこそ稼いでいるそうだが、それも果たしてどこまで本当か。

 このビルは第一ビルで、同名の第二、第三ビルは歌舞伎のもっと奥にある。第二ビルの屋上にはなぜか等身大のスパイダーマンの人形があり、なんであんな所でしゃがんでんの、とにわかの間で話題になっている。

 狭くなる道幅と比例して、すれ違う人間も増える。往来の人種は大別すると三種類だ。歌舞伎に昼の店を構えて商売をしている地元の人間、その店の主要客層である半分寝ながら歩いている夜職の人間、そして昼間から飲み歩いている所属不詳の輩達だ。徒党を組んで歩いている輩の多くは内輪の笑いに興じている。仲間とつるんでいる時は常に自分の踏み台に出来るネタを探していて威勢が良いが、一人になった途端、死んだように静かになり、ポーズで誤魔化そうとしても自ずと分かる加齢に抗えなかった顔や職業不定のみすぼらしい服装も相まって目のやり場に困るのだった。着飾っていてもそのほとんどが、動くマネキン程度の知性しか持ち合わせてないのは夜職の奴らも同じだが、勇飛にとってやりきれないのは、自分達が目を掛けている子らであっても、歌舞伎で流されるがまま漫然に生きていれば、すぐにここまで堕ちてしまうという現実だった。

 だが、今ではそんな奴らの視線さえも意識してしまっている。

 ほぼ歩道と変わらない道幅まで狭まった頃には、店名ではなくホストの源氏名が掲げられた看板がほとんどになって来る。うらぶれた外壁を覆うような看板の下には、昼間でも付けっぱなしの過剰なライトで装飾された案内所や両替所が、回転率重視の飲食チェーン店の間にひしめいている。

 彼らが出勤前に立ち寄る美容室や、同伴で使っているアフターバーの人気店も混じり出す。極めつけがホストの広告が壁一面に張られたド派手な駐車場。そこを通り過ぎるとキッズ達のねぐらの茶色い看板が目印のネットカフェがある。置物のように小さい交番の前を大股で通り過ぎ、更に左に曲がると、文字通り広場はもう目と鼻の先だ。あいつのことだから叫ぶことはないと思うが、念のためにホテルの部屋を取るか。いや止めよう。最初からリミットを決めた会話。普通にホテル前の花壇に呼び出せばいい。そう思って携帯を取った。

 このタイミングでラインの通知。

 誰から? また七瀬からだ。ウザい。思わず舌打ちした。誰に告げ口をされるか分からないから、他人がいる前では絶対にしないと、ホスト時代から決めていたのに。 

 本音ではそこまで怒らせた奴が悪いと思う。だからこれは俺ルールのようなもので、最悪、どうってことはないのだ。そりゃそうだろ。現に忙しいと言ったのに、空気が読めない。本当に急ぎの用ならあいつの性格的にラインじゃなくて電話してくる。

 勇飛の予想は当たった。案の定、電話が鳴った。


 今せあらちゃんともういるの?


 なぜか声が小さい上に記憶喪失のババアのような質問。いなかったらどうだと言うのか。もうすぐ着く今忙しい、と機械的に応答して無理やり会話を終らせ、瞬時にせあらとのラインに切り替える。 

 ブスの癖に空気も読めない奴は最悪だ。口に出した瞬間にこっちの品位を自動的に下げられる社会のペナルティの仕組みも理不尽で、コロナ禍の閉鎖空間で煮詰まった多様性重視の流行に本能ガン無視で乗った結果ひり出されたバグとしか思えない。

 親指で隠れるほどのプロフィール画面に小さく映ったせあらの端正な顔が大写しになった瞬間、勇飛は不覚にも脳が自動的に癒されるのが分かった。

 こんな状況でも美しいものに癒される。俺の脳はつくづく現金だ。自らの理性を散々弄らせた後で、その理性で詰め殺すのが死ぬほど好きな俺はサイコパスなのかもしれない。

 だがそんな奴は歌舞伎には腐るほどいる。俺がそうだとして、それが何だ。

 せあらは花壇脇に出てきていた。すぐ近くでショーパブのダンサーだろうか、謎の女集団が赤い輪になってダンスを合わせていた。輪の真ん中ではスピーカーで音楽垂れ流し。普通なら相当目立つ状況だろうが、人工音に囲まれたここでは空気だった。平日の広場の人通りはそこそこで、穏やかな海程度の人波の狭間を、まだ十代と思われる野良犬めいた風貌のキャッチが、行きつ戻りつしている。人波は張りぼてビルに近づくにつれて川のように三分岐する。入り口からインバウンド価格、高層階に行くほど使途不明なサービス料が天ぷらの衣のごとく加算されていく合法ぼったくりビルにあえて入るか、ビル前の大階段を上り切った所で円座になって飲むか、ステップに座り込んで携帯をいじりながら暇を潰すか。広場脇にキッズ除けの青いバリケードが出来て以来、広場は狭くなった。都に雇われた痩せた白人の警備員が各々の選択を遠巻きに見届けていた。樽のような体形をした黒人家族が大型スーツケースの大荷物と共に、大階段右脇のビル用エスカレーターに突進していく。警備員は差別以前の反射で顔を顰めたが、彼の存在を微塵も認知しなかった一行は、エスカレーターで運ばれながら盛り上がっている。今日泊まる部屋が最大の関心事なのだ。

 日本語とそれ以外。相変わらずゴミのような騒音が溢れているのがありがたかった。喃語のような歓声がビル風に乗って聞こえる。何の用、ととぼけるせあらを、まずは睨んでけん制する。睨まれたせあらは、怯むことなく「え、なに?」と笑った。思わず勇飛も笑う。これからどんな風に料理してやろうか、という加虐の笑みに、秒で変容した。

 その時、後方で声が聞こえた。恐らく日本語。二人ともに聞こえたが、せあらだけが振り返った。普通では聞こえない声なのだ。例えば、中心人物が離席したり、全員が喋り疲れたりして、集団の会話がたまたま途切れた瞬間であれば聞こえる。広場もほんの少しだけ静かになっていた。だからこの声が聞こえた。だが、誰もまだ何が起きているか、気づいていなかった。当たり前だ。先に出現したこの沈黙をどうするかを考える方が先だった。埋めるか、意識的に無視するか。どちらを選択するかで集団内の立ち位置も変わる。皆他人を通して自分を形作るのに忙しかった。

 だが、無視された当事者はそのままではいられない。少なくとも「無視された」と感じた時点で、この世界から完全に手を放されてしまったと思い込むのだ。

 何の支えもなくなった。そう感じた当事者は、これまでに集めた寂しさを体内に抱え込んで自爆する。もう自爆しかないと悟った時、自らを排除した敵の群れに、トラウマとして強烈に刷り込ませられる派手な登場の仕方を、それとなく提示されて選択する。助言ですらない、示唆。選んでしまうのは人情だ。たまたま道連れに出来そうなはぐれ者が、視界の端にいたのならなおのこと。

 誰でもいい。近づきたいと思った。ただ人恋しかっただけかもしれない。でも、そんなこと恥ずかしくて、誰にも言えない。

 一方で何かを訴えるような声のようだったから、知りたいと思った人もいた。なぜ自分がこんな場所で他人の目を気にしているのか、繰り返しの末に分からなくなった人々は、より本能的なものに興味を移した。肝心の内容がよく聞こえなかったから、辺りを見回し、もう一度耳を澄ませた。

 だが無駄だった。遅かったのだ。耳をつんざく風切り音すらせず、ただ絶望的な衝撃のみがあった。








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