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テーブルの上には何もなかった。傍目には何かの取材のように見えるだろう。そう見えるようにあえてしてあるのだ。
不意に横を向くと担当の
アクセサリーをもっと追加しろだとか、裏で上からいろいろ言われてるんだろう。そう想像すると七瀬の胸はちくりと痛んだ。だが、自分一人の立場では、どうしようもないが先に立った。別に服装だけを見にきている訳でもない。願わくはずっと今のままでいて欲しかった。下手にホストを前面に出した子よりも話しやすいし、服に着られて服の雰囲気に呑まれている子と向き合うような気疲れもない。何よりもこの子の落ち着いた話し方に合っている。彼自身もそこは何ともなく分かっているようで、「ええとしばらくぶり? ですね」と、小首を傾げてはにかんだ。
頭上にはクリスタルが贅沢にあしらわれたシャンデリア。パールホワイトの光の放射を毎夜浴びながら働くこの子の秒給はいくらだろう。前に会った時よりも確実に上がったということだけは実感出来、我が事のように誇らしくなった。一秒でも長く隣にいてもらうために金を使う場所なのだから、視線を逸らすだけ損、ということは頭では分かっているのだが、シャンパン片手に何の衒いも感じさせない瞳で見つめられると、自ずと己の内に沈んでいた母性を掻き立てられる。同時に、お願いだから丁寧に扱って、という日頃から抑え込んでいた女々しい情欲も丸裸になっていく。とうに剥き出しになっているのに、いまだにこれは恥じらい、とふてぶてしく言い張るように、人見知りを続けようとする身体が、我ながら浅はかでみっともなかった。醜悪な欲をそれで抑え込めると決め込んでいるのか、身体にぐるぐると纏わりつく、頑迷な意思も、この上なく無様に思えた。何よりも己の性を中心に回っているこの状況の全てが汚く思えた。耐えられなかった。こんな汚物でしかないもの、いっそ全部、捨ててしまえたら。羞恥心で火照りに火照った自己意識が、そのまま業火に焼かれて火だるまになっている様を試しに、想像してみた。そしたら一気にすっとして、熱が冷めるように落ち着いた。
ホストクラブのBGMが大音量なのは、客に他席の会話を聞かせないためだ。今もフロアではテクノとトランスの灰汁を煮詰めたような、ただ音圧があってうるさいだけが取り柄のノイズが流れている。ミックスが最悪なだけであって個々の素材の音楽には罪がない。かつてトー横の作曲家を自称していた子からそう教えられた。耳が良すぎたがゆえにいろいろな声に振り回されすぎて広場に来ざるを得なかった彼女なら、これをどう作り変えるだろうか。売れたらホスクラで豪遊してやると意気込んでいたあの子は、広場でたむろしながらいつも仲間と自作の歌を歌っていた。そして巨大資本に一本釣りされる形で歌舞伎を去った。元アイドルのシンガーソングライターのゴーストになるために記憶を差し出して、もう何も覚えていない。
ノイズをノイズでかき消している皮肉に、もう誰も気づかない。もう誰もネタにしない。ホテルやバーのラウンジのシックな雰囲気を取り入れた壁には等間隔に鏡がはめ込まれ、床にはプロジェクションマッピングが常に流れている。その奥行きには果てがなく、辛うじて現実の床と視認出来る平面のど真ん中を突っ切るように音の洪水が流れる。無数の光の洗礼を受けながら、会話に疲れてふと遠くを眺めると、万華鏡を思わせるきらめきのベールの先に、無限の奥行きが広がっている。これが下半期に用意された、サプライズだった。初めて見つけた時には七瀬もその壮大な優美さとも言えるものに心を奪われ、話題に困っていたのもあって思わず夏月に話したものだ。夏月はしみじみと共感を示し、周りのヘルプのキャスト達は七瀬の喜びを何倍にも増幅させてはしゃいだ。
皆、我が事のように喜んでいた。年二回の改装というスクラップアンドビルドがもたらしたもの。どこにも敷居がないかのように思わせる演出を用いたその空間は、そこに内包されて働く人々の、変化し続ける人格の総体でもあった。
これがホスクラ、という略称でカジュアル化されている搾取空間、もしくはそう評されるものの内実だ。SM的とも言えるが、多様性の御旗の下で、ありとあらゆるものに強烈な光を当てて粗を飛ばそうとする昨今、そのプレイは双方が納得している「お遊び」という虚勢に瞬時に変換されてしまう。
七瀬自身、客として関わることは一生ないと思っていた。いわゆるホストに狂ったホス狂いの子に泣きつかれて初めて乗り込んだ時は、怒りの中にも現実感は乏しく、娘をいじめて廃人にしたクラスメイトの家に感情の赴くまま乗り込む母親の心境だった。
七瀬はむろん、子を産んだことはない。身体的には、産んだ子が自分同様に容姿に悩むかもしれない時点で産むべきではないと思っていた。精神的には、どんな性格で生まれてくるか究極的には分からない存在に、無条件で愛情を抱き続けられると断言出来ず、こんな無情な思いを抱いてしまうこと自体が産む資格がないことの裏付けだと考えていた。この思考は一生変わらないだろうと思っていた。経済格差の拡大で、子を持つという選択が贅沢になってからずいぶん経った。にも関わらず迂闊に産んでしまったことで幼児虐待に行きつく現実を日々目の当たりにし続けていれば、自ずとそうなるだろう。口の悪い人生の先輩方曰く、まだ子供の甘えが滲み出た非国民だが、それをおくびにも出さない限り、仕事しか知らない今時のかわいそうな若い人と見下されてかわいがられるという点で、全体主義の山を螺旋を描きながらハイキングする有閑階級に対しては、忠義を果たしていると言えた。
血の繋がりなどは七瀬にとっては、油と同じだった。
全く当てにならないというさっぱりした、ある意味潔い感情ではない。ぬらぬらと赤い触手を伸ばすおぞましいもの。月に一度、身体の内側から腹を殴られる。自分の血の始末さえやっている最中は女の枷としての情けなさに囚われている。後遺症さえなければ、子宮を毟り取ってしまいたいと思ったこともあった。生臭くて汚いのに、己が尊さを訴えるように、白地の上で赤黒くぎらつく様が、したたかに見えて鬱陶しい。身体が更に醜くなる感染症の危険も孕んでいるという点で、フライパンから直に排水溝に流される廃油にも劣る。
ただ作業であれば、血の後始末など、終わりが見えているからいくらでも出来る。NPOや弁護士の仕事も同様で、どんなに汚いものにも義務として触れられる。が、そうでなければ誰が好き好んで触るだろうか。七瀬にとっての敵は、感情だった。風呂に入っていない体臭やすえた臭いに、己の悪意を呼び覚まされることを、七瀬はかつて、恐れていた。
弁護士判断として間違ってはいないが、心理的に今でも引っ掛かるという意味で心残りの事例。理性に踏み台にされた情念の嘆きの悪夢を見せられているのだろうが、職責として、フラッシュバックが来た時は素直に身を任せることにしている。
数年前にこの場所で起きた事例。最初こそ修羅場だったが、相手方の主張を裏付ける物証がすぐに出てきた。初回来店時の
本来なら十八歳以上でオーケーですが、うちはお酒を出すので二十歳以上から遊べるルールでやらせてもらってます、とサングラスを掛けたまま慇懃に言い放つ代表の態度は確かにふてぶてしかった。が、それ以上にその縛りでもうちは問題なくここでやれるのだ、という一本気の通った自信の方が印象的で、水面下で脚を掴まれながら語りかけられているような、言われた側に漠然とした罪悪感を呼び起こさせる気迫がもう顕れていた。万が一、万が一ではあるが、もしかしたらこちらの方が言いがかりをつけているのではないか。この期に及んでまだ優柔不断かと、誰かに嘲笑われている気がする。向こうはもうとっくに気づいているという点で、もはや誰かではない。
七瀬は自分に言い聞かせた。この件について、私は絶対に正義の味方になってはいけないと。そして思った。私にはそれが出来ると。
造作なく出来ると、自分に暗示を掛けた。弁護士バッジを受け取った瞬間に、私の心の中に天秤が転写されている。だから、それをトリガーにして、後は全てが自動で動く。身体が主体となっているという点で、セックスの時の動きも同じようなものかと、感情が漠然と思わせたが、七瀬の場合はそれだけだった。一人で触った経験は遥か昔の思春期で、一時の気持ち良さよりも、熱が冷めた後の、身体が永遠に沈み続けるような虚脱と、汚らしく汗ばんで纏わりつく肉の不快感の方が記憶に残らざるを得なかった。
こんなふうに、依頼人を信じられなくなった時に、試験合格の瞬間に完成した、職枠の象徴としての、巨大で重厚な合理の天秤が本格的に作動する。責任能力があるのであれば、依頼人の歳はもはや関係ない。情状酌量を訴えるための、戦略としての価値を除いては。
二時間三千円飲み放題の初回料金では済まなかった。もう一目惚れをしていて、途中から指名に切り替えたからだ。いわゆる飲み直しと呼ばれる状態に陥っていて、初回ならば三千円で終わる所、二十万、自分の意志で支払うという選択をしている。接客に満足したからこそ正規料金で遊ぶ選択をした訳で、詐欺も脅迫も、この時点ではされていないことが窺われる。最も各々のキャラの「お約束」を把握していない初回の客にそんなことをするホストの方にも問題があると言えばあるが、あからさまな脅しや騙しもない以上、そこは法律では裁けない。
代表の態度に勇気づけられたのか、ラインのやりとりを全て共有してもいい、と言う担当ホストと連絡先だけ交換して引き上げた。売れているホストは大抵炎上を経験しているから将来的に自分も鍛えたい。殊勝なことですね、と皮肉を吐いたが、それしか出来なかった。
その後引越しの段ボールが溢れる事務所に帰り、女の子を呼び出して、現時点で知ったことを伝えた上で、「あなたを正しく守るために本当のことを教えて」と迫ったのだった。帰ってきた言葉は、「助けようとしたんだから責任持って最後まで助けろよ!」という安全地帯からの叱責だった。何度聞いても肝心なことには答えない。ただ目を吊り上げて激高し、強い口調で七瀬の考える「正しさ」の方向性を確認し、それが自分にとってずれすぎていることを、「大人」、「鈍い」という言葉で主張し、「何も分かっていない」という拒否で結んだ。
過去を正しく理解するための情報が与えられない状態で行えることは推測でしかない。前提が崩れた状態で行うしかなかった推測は当然ながら、始まりの発言の信憑性という所からして精度に欠けていた。
冷静に話し合おうと何度呼び掛けても無駄だった。逆に同調されない孤独を盾に、感情の赴くままに泣き叫ばれた。今なら分かる。言う通りにしたら負けなのだから、言うことなど聞く訳がない。
時間を置いても無駄だった。むしろ怒りがぶり返す分、再開した時の揺り戻しがきつく、もう通り過ぎたはずの地点からまた始まった。相手が自分だから駄目なのかと考え、カウンセラーをしている知人に事情を話してヒアリングを代行してもらったこともある。全くの無駄だった。七瀬に紹介された人間は七瀬のコピーの可能性が高いという疑念が彼女の中で芽生えていて、どこかのタイミングでやはりそうだと合点した瞬間に、一通り暴れた後、涙目で睨みつけるだけになったという。診断結果に甘える友人の轍を辿りたくないのか、はたまた闇落ちと嘯きながらも、自分が元いた社会との接点の消失を恐れているのか、あの子の場合は、発達障害と診断されることを何よりも恐れていたと後に聞いた。
民事案件だから警察の聴取も望めなかった。仮に依頼出来たとしても、トー横キッズが突然変異で生まれたと思い込んでいる、健全な青少年のイメージが昭和からアップデートされていない縦割り体育会集団の聴取など、気休め程度の効果しかないと思うが。
誰も何も教えてくれないのなら、こっちで何とかする。だがそれさえも仲間内で察知され、手酷く邪魔されることがあった。それならばと突き放したらSNSで冷たいと拡散され、真夜中に電話で自殺予告された。真夜中に、彼女にしか分からない視点で説教をされる。喋っている最中にこっちが叫びだしたいと思った夜もある。大人は傷ついても無限に立ち直れる仕様だと思っているのなら、どうか認識を改めて欲しい。何度願ったことか。絶対に本人には言えないが、本音ではこう考えていた。そんなに厳しく大人を定義付けてしまったら、近い将来首が締まるのは他ならぬあなただろうに。
私はあんたとは違うか。あたしだけはそうならないか。その根拠の片鱗も示さない状態でそう主張すること自体が、ダブルスタンダートではないか。頑なに心を開いてくれず、殺られる前に殺れとばかりに、昼夜問わず鳴り響く助けてコールに駆けつけるのが少し遅れるやいなや、棘のある言動でこちらの精神をずたずたに引き裂こうとする相手を、どのように理解して守っていけば良いのか、仮に出来たとしても私はそれを続けられるのか。何かに似ている禁忌の思考の無責任さに対して自己嫌悪を抱いた。だから返事は期待せず、ラインで独り言のようにその日の行動と結果を共有していた。仮に晒された時の説明はもう考えていた。味方が味方だと思えない一方で、敵であるはずの相手方からはいつ何時でも目ぼしい情報が、結果報告だけして頂ければ裏取りはご自由にどうぞ、という強気の一言と共に提供される。ならば自由にやってやろうと思って、向こうの息のかかっている相手を避けて別方向から攻めたが、調べども調べども現行の法律上は問題ない、むしろ一社会人の高額な遊びとしての自覚の甘さが、という論点に帰結するのだった。進捗報告の場では、仕方がないので淡々と進めると、心を見透かされたように営業の一貫だろうが先生も大変ですね、という同情の言葉が付き、果ては、「僕も今はこんな形で代表やらせてもらってますけど、駆け出しの頃にはめっちゃ苦労しました」という目から笑った笑顔の告白までされるようになった。もはやおちょくられているのか同情されているのか分からない有り様だった。
先生、あの子すごく難しいでしょう? メンヘラという矮小化された蔑称を絶対に使わない、世間話を装ったジャブの問いに、目を逸らし、いえいえそんなことは、と仏頂面で連呼する。またこの手の男のお約束の攻撃、と笑い飛ばせれば良かったが、まともな男性経験のない七瀬には分からなかった。何も片付いていないのに寝不足な状態特有の悲愴な心理も相まって、いたずらに精神を削られた。
和解で痛み分けに持っていくために、絶対に名誉棄損や傷害罪で反訴されないようにするために。そのために何を主張して何を主張すべきでないか。身体の自動操縦に甘えていたのかもしれない。七瀬の時間は無限ではないが、関わる子どもたちの時間の方が、未来に繋がるという意味で、遥かに価値があるから睡眠時間を削って、暇なように見せかけている。その気遣いを察することが出来るのは、皮肉にも指導者の立場で、同じ嘘を吐いたことがある者だけだった。
七瀬が正式にこの店の客になって、もう一年になる。『地獄の門』のレプリカの扉をプライベートで開けたのは、ちょうど各種仕事も軌道に乗って、実地調査がてら、見たいものを素直に見に行ける金を手に入れた頃だ。飾りボトルを入れても卓の上に飾らない、という妙な約束を店側とした。その後あのマスキングの雑音と、学生めいたシャンパンコールのノリが嫌で、基本個室を使うようになったから、今では形骸化した、最初の約束だけが宙に浮いたように守られている。
万が一晒されたことも考えて、念には念を入れた方が、と言う代表と夏月の考えは、正直な所ピンと来なかった。未成年の少女の貧困に法的側面からアプローチするNPOの幹部理事が、余剰利益を内部留保した上でホストクラブに不定期に来店している。収入はNPOの主軸事業であるアプリの運営収入の分配分と保有している弁護士資格に基づく顧問料。立ち上げに際しての活動資金は自腹で用意して運用しており、天下りのお荷物も押し付けられていない。今の規模で十分すぎると考えているから外部からの寄付も募っていない。ゆえに過剰に干渉される謂れも、言ってしまえばないのだ。稼ぎ過ぎた金を地域に還元しているだけ。分不相応な金を残しておいては、的外れの期待が空回りした時に強奪されることもある。
責任も覚悟もない、いいかっこしいの暇人の、浮かれ言葉が無数に絡まることで禍は産まれる。
もう産まれているだろうと言うつもりか。否、これもまだ予防だ。これ以上の惨状を呼び寄せないためにここで厄を払い落としているだけ。
あの時のオーナーにも言われた。「なぜ似た者同士でつるむのか、知ってますか」無言で首を振ると、「何かが起こった時に、相手の苦境を容易に想像出来るから持ちつ持たれつが自然に出来るんですよ」
職業柄慣れているから僕らは全然いいんですが……。
気まずそうに目を逸らしたオーナーに頼み込んで仲介をしてもらった。もうあの頃から事業についておぼろげな構想はあったから無理やり覚悟を決めたかった。結果、裏通りの廃業した個室ビデオ屋に何度も呼び出された。物心ついて以来、お守りがてら集めていた小型の録音機材を自爆テロ犯のように身体中に隠して行った。反面、どうせバレるならもう死んでもいいと思っていた。こんな死に方をする人間、歌舞伎には山ほどいるし、同じ死ぬなら一度位、皆と同じ道を行く安心感を味わいたかった。身体は空気を読んで震えた。順に脚、手、声。廃墟に入る前に今日は相手のために思う存分暴れまわってくれと、無意識のうちに脳が感情に頼んだようだった。あっけない。髪を掴まれ、顔を殴られた。醜い顔が更に醜くなった所で、どうでも良い。男は皆、深層心理では女を殴りたいと思っているから何の意外性もない。弁護士になって知恵もついた。頭の中で暴行罪の告訴状の文言を回すことで痛みを凌いだ。顔にゴミ袋を掛けられて、処女を失った。だから? 暗闇の中で味わう激痛。だがこれも、皆経験している痛みに過ぎない。穴を破壊されなかったのは、私が法律に魂を売った醜女であるがゆえに、まともな女として見られていなかったからだろう。哀しく、哀れ。それゆえに滑稽に思える。日本語しか聞こえない優しい輪姦。字面と実態が、まるで違っているのは、昔の女の実態も今の私とさほど変わらなかったからか。一人きりで転がされ、捨て台詞と共に全裸で放置されても、犯された実感は湧かない。いつまでも。世の中には美人だけではなくブスまで徹底的にいたぶる性質の男の方が多いだろう。だから、録音機器を全部壊すことも出来ずに、中途半端にボディーチェックを怠った向こうの愚かさが、後に審理の俎上に上げられたら、紳士さの断片として映ってしまいそうな点の方に、忌々しさを感じたものだ。
帰る時の歩き方がおかしかった。だがそんな人間、歌舞伎にはいくらでもいた。こっちを契約違反で訴える訴えると息巻いていたものの、結局あの子は音信不通になった。あの子らしいと言えばそう。代わりにあの子の中学の後輩から連絡があった。後輩には普通に連絡しているらしい。その子は、得意分野が違うから直接的な絡みはないが、理事の一人のせあらの仲間。ハロウィンの頃、NPOのアプリ上では期間限定のモンスターのコスプレスキンが流行っていた。デジタルの毛皮に包まれた会話は、発言する中身が実体のない空気であるがゆえに、互いの体温が良く伝わった。
もうめっちゃ寂しくて寂しくて、とラインで言っていたという割に、インスタのブロックは解除されないままだ。後輩の子も地元の友達を頼みに上京したが、その子が勝手にトー横を卒業してしまったから、知り合いは彼女しかない。後輩の子も切っていい縁なのか分からない。エックスでは「テレビで勇飛さんとせあら、見た」と騒いでいたそうで、久しぶりにあの嫌な、舌なめずりが思い出された。打ち合わせの時にさり気なく指摘したら本人は癖とうそぶいていたが、今更ながら怖気が走り、そんな自分を大人げないと辛うじて窘めることが、出来た。
いい加減自分の力で稼ぐことを覚えて欲しい。他人の弱みを啜るのは、生きるとは言わない。味方の弁護士に散々迷惑を掛けた挙句、強請る人間がいるのか。そう思っても実際、未成年でいたのだから仕方ない。勇飛にまた連絡しなければ。今度は何と言われるだろうと思ったが、むしろこれで本当に接近禁止令が出されて、行政のお墨付きで縁が切れるのだから逆に喜ばれるだろうか。
結婚してはいけない、子供も産んではいけない子。負の影響力が大きすぎるがゆえに、遺伝子ごと絶やして、本人の苦悩ごと消滅させた方が効率のいい子。立場上けして口に出せないが、そんな忌み子は確実にいる。七瀬は考えていた。なぜなら自分がそうだから。実感として痛いほど分かるのだ。
今でもはっきりと思える。目の前にいないから思ってもいいと感じる。貧困の連鎖を己の死をもって断ち切ることを運命づけられ、その理不尽な重みに耐えきれず、心が納得しない状態で流されることを選んだ。昔も今もそうやって、自ら選んでいる。
勇飛にも言えないセリフが、自ずと喉奥から湧いてくる。
あなたが親に嫌われたの、分かる。周りの皆に嫌われてたの、分かる。
悪いけど、分かるよ。
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