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 七瀬は区役所通りを北に進む。左脇には中国人の売春婦達が一列に並んで客引きをしている。大久保病院の前や公園脇の立ちんぼの少女達と違って、彼女達はキャミソールと短パン、もしくはミニスカートという露出の多い格好で、商品の手足を惜しげもなく晒している。

 キャミソールと短パン姿の三つ編みの少女が七瀬に手を振った。隣でお揃いの服を着ている長い金髪の少女もワンテンポ遅れて控えめに手を動かす。知り合いの中国人とロシア人の少女だった。ロシアの子は日本に来て間もないからまだ人見知りしている。どちらも不法入国した両親と死に別れた境遇だった。うかつにスクールに遊びに来て、とも言えず、彼女達も助ける能力がないことを雰囲気で察しているからか道端で顔を合わせた時にしか接触して来ない。一時的に助けられはしても、その後の収容施設に移送された後の人生が、助けた日本人の子と同水準はおろか、助ける前の今よりもより苛烈になることが容易に予想出来たから、これ以上踏み込むのはいたずらに心を破滅させるために弄ぶのと同義だった。

 消去法で傍観が選択されたのだと気づきながら、同境遇の大人のように役立たずと一喝しない様が優しすぎた。何も出来ないのだからせめて手だけは、とマスクの下で懸命に微笑みながら七瀬は大きく振り返した。罪悪感の熱に浮かされたような心地の中で、七瀬は二人が天使の微笑みを習得しつつあると感じた。搾取する側の良心を思い起させる、希少な笑みだ。彼女達はこれを盾に生き延びていく。生き延びていけるだろう。ならば底に純粋さがなければ獲得し得ないその笑顔をいつまでも持ち続けて欲しい。そこまで思った後で、七瀬は己の願いの傲慢な身勝手さにようやく気づいた。肝が冷えていく意識の中で、覚えのある苦い後悔と共にそれを揉み消す。

 何の責任も持たない外野の能天気かつ身勝手な欲望は、彼女たちを買う男たちが抱く肥大化したものと醜悪さという意味では何ら変わらない。隠そうとしない限り、感情は漏れ出るという点でも、過酷な環境下でも異国の地で、まだ利害抜きで他人に気遣いが出来ている賢い子らが気づかなかったはずはない。心配する振りをして自分が気持ち良くなっていた。何よりもまた、無用な感情をひけらかしてしまった。

 罰として彼女達が嘲笑している様を想像してみる。近い将来、あるいは今。可塑性に満ちた柔軟な心。容易に想像出来てしまった。何と言うこともない、ただ隠されているだけだ。何なら私が視界から消えた後、もうあのありふれた視線で、目配せし合っているかもしれない。

 七瀬は逃げるようにそそくさと、左の横道に逸れた。

 ここからは七瀬が本当に歓迎されないエリアだった。ホスト密集地帯。人通り自体が少なくなり、往来の客と客引きの男女比も入れ替わる。こちらの道を選んだせいで、広がって歩いていたサラリーマン集団の壁が散った。送別会か何かで、表通りのチェーン店が目当てだったのだろう。

 時折突き刺さるような視線も感じるようになった。客引きとその中に紛れた風俗のスカウト。どちらが客か、もはや分からない。もし私がもう少しまともな容姿だったら、ナンパの下心で嘗め回すような視線も感じられただろうか、と七瀬は思った。法知識を盾に歌舞伎で仕事は出来ているが、本当は人付き合いが得意ではないし、他人にじろじろ見られるのも好きではないのだ。特にこんなに晴れた日は、歩いているだけで見世物になっている気がする。

 時に片手を上げて挨拶をするオーナーの知り合いは数人いたが、七瀬のこの不安を払拭してはくれなかった。高級ホテルのラウンジでも通用するような渋い笑顔で笑いかけられても、七瀬の目には単に経営者としてしたたかで抜け目のない、ハイエナの集まりにしか思えなかった。いつかの恩義で出来た接点をてこに女としての七瀬自身を沼に引きずり込もうとしている、社交辞令を真に受けて初回に行けば最後、売上に繋がらないと分かるやいなや公衆の面前で罵倒して、それを自分のための茶番に仕立てて面目を保つ。要するにオラ営なんだからさっさと察しろよバカ、と一方的に軽蔑の目を向けてくる。

 その対応が正解かどうかを決めるのは、客でも、ホストでもない。刹那ごとの多数決で作られるその場の空気だ。最初に口を開く前に、客がどんなイメージを纏っていたか、レッテルを貼られるまでに実際に何を言い、何を言わなかったか。

 結果、客を客扱いすることが正解とされないパターンもあるのだ。気遣いというオブラートに包まれた客の仕分け。他テーブルで瓶ごと一気ビンダする担当の肝臓を気遣い、自分が入れたシャンパンを持ち帰る流行が、かつて若い客の間で生まれたことがある。その時には、歌舞伎の路上脇で、担当の顔写真が入ったオリジナルシャンパンオリシャンを抱えて眠る女の子達の姿がSNS上で晒され、かの有名なホスト殺傷事件の犯人の、この上なく鋭利な献身と同様に持て囃される事態となった。あれがメンヘラの女王なら彼女達はメンヘラの天使だ。卓上の無料の水で粘るのは野暮そのもの。歌舞伎の水はフィリコだと言っても、ボトルだけでは盛り下がるのは、そこに剥き出しの愛があればあるほど想像に難くない。

 どこかのコンカフェのキャストで、休憩時間に立替の清算をしに来たのだろうか。緩いパーマをかけた茶髪に猫耳を付けた、ライトピンクのパフスリーブの女の子が、七瀬の前をさっと横切るように出てきた。そのまま七瀬の動線を塞ぐ形で、堂々と歩き続ける。同系色のバルーンパンツを履いた上から、ジルサンダーのタングルスモールバッグを肩掛けしている。正面から見ると系統の違いが如実なのかもしれないが、迷いのない歩き方のせいか、後ろから見る分には違和感はなかった。

 私が買おうと思っていたバッグだと、七瀬はすぐに思った。ロゴが控えめだから、自分が身に付けても許される雰囲気があるし、歌舞伎の外でも違和感がない。返品可能なオンラインショップで注文して試着した所、手持ちの携帯がすっぽり入るのも気に入った。そこまでは良かったの、だが。七瀬にとって自宅の全身鏡は絶対に嘘を吐かないという点で、敵なのだった。そこに映っていたのは他ならぬ、買われる側の拒絶と嫌悪だった。身に付けることで容姿の悪さが逆に引き立つという皮肉に至っては、バッグ自身が身に付けてくれるな、と本来は手下である店員が慇懃無礼に伝えるべき言葉を、冷たく公言しているようだった。購入時に目にしたモデルの着用画像の残像が、その放言に追い打ちを掛けた。豚に真珠ということわざと組み合わさって、世にも面白い形をした回転ノコギリの罠で脳内を回っていく。しかしながら変に世間を知った今では、それに絡め取られるほどの柔さもない。みっともないから買えないと、七瀬は機械的に結論付け、再びPCに向かって返品の手順を検索AIに調べさせた。着払いの返品と後のブランドの矜持の下で、迅速になされるであろう返金によって七瀬の懐は微塵も痛まない。が、置き去りにされた幼稚な情動は、またいつものように遠くで悲鳴を上げていた。それは聞き分けの無い子どもの癇癪による奇声のようで、そんなものが存在すること自体が、惨めで認めたくなかった。やはり私は子どもを産むべきでないと理性が冷たく七瀬に思わせる。が、無視された感情はその理性の仕打ちをも許さなかった。意識の僅かな隙間を目ざとく見つけた子どもの感情が雪崩れ込んでくる。感情は脳内の七瀬の声を乗っ取り、猫撫で声で雑談しようとする。ねえ、こういうものが悪浮きせずに似合うのは、どういう人なんだろうねえ、と。

 理性の方は、この期に及んで時が解決すると諭そうとしていたのだから、分が悪い。客観的にはこういうのを往生際が悪いと言うのだ。実際は人ではなく、「子」だった。わずかな解決の可能性に縋ろうとしていた浅はかさ。それが丸裸になった。七瀬の数少ない長所の完璧主義によって、理性のセンサーは常日頃から極限まで研ぎ澄まされていたから、この失態を見過ごすことも許さなかった。突起状のウイルスと同じ形態に変化した七瀬の理性は、失態に気づくと主人の心の中に転移して跳ね回る。その棘は鋼のように固いがゆえに、七瀬の心壁はずたずたに切り裂かれる。

 やけを起こして感情の尻馬に乗っているのか、なりふり構わず警鐘を鳴らしているのか判別不能な動作をされること自体が不安で不快だった。この制御不能な理性の一人相撲によって、七瀬の心は内側からも嬲られる。

 目の前を歩く子の容姿は分からなかった。きっと直接見ることは叶わないだろう。だが、推測は出来た。

 いつの間にか七瀬達の右脇に陣取っていた男達の反応で。

 その二人組は今時の無難な若者と言うべき、特徴のない恰好をしていた。オフの日のホストか、好奇心や度胸試しでここに訪れた大学生か。全体的に黒いことは後ろを歩く七瀬にも分かった。具体的にどう声を掛けたのかも聞き取れなかったが、男達は二人掛かりで馴れ馴れしく女の子に近づいていった。女の子は、歩を緩めず、顔すら動かさず、無言で歩き続ける。歯牙にも掛けていなかった。男達は手応えなしの反応を見るや、顔を見合わせるでもなく、さあっと、波が引くように退く。ありがちな捨て台詞の暴言すら吐かなかった。後腐れないという点で理想的なナンパだった。そこで全てが終わっていれば。

 男の一人と七瀬が目が合った。たちまち相手の顔が歪んだ。かわいい子に無視された腹いせ。ノイズキャンセリングイヤフォンをしていても聞こえた。ブス、かそれに相当する言葉を、私は確実に言われた。そう確信した。絶対に聞き間違いではないと、耳ざとい己が自身の経験が繰り返し主張していた。私以外にこんな言葉を吐かれる人はいない。現に女の子の背中は、数メートル先に遠ざかっていた。意識的に歩を速めたのだった。後ろで何が起こっているのか、見ざる聞かざるもちろん言わざる。天は彼女に賢さまでも与えた。それに引き換え、私は。

 落ち度があるとすれば、私が脚を彼らの方向に一瞬向けたから、いけなかったのだ。彼らに気があると思わせ、彼らの好奇をいたずらに刺激して増長させた。熱が上った頭で七瀬は思った。十中八九私のことを知らないだろう。私の経歴も、この街における功績も、知らない。だから調子に乗れたのだ。 

 私は、私の理性を用いたことで、その思考の流れを容易に逆行出来た。だがそこまで追い詰めても、向こうは辺りを歩く他人の好奇の目を逆手に取って絶対に言い返して来ないと高を括っている。そしてその予想は、かなりの精度で当たっている。

 悲しいかな、七瀬は心の底ではいまだに人の目が怖かった。自身の容姿の悪さから来るトラウマが七瀬の心に深く根を張っているからだ。どす黒いヘドロのように醜くこびり付いたそれは、美容整形外科のカウンセリングで嘲笑を堪えるのに苦労しているのが傍目からも分かる医師たちの態度にも滲み出ている通り、直すというよりも心身ともに割り切って一生付き合っていくべきものだった。人体の健康な部位を切り貼りする美容外科を邪道蔑視する医師も少なくないというのは、客なのに痛めつけられた七瀬が、その晩、ネットの海で同胞を探した結果得た豆知識だが、一時的に電子の情報を塗りたくった傷口には、効能の実体もないがゆえに、気休めに過ぎなかった。深夜の疲労と倦怠が渦を巻いた不気味な静けさの中で、痛みはひたすらに蠢いて心壁を疼かせた。

 七瀬の心にはそんな目に見えない傷口が山のようにあった。そんな下らない輩は相手にせずに、そんな下らない問題は気にせずに、上手く隠し通して涼しい顔で社会生活を送るのが、一人前の自立した大人で、出来ないのは半人前の愚かな子供。同世代が立派に大人をやれている中でそんな情けない存在でい続けられるのは本人の感性の鈍さに起因する努力不足。つまりは幼稚な甘えだというのが、これ以上の面倒な議論の噴出を避けたい世間の声だ。

 傲慢な感性の高笑いが聞こえるような「ご意見」だった。暴走する連れ合いから気まずく目を逸らしながら、理性も感性の主張を補強する。静かな声で諭す。気の持ちようの問題に帰結出来るのだから見た目は本質的には関係ないことを。これ以上社会に見捨てられたくないのなら、目立つ行動は控えることを。目立つ役立たずほど大衆に嫌われるものはなく、何よりも知性を蔑ろにした結果、今や張りぼての先進国に成り下がった日本社会にはそんな怠惰な子供を養う余裕はないのだと。

 理性の説得の論理によると、七瀬の心には抗議する権利すらないらしかった。そもそも百歩譲って出来るとしても、今伝えた所で何になる? 全ては負け犬の遠吠え。確かに、振り返って何か言おうという気にはなれなかった。既に人混みに紛れているだろうし、仮に見つけられたとしても彼らは敵意剥き出しの態度で迫ってくるだろう。理不尽だが諦めるしかない。人の本能に基づく判定だから、責められない。まだ若いから仕方ないと、思おうとした。だが出来なかった。理屈で押さえつけるための統計値が少なすぎた。若さを失ってもそういう態度を取る人間はいくらでもいる。むしろ老いで改善された例を、私は見たことがあるのだろうか。

 勇飛だったら助けてくれるだろうか、と七瀬は思った。なぜこんな時に勇飛のことを考えるのか。分からなかった。NPOの仲間だから助けてくれると思ったのか。自分の意志で助けて欲しいと思ったのか。感性と理性は揃って首を振っていた。絶対にあり得ないことだ。そもそも仕事以外のことに首を突っ込むタイプではない。むしろ、やられる方の態度にも原因があるとのたまって、当事者を駒にした分析を始めるだろう。誰も救われない徒労の欠席裁判だと七瀬はうんざりした。あまりに酷かったら、いっそ化物とまで言われたら助けてくれるだろうか。さすがに、そこまで行ったら助けはするだろう。理性が慌てて取りなすと、感性が嗤った。そりゃそう当たり前。いくら傲慢で鈍いと言っても、「そんな奴」とつるんでいる自分のイメージが貶められる予兆を感じ取れないような男じゃないでしょう。

 仮定の話ばかりしている様に七瀬は無責任さを覚えた。自分の身体から幽体離脱している魂を引きで眺めているような虚しさを感じた。こいつらが絶対に行けない高次の場所にこの論題を持っていってやろうと七瀬は思い、そんな自分自身に、背伸びして魅力的な「何か」を高く掲げながら、未熟な同胞はらからから軽やかに逃げる少女のイメージを自ずと重ねた。天涯孤独の七瀬には兄弟姉妹はいなかったから、その少女は七瀬の顔をしていなかった。そもそも顔の部分は濃い陰になっていて、見えない。

 普通にしていたら造作なく荒れ狂う怪物に近しいイドを制御するのは、理性の象徴である超自我で、それは法で補完される。不完全な超自我は、法によってその枠内に留まるよう矯正される。しかし個々の自我の調整で存在しても良いとお墨付きを与えられたイド、すなわち原始の感情を矯正するものは、本質的には何もない。本能に等しい感情を法で完全に縛ることなど、出来るのだろうか。裁く側も人である限り、この忌々しい吐瀉物の蛇口を必ず持っているというのに。

 法は万人のものではないことを七瀬は職業柄知っていた。それでも法を頼ることで理不尽に立ち向かえる状況で、知らないがゆえに泣き寝入りをするのが嫌だから上手く立ち回るために法曹を志した。法曹三者の中から弁護士を選んだのは、タイムパフォーマンスタイパを考慮した結果、自己救済の延長線上で金が稼げると考えたからだ。加えて歌舞伎に来たのは、自身のトラウマを差別化の材料として有効活用するため。人は極限まで追い詰められると、ようやく他人の内面に縋るようになる。選択肢が消されることで視野も狭くなり、これまでは虐げて操る対象であった他者の内面しか視界に入らなくなった時に初めて、その中で神仏を探し求めるようになる。七瀬が嫌悪していた神頼みだ。

 見てくれは良くないが能力はある者にとって、その没落とも言える変化は喜ばしいものだった。傍目にはじゃれ合いにしか見えない。容姿にアドバンテージがあっても、異性に驕りを見抜かれて都合良く使われたことで本来の価値を信じられなくなっているから、対立したとしても攻撃のパターンが読みやすい同性の方がまだローリスクなのだ。

 これもまた、本能が命じた生存戦略の過程だった。七瀬は歌舞伎のあちこちで繰り広げられるその美しく分かりやすい光景に冷めの心で付き合っていた。指摘した瞬間に、賽の河原の石のように積まれていた精神の均衡が崩れ、一足先に死んだ目でオーバードーズ、リストカット、あるいは飛び降りが選択されるという点で、その甘やかな論理の破綻は徹底的に看過されるべきものだった。

 殊に七瀬が関わる少女達が従事しがちな、主に非合法の性風俗産業では、弁護士として王道の戦い方は絶対に出来ない。江戸時代の既得権益を守るためとしか思えない時代遅れな記述を拡大解釈させた上で、主語を拡大化し、子を持つ親の情に訴えるために、時には国政選挙のマニュフェストさながらの声明文を出した。受肉の言葉で世論を動かして、裁判官がごく自然に選択できる前例の判例を誂えることが、悪条件の弁論を余儀なくされた弁護士の王道の勝ち筋だが、邪道でそれを実行しようとすると、必然的にこのような姑息な蠢き方になる。

 弁護士法第一条で提唱された、社会正義を実現する孤高の存在とは程遠い俗物。カルト宗教の教祖と同等の、大衆に媚びるいかがわしい存在。得体の知れない活動家という表現すら誉め言葉に思える。SNS上の匿名の誹謗中傷にはとうに慣れてしまった。ペルソナの下の素顔は無個性で、本人たちは仮面と素顔が癒着した状態を理想としているから、威勢の良い殺害予告をSNSで連投することはあっても、七瀬の前に現れて素顔を晒すことはまずない。誰に頼まれた訳でもないのに、マスコミがプロファイリングした誹謗中傷の加害者像の枠内に行儀良く収まっている様からもその小心性が窺える。

 思えば裁判で相見あいまみえた同業の弁護士から好奇の観察の視線を向けられたあの時、皮一枚で繋がっていた法そのものに対する期待も潰えたのだ。そこにあるのはただの原始的な殺し合いに過ぎなかった。明確な力の差がある以上、強者は強者、弱者は弱者であり続ける。そんな状況下で唯一、抵抗なく行えるのは、神頼みという信仰だ。

 メビウスの輪のようだった。近視眼を防ぐために問題を俯瞰視しても、目に見えない手に払われる形で、またここに戻って来る。

 私もまた、退化しているのだろうか。

 結論は出なかった。そんなものが存在するのか、存在したとして、それが本当に神の見えざる手なのか、証明する術を誰も持っていないのだから当たり前だが。

 全てを検証するために、願ってみようと思った。

 願うだけならばただだ。殊に無神論者の七瀬には期待も失望もない。

 

 仮定としての一本線を引いた地面にめり込んだ心を再び水平に立て直した上で、七瀬は機械的に願った。いつか、という曖昧な枕詞はわざとつけなかったが、それでも気持ちはすっとして、心の中から一切の声が消えた。が、それが霊験によるものか、心中の冷めた空気から自然に生まれた結露が重力で流れた結果の冷や水によるものか、七瀬には判別がつかなかった。神仏を信じることの効能と思うことは出来るが、あれらが復活しない保証をしてくれる訳もなし。そもそもが本来のあるべきに戻っただけでもある。ゆえに本当にがそうなら、何と地味な霊験だろう。

 今までの人生で、一体何を見てきたの? 反語のような問いが胸に浮かんだ。多重人格のを神聖化させたような多面多臂多足も信者以外には化物に見えるしそう見えて良い。人は理想論ではなく、利害で動くものだ。それは慎重な振る舞いを絶えず求められる大人ならではの習性だから、自らもその一員になりたいのならば、そう考えることしか出来ないと、七瀬は考えた。むしろこう考えることで、大人に戻れたのだと強く実感するのだった。

 こんな徒労を良くて二日に一度、悪くて一日に何度も繰り返す。顔見知りが増えたらましになるかと最初の方は期待していたが、甘くはなかった。むしろ表面上の感情を取り繕う手間の方が増えた。今では確信している。この街が私の庭になる日は、永遠に来ないだろうと。

だが、それでも良いと七瀬は思っていた。私の職場は本質的にはここにはないのだから。郷に入れば郷に従えで、半ば意識的に同化しているのだと思っていた。ドラッグで幻想の世界を漂っている子らとは、妄想の膜を介して接した方が、より早く分かり合える場合が多いのだ。大人のままでは話してもらえないから、意図的に子供になる。相手の目線で話をするという理想を実現したまで。ここは何人たりとも子供でいられる無法地帯だから、そういう動きもありなのだ。

 第一、子供になることであの男たちの気持ちも本当の意味で分かった。分かったものをいつまでもこねくり回すほどの時間は、七瀬にはない。ゆえにここでようやく解放されるのだが、完璧主義の彼女は、忙しさを逃げの言い訳にするのは卑怯だと捉えた。彼女は関わりたかった。たとえ人の心をなくしたとしても千手観音、あるいは蚰蜒げじや蜘蛛のように、寄り添いたかった。




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