ヒロインたちの鬱エンドを回避するためにバレないように自己犠牲してみた
AteRa
第1話 醜い豚に転生
鏡に映っていたのは、醜悪な肉の塊だった。
無駄に張り出した腹、脂ぎった肌、そして何より、人を不快にさせる卑屈な目つき。
誰が見ても「あ、こいつは関わってはいけない」と本能で察するような容姿。それが、今の俺だ。
「……何度見ても、ひでぇツラだな」
俺は学園のトイレの鏡に向かって、自嘲気味に呟いた。
俺の名前はギルバート・フォン・バイン。
王立魔術学園に通う貴族の子息にして――この世界、救いのないダークファンタジー乙女ゲーム『
前世の俺は、ただの大学生だった。
唯一の趣味は、この鬼畜難易度の鬱ゲーをやり込むこと。
そして今、俺はそのゲームの世界に転生している。ただし、主人公の相手役となる煌びやかな攻略対象たちではなく、背景で嘲笑されるだけの豚として。
だが、それでいい。
俺は冷たい水で顔を洗い、脂を落とす。タオルで顔を拭いながら、決意を新たにする。
このゲームのエンディングは、その9割が鬱エンドだ。
ヒロインたちは、発狂、闇堕ち、惨殺、あるいは生きたまま魔獣の苗床にされるといった、筆舌に尽くしがたい末路を辿る。
俺はこの世界が好きだった。この世界の住人が好きだった。
だから、決めたのだ。
俺が、彼女たちの鬱フラグをすべてへし折る。
たとえその代償として、俺自身がどれほど傷つき、どれほど嫌われようとも。
「……よし。時間だ」
俺は鏡の中の醜い男に向かって、ニヤリと笑いかけた。
さあ、今日も嫌われ役の仕事の時間だ。
◇
王立魔術学園の放課後は、優雅さと残酷さが同居している。
中庭では、選ばれた美男美女たちが紅茶を嗜み、談笑している。その一方で、俺のようなスクールカーストの最底辺は、その視界に入らないようコソコソと移動しなければならない。
俺が向かったのは、旧校舎の裏手にある聖堂だった。
そこには、一人の少女がいるはずだ。
古びた木の扉の隙間から、中の様子を伺う。
夕日が差し込む祭壇の前に、彼女はいた。
プラチナブロンドの長い髪。透き通るような白い肌。そして、憂いを帯びたアメジストの瞳。
この国の聖女であり、メインヒロインの一人――セレスティア・ラ・クリス。
彼女は跪き、祈りを捧げている。一見すれば、神々しい聖女の姿だ。
だが、俺には視えていた。
彼女の足元から、どす黒い靄が立ち上り、その華奢な身体を絡め取ろうとしているのが。
(……出たな。穢れの呪いだ)
ゲームのシナリオ通りだ。
セレスティアは、その身に強大な聖なる魔力を宿している。だが、その魔力はあまりに純度が高すぎるがゆえに、周囲の負の感情や邪気を引き寄せてしまう性質を持っていた。
本来のシナリオでは、今日のこの祈りの最中に、蓄積された穢れが暴走する。
彼女は意識を失い、駆けつけた
そして、そのルートに入った彼女を待っているのは、自らの手で愛する人々を焼き殺すという地獄だ。
(そんな結末、俺が認めない)
俺は深呼吸をする。
これから俺がすることは、英雄的な救出劇ではない。
もっと泥臭く、もっと最低で、誰にも理解されない行為だ。
俺は足音を荒らげ、わざとらしく扉を蹴り開けた。
「――ブヒッ! やっぱりここにいたかぁ、セレスティア様ぁ!」
喉を鳴らし、粘着質で不快な声を出す。
演技ではない。この体になってから、こういう声が出るようになった。便利と言えば便利だが、死にたくなるほど情けない。
祈りを捧げていたセレスティアが、ビクリと肩を震わせて振り返る。
俺の姿を認めた瞬間、その美しい顔が恐怖と嫌悪に歪んだ。
「ギ、ギルバート……どうして、ここへ……?」
「いやぁ、聖女様が一人で寂しそうにしてると思ってねぇ。俺が慰めてやろうかと!」
下卑た笑みを浮かべながら、俺はズカズカと祭壇へ近づいていく。
セレスティアが後ずさる。
彼女の周囲の靄が、彼女の恐怖心に反応して活性化し、今にも彼女の心臓へと食らいつこうとしていた。
時間がない。
「こっちへ来ないで! 不潔よ、近寄らないで!」
「そんなつれないこと言うなよぉ。ほら、俺の汗ばんだ手で握手してやるからさぁ!」
俺は両手を広げ、彼女に襲いかかるフリをした。
セレスティアが悲鳴を上げる。
「きゃあああっ!!」
彼女が腰を抜かしそうになった、その瞬間。
俺はわざとつまずくフリをして、彼女の身体に思い切り体当たりをした。
ドンッ!
「っ……!?」
衝撃とともに、俺たちは冷たい石畳の上にもつれ込んだ。
俺の巨体が、華奢な彼女の上に覆いかぶさる形になる。
最悪の構図だ。誰がどう見ても、醜い男が聖女を押し倒している図でしかない。
だが、俺の狙いはそこにある。
接触したその一瞬。
俺は自身の固有能力――『
この能力は、接触した対象の状態異常や呪いを、自分自身に引き受けることができる。
俺のようなモブに与えられた、ただ一つの、そして自殺行為に近い能力。
(ぐ、ぅぅうううう……ッ!!)
全身に、焼きごてを押し当てられたような激痛が走る。
セレスティアにまとわりついていた黒い靄が、俺の身体へと奔流のように流れ込んでくる。
血管が沸騰しそうだ。内臓がねじ切れそうだ。
目の前がチカチカと明滅する。
だが、俺は歯を食いしばって悲鳴を殺した。
代わりに、もっと気持ち悪い声を漏らす。
「ブヒュ……! いい匂いだなぁ、聖女様はぁ……!」
鼻血が垂れそうになるのを、興奮しているように見せかけて誤魔化す。
呪いをすべて吸い出し終えたのを確認し、俺は彼女の上からどいた。
セレスティアは蒼白な顔で震えていた。
しかし、その身体から不吉な靄は綺麗に消え失せている。
成功だ。これで刻印が刻まれることはない。魔女化ルートは回避された。
「……さ、最低……」
セレスティアが、震える声で呟いた。
その瞳には、涙が溜まっている。そして、それ以上に深い、底知れぬ軽蔑の色があった。
「なんて……なんて穢らわしいの……。私に触らないで……! あなたのその脂ぎった肌が触れただけで、吐き気がするわ!」
彼女は自身のローブを必死に手で払い、まるで汚物でも付着したかのように擦っている。
その言葉の一つ一つが、呪いよりも鋭く俺の胸を抉る。
ああ、そうだ。
これが呪いなのだ。
彼女たちヒロインは、俺のような異物を徹底的に嫌悪するようにできている。
それに加えて、俺が今吸い取った穢れの影響もあるだろう。負のエネルギーを一身に背負った俺は、彼女の目にはこの世の悪徳の化身のように映っているはずだ。
だから、これでいい。
彼女が俺を罵倒すればするほど、彼女の中から毒が抜けていく証拠なのだから。
「へへ……そんなに喜んでくれるとはなぁ。また遊んでくれよ、聖女様」
俺はふらつく足で立ち上がり、わざとらしい捨て台詞を吐いた。
セレスティアは涙目で睨みつけてくる。
「二度と……二度と私の前に現れないで! このゴミクズ!!」
罵声を背中に浴びながら、俺は聖堂を後にした。
扉を閉めた瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
「が、はっ……!」
口から、どす黒い血の塊が吐き出される。
胃が焼け付くようだ。吸い取った呪いは、想像以上に重い。
手の甲を見ると、赤黒い痣が浮かび上がっていた。
本来なら彼女の背中に刻まれるはずだった魔女の刻印の一部だ。俺が引き受けたことで、不完全な形で俺の肉体を蝕んでいる。
「……痛ってぇな、ちくしょう」
袖をまくり、痣を隠す。
ハンカチで口元の血を拭き取る。鏡がなくてもわかる。今の俺の顔は、苦痛でさらに醜く歪んでいることだろう。
でも、聖堂の中から聞こえるセレスティアの声は、悲鳴ではなく、安堵の泣き声に変わっていた。
彼女は無事だ。
「ミッション・コンプリート……ってとこか」
俺は重い体を引きずり、夕闇の校舎裏を歩き出す。
誰にも知られることはない。
誰も俺を褒めたりはしない。
明日、学園に行けば「聖女様を襲おうとした痴漢野郎」という噂が広まり、さらに居場所はなくなるだろう。
ゴミを投げつけられるかもしれない。教科書が破かれているかもしれない。
上等だ。
彼女たちが鬱エンドを迎えて、絶望の中で死んでいく姿を見ることに比べれば、そんなものは痛くも痒くもない。
……いや、ちょっとは痛いし、泣きたくもなるけどな。
「さて、次は悪役令嬢エリザベートの『毒入りクッキー事件』か……」
俺は頭の中にある攻略チャートを思い浮かべる。
休んでいる暇はない。この世界には、まだまだ破滅の種が撒き散らされているのだから。
嫌われ者の豚野郎の孤独な戦いは、まだ始まったばかりだ。
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