第45話 4月なので「魔物・新入社員研修」を行った。元四天王が「死の挨拶訓練」をし、元税務官が「コンプライアンス講習」をした結果、低級ゴブリンが「ウォール街のエリート」みたいなオーラで覚醒した



 4月中旬。新年度。

 世間がスーツと名刺で武装し始める季節に――うちのダンジョン健康ランド"爺の湯"も、ついに人手不足が限界を迎えた。


 客が増えすぎて、浴場が戦場になってる。

 番台は税務署みたいになってる。

 サウナはヴォルグが熱波を振りすぎて、もはや修行場になってる。


「よし。雇うか」


 俺がそう言った瞬間、氷室さんが電卓を叩きながら頷いた。


「人材投資は必要です。労働時間の適正化と、業務の属人化解消が急務です」


「言ってることは正しいんだけど、口調が"監査"なんだよな」


 そして今、俺たちは――爺の湯の宴会場にいた。

 畳の部屋に並ぶ、"新入社員"たち。


 ゴブリンとオーク。合計二十名。

 腰布一丁。肩に傷。武器の名残。

 なのに目だけはギラギラしてる。いや、むしろキラキラしてる。


「ブヒ……! 働ける……!」

「ギギ……! 給料……! まかない……!」


 おい、まかないに反応すんな。

 ヴォルグが横で腕組みして、鬼軍曹の顔をしている。


「貴様ら! 今日からただの魔物ではない! "接客の戦士"だ!」


 ゴブリンたちが一斉に背筋を伸ばす。

 伸ばしすぎて背骨が鳴った。怖い。


 俺は社長席みたいな椅子に座り、咳払いをした。


「えー、入社式を始めます。うちはホワイト企業だ。だが、プロ意識は求める」


 氷室さんが横でホワイトボードに、でかでかと書く。


 "禁止:略奪"

 "推奨:笑顔"

 "必須:領収書"


 ゴブリンが涙目でメモを取ってる。紙はどこから出した。


 俺は続けた。


「まず最初に言っておく。"客を食うな"。うちは飲食店じゃなくて温泉だ」


「ギギ……! 了解であります!」

「ブヒ……! 食べない! 我慢する!」


 そこ、"我慢"って言い方やめろ。

 ちゃんと理解しろ。食うな。


 ヴォルグが一歩前に出た。


「では訓練を開始する! 貴様らは今日から"浴場の守護者"、"サウナの覇者"、"番台の鉄壁"だ!」


「うおおおおおお!!」


 熱量が軍隊のそれなんよ。

 いや、軍隊だったわ。元々。



 最初の研修は、ヴォルグ担当。

 "挨拶訓練"。


 普通の会社だと、「元気よく挨拶しましょう」で終わる。

 だが、うちは違う。鬼軍曹がいる。


 ヴォルグは腕を組んだまま、低い声で言った。


「挨拶は"先制攻撃"である。客の心を制圧し、安心させ、財布を開かせる技だ」


 言い方が全部戦争。


「まず、礼! 角度45度! 速度は音速を超えろ!」


「了解!!」


 ゴブリンたちが一斉に頭を下げた。


 "シュバッ!!"


 風切り音。

 衝撃波。

 宴会場の障子が、"バリバリッ"と裂けた。


「挨拶の威力じゃない!!」


 俺がツッコむ間もなく、ヴォルグはさらに吠える。


「声! 腹式呼吸! 喉ではなく"魂"で叫べ!」


 そして――


「"いらっしゃいませぇぇぇ!!"」


 腹から出た声が、ガラスを揺らし、湯気を震わせ、隣の休憩室の瓶牛乳が勝手にカタカタ鳴った。


 ゴブリンたちは感動して泣いていた。


「ギギ……! 胸が……熱い……!」

「これが……エリートへの登竜門……!」


 いや、ただの物理暴力だよ。

 登竜門じゃなくて、暴風門だよ。


 オークが真面目な顔で言った。


「ブヒ……! 我々は今日、"社会"に認められるのですね……!」


 涙がボロボロ落ちる。

 あの、さっきまで人を食いそうだった連中が、挨拶で泣いてる。

 ギャップが激しすぎて、俺の脳が追いつかない。


 ヴォルグが続ける。


「次! 笑顔! 牙を見せるな! 優しい顔だ!」


 ゴブリンが笑う。

 牙を引っ込めようとして、唇がつりそうになってる。


「ギギ……!(ひきつりスマイル)」


「違う! それは威嚇だ!」


 俺は頭を抱えた。


「接客の難易度、勇者の剣術より高くない?」



 次の研修は、氷室さん担当。

 "コンプライアンス講習"。


 ここから空気が変わる。

 ヴォルグのスパルタは物理。

 氷室さんのスパルタは精神と数字。


 ホワイトボードには、見た瞬間に魔物が震える単語が並ぶ。


 "労基法"

 "税法"

 "ホウレンソウ"

 "源泉徴収"

 "消費税の区分"


 ゴブリンの顔色が青くなった。緑なのに青くなるんだな。


 氷室さんは穏やかに微笑んだ。

 その笑顔が逆に怖い。


「皆さん、安心してください。"守るだけ"です。ルールを理解して守れば、誰も困りません」


「ブヒ……(安心)」

「ギギ……(安心)」


 次の瞬間。


「では、チップを受け取った場合の税務処理について説明します。雑所得か一時所得か――」


 オークが目を回して倒れた。


「ブヒィィ……(計算できない)……!」


 ゴブリンが耳から煙を出し始める。


「ギギギ……!(脳内オーバーヒート)」


 氷室さんはにこやかなまま、電卓を差し出した。


「倒れる前に叩いてください。数字はあなたを裏切りません」


「数字は裏切らないけど、数字が殴ってくるんだよ!!」


 俺が叫ぶと、氷室さんは淡々と続けた。


「そして重要なのが"ホウレンソウ"です。"報告""連絡""相談"。これを怠ると、事故が起きます」


 ヴォルグが深く頷く。


「戦場でも同じだ。"報告"が遅れれば死ぬ」


「例えが怖い!」


 氷室さんが一枚の紙を掲げた。


「では、演習です。あなたが番台で金貨を受け取りました。レートは――」


 オークたちが立ち上がり、顔を引き締める。

 そして、なぜかまた泣き始めた。


「ブヒ……! これが……エリートの試練……!」

「ギギ……! 我々は……選ばれし者……!」


 違う。選ばれたんじゃない。人が足りないだけだ。


 でも、涙の理由が前向きなのは助かる。

 "ブラックの美学"じゃなくて、"成長の喜び"になってる。

 たぶん。そう信じたい。



 昼休憩。

 まかないは、爺の湯名物の生姜焼き定食。


 ゴブリンたちは手を合わせて、真剣な顔で言った。


「"いただきます"……!」


 礼儀が身についてる。早い。

 オークは白米を口に入れて、泣いた。


「ブヒ……! 米……! 温かい……! これは……守るべき文化……!」


「感動ポイントがそこなんだな」


 ヴォルグが頷く。


「戦士は腹で戦う。接客も腹で戦う」


 違うけど、まあいいか。


 氷室さんが箸を置き、俺を見た。


「午後は"実技"です。現場対応ができなければ意味がありません」


「つまり、地獄か」


「地獄ではありません。シミュレーションです」


 氷室さんの"シミュレーション"は、だいたい本番より過酷だ。



 午後の実技シミュレーション。

 "クレーマー対応訓練"。


 ゲストは――雪女ユキハラ。

 今日だけ特別に出勤してもらった。理由? 冷却が必要だからだ。あと演技が上手そう。


 ユキハラは受付に立ち、冷たい目で言った。


「……ビールがぬるいわよ」


 その瞬間、空気が冷えた。

 理不尽な冷気が、床を白くする。


 ゴブリン新入社員、第一号が前に出る。


「申し訳ございません!!」


 土下座。

 速い。美しい。完璧。


 しかし勢いが強すぎて、畳に"ズボッ"とめり込んだ。


「床にめり込むな!!」


 ゴブリンは畳の中から声を出す。


「お客様のご不満を……受け止めます……!」


「受け止め方が物理的すぎる!」


 ユキハラがさらに冷たく言う。


「……私は今、"不快"よ」


 ゴブリンは即座に対応する。


「ただちに、冷却いたします!」


「いや、冷却したら余計凍るだろ!」


 ゴブリンが混乱した瞬間、氷室さんが指示を出した。


「"原因の特定"、"謝罪"、"代替案の提示"、"再発防止"。順番です」


 ゴブリンが震えながら立ち直り、言った。


「原因は……温度管理の不備でございます! 深くお詫び申し上げます! 代替案として、"雪女による瞬間冷却"サービスを追加いたします! 再発防止として、温度計を常時監視いたします!」


 ユキハラが小さく頷いた。


「……まあいいわ」


 セレスが横で手を叩く。


「すごいです! 聖女の目から見ても、彼らの奉仕精神は輝いています!」


 ヴォルグが満足げに笑う。


「よし! これで貴様らも一人前だ!」


 俺は小声で言った。


「一人前の基準が高すぎるんだよ……」



 研修終了。夕方。


 宴会場に戻ると、そこには――別人たちがいた。

 ゴブリンたちが、なぜか七三分けになっている。どこで整髪した。油か。温泉の湯か。


 オークも、腰布の上にエプロンをつけてる。似合いすぎて怖い。


 そして電話が鳴ると、ゴブリンが受話器を取った。


「"お世話になっております"。はい。"爺の湯"ゴブリン営業部でございます。ええ、次回の納品ですが――」


「誰だお前ら」


 俺が思わず言うと、ゴブリンたちは一斉に背筋を伸ばし、涙目で叫んだ。


「社長!! 我々は……変わりました!!」

「この研修……"エリートへの登竜門"でした!!」

「もう、野蛮な魔物ではありません! "社会人"です!!」


 オークが鼻をすすりながら言う。


「ブヒ……! 敬語……難しかった……! でも……褒められた……!」


 泣いてる。

 あのオークが。

 挨拶と税法で。


 氷室さんが満足そうに頷いた。


「よく頑張りました。今日の学びを、日々の業務で実践してください。脱税は――」


「もういい! その締め、毎回重い!」


 ヴォルグが腕組みして、最後に言った。


「忘れるな。客は敵ではない。だが、"信用"は守るべき城だ」


 ゴブリンたちが感動で泣き崩れる。


「うおおお……! 名言……!」

「我々……接客の戦士……!」


 俺は頭を掻きながら、ため息をついた。


「……まあ、いいか。見た目は魔物でも、中身がプロなら最強だ」


 その瞬間、氷室さんが電卓を叩きながら、さらっと言った。


「では、来週から"昇給査定"に入ります。評価項目は――」


 ゴブリンたちが目を輝かせる。


「昇給……!」

「査定……!」

「上がれる……! エリート……!」


「お前ら、ほんとに"上"が好きだな!」


 こうして、爺の湯は今日も平和に――いや、平和じゃないな。

 でも確実に、"ホワイト寄りのカオス"として前進していた。

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