パパとわたしのささやかな破滅
京野 薫
スクラップ・アンド・ビルド(1)
2025年12月2日。
街中が少しづつクリスマスを彩り始め、年の瀬から新年に向かっている。
そんな日。
僕は神様の存在を信じた。
二つの意味で。
一つは昏睡状態だった娘の
愛する娘。
血は繋がってない親戚の娘だけど、彼女が8才の頃から肩寄せ合い生きてきた。
僕の宝物。
そんな彼女が20才の誕生日の翌月、目覚めた。
「このまま死んでもいい」と言う比喩がこれほど適切だと思ったことは無い。
そしてもう一つ。
目覚めた娘は、娘じゃ無かった。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
10月の秋の日。
まだ続く残暑に心からウンザリしながらも、大事な会議に向けてテンションを無理矢理上げていた昼休み。
スマホに「
娘の紗菜の8歳の頃からの幼なじみで、未だに家にもよく遊びに来てくれる。
それどころか、紗菜が15歳の頃に妻を亡くして以降、時々食事を作りにも来てくれる程だ。なので、半分家族みたいな物だった。
今日は二人で、共通の趣味の山歩きに出かけているはずだ。
なのに、なぜこんな昼間に……
不思議に思いながら電話に出た僕は、泣き声混じりの春子ちゃんの言葉に血の気が引いた。
「おじさん……紗菜ちゃんが……足滑らせて……なんで……」
それからは長い悪夢の中に居るようだった。
一緒に歩いていた紗菜は、脇に生えていたキノコに興味を惹かれてのぞき込んだ際、足を滑らせた。
幸い枯れ葉がクッションになったがそのショックか、元々心臓が酷く弱かった紗菜はそのまま心停止を起こし意識不明となったらしい。
春子ちゃんがパニックになりながらもすぐ救急車を呼ぶなど適切に対応してくれたお陰で、紗菜は一命を取り留めた。
だが、娘はそれ以来目覚めることは無かった。
医師からは、このまま目覚めない可能性が高いこと。
脳死状態となった際の事も覚悟が必要、とも言われた。
「おじさん……ごめんなさい……私」
「春子ちゃんは悪くない。有り難う……君がちゃんと対応してくれたから……命の……恩人だ」
「おじさん……何があっても……私が居ます。私……支えます」
涙で頬を濡らしながら僕を真っ直ぐ見る春子ちゃんに救われる思いだった。
だが、紗菜は目覚めなかった。
そして12月に入り、医師からも脳死状態を告げられた頃……紗菜は目覚めた。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
強い寒気のせいだろうか。
病室の窓の外には粉雪がひらり、と舞っていたがそれも僕らを祝福する様に感じる。
「紗菜……ありがとう」
僕は泣きながら彼女の手をギュッと握る。
駆けつけた医師や看護師も驚愕していた。
こんな形での目覚めは初めて見るのだそうだ。
そんな医学的なケースの多寡はどうでもいい。
紗菜が帰ってきてくれた。
それだけで充分だ。
二時間ほど前に目覚めた紗菜は、今も目を開けていたが言葉を発しない。
だけど、視線はキョロキョロ周囲を見回しながら、時々眉をひそめたり口を歪めたりしている。
今まで見たことの無い表情だったので戸惑ったけど、ずっと寝ていたんだから無理ないだろう。
「……どうした? 何か欲しいものでもあるのか? 言ってくれないか。すぐ持ってくるから。お父さんに任せろ」
すると紗菜は何かをじっと考えているようだったが、やがて何かに納得したように小さく頷き、言った。
「あなたは……父親?」
「……そ、そうだよ。どうした……当たり前だろ?」
「……ごめん」
「お前、もしかして……記憶が」
紗菜は小さく頷いた。
「うん、そうなの」
「……大丈夫だ。父さんとゆっくり取り戻していこう。あの……僕は本当の父親なんだ。それは信じてくれるな?」
僕の言葉に紗菜は目を細めて何か考えていたが、やがてポツリと言った。
「役所で戸籍謄本を取ってきてもらってもいいかな? 後、アルバムもあれば。家族のと卒業アルバム。後……」
「なんだ? なんでも持ってくるぞ」
「スマホ。……タブレットも。これは今欲しい」
「わ、分かった! 了解! えっと……待ってろ」
僕は慌てて紗菜のバッグからスマホとタブレットを取り出し、彼女に渡した。
「……パスワード忘れちゃった」
「……え? あ、でもお前いつも指で触ってたから、指紋認証なんじゃ無いか?」
「ありがと、お……父、さん。やっぱ……記憶がアチコチ無くなってる」
そう言って紗菜は指で触ってスマホを見始めた。
「大丈夫だ。さっきも言ったけど一緒にゆっくり取り戻していこう。春子ちゃんも心配してたぞ。……そうだ、連絡しないと」
「春子ちゃん?」
「……そうか、忘れちゃったか……お前の幼なじみだよ。彼女と一緒に山登りに行ってそこで……でも、あの子がすぐに救急車を呼んでくれたから今、こうして……」
すると紗菜は目を細めると、小さく何回か頷いた。
「……あ、そっか」
「ああ、すぐに知らせるよ。彼女を見たらすぐ思い出すよ。春子ちゃんも……」
「それはいい」
「……へ?」
「ゴメンね、父……さん。今日は一人にして欲しいの。そうだな……明後日また来てくれる? 色々聞きたいから」
「あ……ああ。疲れてるもんな……オッケー、また明後日」
「いいタイミングになったら私から知らせるから、ラインだけ教えて」
そう言うと紗菜は微笑んだ。
だけど……その微笑みは僕の知ってる紗菜では無かった。
唇だけ艶っぽく歪む笑み。
無邪気で日だまりの様な笑顔。
僕の知ってる紗菜はそんな微笑みだったはずなのに……
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
そして三日後。
紗菜からのラインを受け取った僕は、会社を早退して病室に駆けつけた。
やっと……また親子になれる。
そんな気がした。
この前は彼女も動揺していた、戸惑っていた。
だから、ぎこちない違和感を感じていた。
でも……大丈夫。
これから積み上げていけばいい。
壊れたならまた作れば良い。
病室に入ると、紗菜はベッドに上半身を起こして、天井をじっと見ていた。
だが、僕はそれよりも気になる事があった。
まず髪型だった。
紗菜は初めて会ったときからすっと、肩まで伸びたストレートヘアだった。
だが、今の紗菜は両側をツインテールのように結んでいる。
そして……
「なあ、紗菜……なんでカーテン閉まってるんだ?」
紗菜は僕の戸惑ったような口調にクスクスと笑っている。
「ゴメンね “ パパ ”。外から見えたら都合悪いでしょ? 色々と」
「……パパ?」
紗菜が……「パパ」なんて言ったこと……初めて出会った8才の頃でも聞いたこと無い。
視線をアチコチ彷徨わせながら、突っ立っている僕を見て紗菜はベッドから降りると、ゆっくりと僕に近づく。
……これは……誰だ?
なぜか後ずさりしてしまう。
ずっと会いたかった。
目覚めたお前に。
初めて出会った頃から僕の宝物。
血は繋がっていない。
本当の親子じゃ無い。
でも、お前のためなら死ねる。
そんな娘。
なのに。
なのに……なぜ……怖いんだ?
「私さ……『お父さん』って言い方、嫌いなんだ。だって……」
もういい……もう……
「紗菜……やっぱり……疲れて……」
「私が初めて殺した奴なんだもん」
……は?
次の瞬間。
紗菜は素早く僕に飛びかかると、僕の首を掴んで壁に押しつけた。
息が……でき……ない。
心臓が……
まるで胸の奥を冷たい手が握っているような。
乱暴に押し広げているような。
そんな……ああ……僕は何を言ってるんだ?
紗菜は僕を見て楽しそうに微笑んだ。
唇を閉じたまま、端だけつり上げるような……紗菜じゃ無い微笑みで。
「ゴメンねパパ。私、紗菜じゃ無いの。私は『エリカ』。受け入れなくてもいいから、今から一緒に『家族ごっこ』して。私のパパに……そして奴隷になるの」
目の前がぼやけてくる。
苦しい……助け……
「イエスなら私の背中を指で三回叩いて。そしたら解放してあげる。ノーならさようなら。紗菜と違って……助からないよ、あなた」
僕は脳内に火花が飛び散るような感覚に耐えがたくなり、右手の指先で紗菜の背中を三回叩いた。
すると喉の力がふっと緩んで、僕はそのまま床に座り込んだ。
喉と肺が焼けるように熱く、ひたすら空気を食い込んではむせた。
そんな僕の頭上から、紗菜……だったはずの「何か」の声が降ってくる。
「契約成立ね。ちなみに誰かに言ってもいいよ……誰も信じないから。その時は “ おしおき ”だよ」
そう言ってクスクス笑う声が聞こえると、紗菜は僕の目の前にしゃがみ込んだ。
そして僕の顔をジッと見て、両手で頬を撫でる。
「じゃあ……よろしくね『パパ』」
次の瞬間、紗菜は僕の唇に……キスをした。
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