パーティー最弱の男装ヒーラーは勇者の愛により追放される。

夢咲咲子

Act1.「勇者パーティー追放」

 邪神。それは、かつてこの地上に君臨していた強大な支配者。

 生きとし生けるもの全てを従わせ、恐怖という信仰で神に成り上がった紛いものの神である。


 荒ぶる邪神は傲然と地上を蹂躙し、天の神々の怒りに触れた。

 邪神は正義の女神レセネの手で、地下深くに封じられることとなる。


 そして地上は邪神の恐怖から解放された。

 人も獣も、邪神の恐ろしさを忘れた。


 しかし数百年の時を経て、今、その恐怖が蘇ろうとしている。




 ――それは、三十年前のこと。オルセン帝国の西の空に、星が降った。

 空に流れる幾筋もの輝きは夢のように美しく、まさしく悪夢の始まりだった。星々に秘められた神秘の力が、地下深くで眠っていた邪神を目覚めさせてしまったのである。


 長い時の中で肉体を失っていた邪神は、自らの気だけを外に放ち、人や獣に憑りつくことで体を得た。邪神に寄生された獣を狂獣、人間を狂人と呼ぶ。


 それらは邪神の意のままに動く傀儡となり、生来持ち得なかった恐ろしい力によって、女神の作り上げた平穏を破壊していった。邪神の目的は、地上を再び恐怖で支配することである。


 邪神の気――“邪気”の発生源は、西の果ての禁則地マラカ洞窟。

 オルセン帝国をはじめ、各国が幾度も兵を送るが、半分も戻って来ることは無かった。


 皇帝は望みをかけ、全国民にお触れを出す。


『邪神を滅ぼした英雄には、望む名誉と報酬を与える』と。


 かくして、腕に自信のある者、一攫千金を狙う者、邪神に大切な者を奪われた者は、続々と西を目指し始めた。




 ――彼女もその一人だった。

 三年前、十五歳の彼女は、村を狂人に襲われ家族も友人も全てを失った。幸か不幸かたった一人生き残った彼女は、復讐の旅に出る。女の一人旅には不都合が多く、彼女は髪を短く切ると、亡き兄の名“ノア”を名乗り男を装った。


 彼女が持っているものといえば、村で教わった治癒術と薬の調合知識、素人に毛が生えた程度の剣術。そして、人より幾らか怪我の治りが早い丈夫な体だけ。一人で復讐をなすのがいかに無謀であるかは、彼女自身が一番よく理解していた。


 旅の道中で狂獣の群れに囲まれ、絶体絶命の窮地に陥る彼女。


 そんな彼女の前に現れたのは、一人の剣士だった。


 陽光を束ねたような金の髪、空を映した青の瞳。

 彼は、圧倒的な力で狂獣を一掃した。


 剣士の名はルーク。女神レセネに選ばれしオルセン帝国の剣聖で、国宝である聖剣を振るうことをただ一人許された“勇者”である。彼は皇帝の命により、仲間と共にマラカ洞窟を目指していた。


 正義感に溢れ、知勇を兼ね備えたルーク。彼女は、彼に付いて行けば自分の復讐を果たせると思い、懇願の末に勇者一行に加わった。


 強く賢く気高い勇者。彼女にとってルークは、女神よりも信じられる存在になっていった。恩人である彼のために命を捧げたいと思うようになった。


 彼さえ生きていれば、必ず邪神を滅ぼしてくれる。彼を守ることが、救われたこの命の有意義な使い道だ――と。



 それを拒絶されることなど、想像すらしていなかった。




「ノア、お前の力はもう必要ない。今日限りで団を抜けてもらう」

「え?」


 マラカ洞窟の手前、最後の町。小さな町の酒場には、名誉と報酬につられた挑戦者達が情報交換の為に集っていた。が、今は話もそっちのけで一カ所に好奇の目を向けている。彼らの視線の先では若い男が二人、険悪な雰囲気で対峙していた。


 一人は挑戦者なら知らぬ者はいない、帝国中に名を馳せる勇者ルーク。目を引く精悍な美男だ。数多の死地を潜り抜けてきた貫禄を身に纏い、目が合う者を黙らせる迫力がある。女は勿論、別の意味で固まるのだが。


 もう一人は……誰だったか、と人々は首を傾げた。道ですれ違っても記憶に残らないだろう地味で小柄な青年だ。丸い輪郭に子供みたいな目をしているが、静かな表情は妙に大人びている。歳の掴みにくい男だった。


 一人の男が「あいつ、勇者一行に付いて回ってる金魚のフンだぜ」と得意げに言う。ルークはその男を煩わしそうに睨んだ。青年――ノアは、他には一切目もくれず、ルークに詰め寄る。


「ルークさん……何の冗談ですか? もう一度言って下さい。僕の聞き間違いですよね?」

「お前は耳まで鈍くなったのか? ここから先、お前を連れて行くことは出来ないと言ったんだ」

「どうしてですか」

「お前は弱い。この先必ず足手纏いになる」

「……僕が力不足なのは認めます。でも、精一杯やってきましたし、役にも立っていたでしょう? どうして……」


 ルークは何も答えない。目を瞑り、眉間に皺を寄せ、腕を組み黙りこむ。もう話すことは無いと言わんばかりの態度だ。突然のことに混乱しながら、ノアはどうにか考えを改めてもらえるよう、説得する。


「洞窟はかなり深いと聞きました。長期戦になるなら、治癒士は必要ですよね? ……僕、絶対にルークさん達の邪魔はしません。約束します。この間みたいに僕が怪我をしても、助けなくていいですから。置いていっていいですから……」


 一月前の戦いで、ノアは大怪我を負っていた。狂獣の牙に腹を深く抉られ死を垣間見たのだ。だがルークがノアを拒むのは、ノアが動けない重傷者だからではない。ルークはノアの治癒力が人並み外れて高いことを知っている。もう動き回っても支障がないことを、彼は分かっているのだ。


(なんで? どうしてここまで来て……今更そんなことを言うの?)

 ノアには彼が分からなかった。その整った顔立ちは隙が無く、どこまでも冷酷に見える。いくら待っても反応すら示さないルークと、そんな彼をひたすら見つめ続けるノア。埒が明かない状況を見かね、二人の間に銀髪の、軽薄そうな男が割って入った。旅の仲間の一人、魔法士ギルバートだ。

  

「おいノア、聞き分けろよ。ガキみたいなのは顔だけにしとけ」

「ギル……。僕はルークさんと話してるんだ。そこをどけて」

「どいて欲しけりゃ、どけてみたらどうだ?」

 ギルバートの無骨な手が、ノアの胸倉を掴み上げる。大人と子供の対格差がある相手に、ノアの体は軽々と浮かせられた。


 だがノアは怯まない。顔色一つ変えず「離して」と言い放つノアに、ギルバートは奥歯を噛みしめる。……自分が馬鹿をやってしまった時に諭すような、いつものままのノアに。


「ハァ。相変わらずふてぶてしい野郎だな。そういう、弱いくせに偉そうなところがず~っと目障りだったんだ! お前は存在するだけで俺達の士気を下げるんだよ」

「なにそれ。本気で言ってる?」

「ああ。これまではお情けで養ってやってたが、もう懲り懲りだ。俺達は明日、遂に洞窟に入り、邪神を滅ぼし英雄になる! お前みたいな奴が一緒にいたら、英雄の名に傷が付くだろ?」


 ギルバートの勝利宣言に、酒場の挑戦者達も熱く湧き立った。ノアは男達の咆哮に顔を顰める。


「僕は名誉なんて要らないよ。ただ……」

「なんだ? 復讐か? お前の他力本願な復讐ごっこに付き合う気はねえんだよ」

「でも治癒士がいないと、」

「ああ、心配すんな。陛下のご厚意で、明日には優秀な兵士と治癒士が到着する。新しい治癒士はお前みたいなちんちくりんじゃなく、玉のような美人だって噂だぜ」

 ギルバートの顔に下品な笑みが浮かぶ。彼は無類の女好きなのだ。


「呆れた」と目を細めるノアを、ギルバートは乱暴に床に放った。華奢な体が床に打ち付けられた瞬間――ギルバートは背後から殺気を感じるものの、振り返らない。いつものことだからだ。ノアが傷付くと、彼は乱れる。


 ノアは悔しさに唇を噛み、ギルバートと、その後ろのルークを睨んだ。


「ルークさん。あなたは僕を連れて行ってくれるって言ったのに。あれは嘘だったんですか?」

「……お前は弱い。この先必ず足手纏いになる」

 力無いルークの声は、既にノアへの興味を失っているように聞こえる。が、ギルバートはそうではないことを知っていた。(お前、さっきと同じこと言ってるぞ)と心の中でツッコミを入れる。


「もう、いいです」

 ノアは対話をする気の無いルークにわざとらしく溜息を吐き、早足で酒場の出口へ向かった。扉に手をかけるノアに、壁に背を預けていた女が声をかける。波打つ赤髪、体の起伏を強調するドレス。艶めかしい美女は、仲間の一人のレイラである。ノア達は四人で旅をしていたのだ。


 レイラはノアの顎を掴み、僅かに潤んだその瞳を見て嘲笑った。


「可哀想な子猫ちゃん。……ルークのことはアタシに任せて、大人しくミルクでも舐めていなさい」

 耳元でそっと囁かれ、ノアはゾクリとする。視界の端では、赤い唇の間からぬらりと舌が見え隠れしていた。


 レイラはルークに気がある。それはもう堂々と彼を狙っている。異性に関心が薄そうな彼にあしらわれながらも、日夜問わず熱烈なアプローチを繰り返していた。

 そんなレイラは、ノアが女であると気付いており、勝手に敵視している。今のレイラの顔は、目障りだったノアがいなくなり清々するといったものだ。


「レイラ……」

「あ、アンタの装備は置いて行きなさいよ。アンタにくれてやるものなんて一つもないんだからね」

「……っ!」


 ノアは彼女の手を振り払い、乱暴に剣と防具を捨てると、今度こそ酒場を出ていった。

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