012 「生と死の狭間 ~Life and Death~」

 彼女は暗闇の中を必死になって走っていた。

 右も左も分からない。

 恐怖にかられ、ただ泣き叫んでひたすらに必死に懸命に駆ける。

 いつもなら傍で励ましてくれる精霊たちも、今は沈黙していた。

 まるでこの森全体が、彼女の絶望を見届けているかのように。


 世界樹アルセリアーー世界の中心にある天と地を繋ぐ唯一の架け橋。

 しかし、世界樹の輝きに最近陰りが見え始めた。その原因を確かめるために王族の義務を果たすためと護衛を伴って魔物の巣くうノワリスの森に赴いたのだ。


 そして、最初に負った傷は魔物の攻撃ではなく背後からの……仲間からの斬撃出会ったのだ。


 助けて! 助けて! 誰かっ!


 体中が痛い。何よりも背中の傷と心の傷が痛い。


 どうして……どうしてこんなことになったの!


「くそ! そっちに逃げたぞ!」


「追え! そんなに遠くには逃げられないはずだ!」


 兵士たちの声が背後から聞こえる。


 彼女は息を切らせながら必死になって走った。


 父が病に倒れてから、全てがおかしくなった。


 エルフは森の民。他の国家とは異なりグランフィリアの森に結界を張りその中に国を築いていた。国といっても集落の集まりでしかない。

 エル=ナスティア、それが彼女たち耳長族の国の名だ。他国との交流を拒み、地図上に存在しない国。物質界よりも精霊界に近い存在の国。

 そして、彼女の集落がその中心地として耳長族の王として君臨していた。その治世は五〇〇年にもわたり今後も安然とした治世が続くはずであった。


 それが、崩れ去った。


 一向に治らない王の……父の病。周囲は彼女と彼女の兄、どちらを王にするのかで大きく割れた。


 彼女は権力には興味がなかった。


 それでも、彼女は後継者候補に祀り上げられてしまった。

 それを快く思わない者たちの罠に彼女はまんまと嵌められてしまったのだ。


「世界樹の異変を突き止めてきてくれ、それが王女としての務めなんだ」


 そんな……アトラス兄様が……私を殺そうとするだなんて!


「姫様、グランフィリアの森で魔物が現れたと、民たちが不安がっております」


 宰相のサイシャが森の調査を依頼し、護衛の者を手配した。彼女の直属の騎士団ではなく、森に精通しているという者たちで構成されたものたちだ。


 それらがすべて罠だったのだ。


 ――ザシュッ!


「きゃあっ!」


 鋭い爪が腕を切り裂いた。

 痛みによろめきながらも、彼女は歯を食いしばり、再び走り出す。


 しかし、次の瞬間――背中に焼けつくような痛み。

 爪が肉をえぐり、血が飛び散った。


「くっ……まだ、終わられない……ここまで来たのに!」


 鋭い痛みを感じて彼女は身をよじる。

 振るった剣は、獣の牙に噛み砕かれた。

 それでも、彼女は恐怖を押し殺し、最後の力を込めて斬りつける。


 ――ズバァッ!


 渾身の一撃が、獣の体を弾き飛ばした。


 獣は息絶えた。


「ちっ! やっと追いついたぜ!」


 安堵する間もなく兵士たちがアメリアを囲む。

 兵士の一人が剣を構えた。


「最後に言い残すことはないか?」


 冷ややかな目で兵士が告げる。


「……あなたたちに告げる言葉などないわ……」


「そうか……せめて命乞いなら聞いてやったかもしれんがな……残念だ!」


 それは嘘だ。アメリアは直感的に理解した。そんなものはまやかしだ。彼らは彼女を確実に殺すつもりで襲撃している。今さら命乞いをしたところで助けてなどくれないだろう。


「さらばだ、王女様!」


 兵士が剣を振り上げたまさにその瞬間。兵士の首が消し飛んだ。血しぶきを上げ兵士の身体がその場に崩れ落ちる。


「ば、馬鹿な……レッドウルフだと!」


「なんでこんなところに!?」


「くそ! 逃げるぞ!」


 レッドウルフが倒した兵士の身体を咥え森の中に消えていく。しかし、茂みの中から五匹のレッドウルフが現れた。


 ……ここまでか……


「……シ、シャドウハイド……」


 光魔法【隠蔽】


 アメリアの身体が光に包まれその姿を隠す。


「ば、馬鹿な……王女が消えたぞ!」


 アメリアが【隠蔽】の魔法で姿を消したことに驚きを隠せない兵士。ただ姿が見えなくなっただけで、彼女が動けるはずもなかった。

 しかし、レッドウルフを目の前にして平静を失った兵士たちはそのことに気づけない。


「そんなことより、ここから逃げるぞ!」


「……わかった!」


 兵士が逃げ出すと二匹のレッドウルフがその後を追う。


 遠くから兵士たちの悲鳴が聞こえたのはその後すぐのことだった。


 ……これで……辱められずに済む……


 彼女の命が尽きれば魔法も解け、その姿が現れるだろう


 襲撃者は倒れた。しかし、それが彼女の限界だった。


 胸に受けた深い傷が、もう命の灯を奪っていく。


 ……ああ、せめて……故郷の地で死にたかった。


 一筋の涙を最後に、彼女の命は尽きた。


 ■ ■ ■ ■


「この加護の守りのお陰で私の魂はかろうじて現世に残っていました」


 首にかけた深紅のネックレス。主が死した彼女の魂をかろうじてつなぎとめていたのだ。


 薄れゆく意識の中で、アメリアは自分の魂が肉体から離れていくのを感じた。そして、氷漬けになった自分自身の身体をずっと見つめることしかできなかった。エルフは亜人族の中でも精霊に近い存在、魂だけになっても意識を保つことができたのは奇跡と言える。


 ――視界が、白く滲む。


 アメリアは、自分の魂が身体を離れていくのを感じた。


 動かない自分の身体を見下ろしながら、ただ呆然と立ち尽くす。

 それでも、エルフである彼女の魂は消えなかった。精霊に近いその存在ゆえに――意識を保っていられたのだ。


 そんな時。


 淡い光が現れた。


 彼女の前にヴィータが現れたのだった。

 少年は静かに手をかざし、アメリアの身体を包み込む。


 そして――奇跡が起こった。


 肉体の復元。魂の再定着。

 まるで神の御業のように、アメリアは再び「生」を得たのだ。


 ――目を覚ますと、そこは柔らかな光に満ちた部屋だった。


 アメリアはベッドの上でゆっくりと身を起こし、自分の身体を確かめた。

 どこにも傷はない。そして身体には生者の温もりがある。


「……私、生きてる!?」


 彼女は自らの死を自覚していた。


「これはどういうこと……わ、私は死んだのではないの?」


 彼女の周囲にいた精霊に語り掛ける。


 精霊たちの囁きが教えてくれた。

 彼女の命を、牛輪われた命を救ってくれたのは、目の前で気を失っている青年だという事を。


 ベッドの横に倒れこんでいる人族のの青年が……この青年こそが彼女の命を救ってくれた人であると魂に刻み込んだ。


 一度は失ったこの命、無くした命は青年によって救われた。


 アメリアはそっと彼を見つめた。

 その顔は穏やかだった。


(……ありがとう。あなたが、私を……)


 一度は失われた命。もう、以前の生は捨てた。

 未練がないわけではない。

 執着がないわけではない。


 しかし……


 彼女は失敗したのだ。裏切られ、捨てられたのだ。


 ならば。


 ――この命、あなたのために捧げます。


 身も心もこの青年のために捧げよう。

 アメリアは、深く、強く、決意した。

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