第2話 裏切りの影に潜む棘
数日後の学校。僕の心に巣食う不安は、日に日に大きくなっていた。凛音の部活が忙しいのは分かっている。でも、彼女のスマホが鳴るたび、僕の胸に棘が刺さるような感覚がする。あの隼人先生の存在が、影のように付きまとっている。
朝の教室で、凛音が席に着くと、彼女は僕に微笑みかけた。いつものように、隣の席から話しかけてくる。
「蒼真、昨日は遅くまで勉強してたの? 顔色が悪いよ」
僕は無理に笑顔を作って答えた。
「うん、ちょっとね。凛音こそ、部活で疲れてない?」
彼女は首を振って、ノートを広げた。
「大丈夫だよ。むしろ、楽しいよ。隼人先生の指導が役立ってる」
またその名前。授業が始まっても、僕の集中力は散漫だった。凛音の横顔をチラチラ見ながら、昨夜のことを思い出す。彼女の部屋の明かりが遅くまでついていたこと。そして、僕が送ったメッセージへの返事が、いつもより遅かったこと。
休み時間、蓮司が僕の席にやってきた。彼はいつものように明るく話しかけるが、今日は少し真剣な表情だ。
「蒼真、ちょっと話があるんだけど。凛音のこと」
僕の心臓が早鐘のように鳴った。
「何?」
蓮司は声を潜めて続けた。
「昨日、部室の近くを通ったら、凛音と隼人先生が二人きりでいたよ。なんか、親しげだった。……ただの指導かもしれないけど、気をつけろよ」
その言葉が、僕の疑念を一気に膨らませた。放課後、僕は凛音に一緒に帰ろうと誘ったが、彼女は申し訳なさそうに断った。
「ごめん、今日も部活が長引くかも。先生が文化祭の準備を手伝ってくれるんだ」
僕は頷いたが、心の中で決めた。今日は部室の近くで待ってみよう。もしかしたら、ただの勘違いかもしれない。でも、確かめずにはいられなかった。
校舎の裏手、美術部の部室は古い建物の一角にある。僕は木陰に隠れて、時間を潰した。夕陽が沈み始め、周囲が薄暗くなる頃、部室のドアが開いた。出てきたのは凛音と隼人先生。二人とも笑顔で、何かを話している。
僕の胸が痛んだ。でも、それだけならまだよかった。問題は、その後だ。二人は校門とは反対方向へ歩き出し、近くの路地に入っていった。僕はこっそり後を追った。心臓の音が耳に響く。
路地の奥、街灯の薄い光の下で、二人は立ち止まった。隼人先生が凛音の肩を抱き、彼女の耳元で何かを囁く。凛音は照れたように笑い、先生の胸に寄りかかった。そして、信じられないことに、二人はキスをした。深い、恋人同士のようなキス。
僕の視界が揺れた。足が震えて、その場にしゃがみ込んだ。吐き気が込み上げ、涙が溢れそうになる。凛音、僕の恋人、幼馴染の彼女が、他の男と……。しかも、隼人先生は妻子持ちだ。学校の噂で知っていた。あの先生に、妻と子供がいることを。
二人が去った後、僕はようやく立ち上がった。家に帰る道中、頭の中がぐちゃぐちゃだった。なぜ? いつから? 僕の愛は、足りなかったのか? 幼い頃の約束は、ただの思い出になってしまったのか?
家に着いて、部屋に閉じこもった。スマホを握りしめ、凛音にメッセージを送ろうとしたが、指が動かない。代わりに、彼女のSNSをチェックした。普段は見ないけど、今日だけは……。そこに、隼人先生とのやり取りの痕跡はなかった。でも、彼女の投稿に、美術部の写真がいくつか。隼人先生と並んで写る凛音の笑顔が、痛いほど輝いている。
夜中、眠れずにベッドで転がっていると、凛音からメッセージが来た。
『おやすみ、蒼真。今日も部活楽しかったよ』
楽しかった? あのキスの後で、そんな言葉を送ってくるのか。僕は返事をせず、スマホを投げ出した。涙が止まらなかった。絶望が、波のように押し寄せる。僕の心は、粉々に砕け散った。
翌日、学校に行きたくなかった。でも、行かなければならない。教室で凛音を見ると、彼女はいつも通り僕に話しかけてきた。
「蒼真、どうしたの? 昨日メッセージ返してくれなかったね」
僕は平静を装って答えた。
「ごめん、寝落ちしちゃった」
彼女は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「体調悪い? 無理しないでね」
その優しさが、逆に胸を抉る。君は僕を裏切っているのに、どうしてそんな顔ができるんだ? 授業中、僕は凛音の様子を観察した。彼女のスマホが鳴ると、すぐに確認して、微笑む。きっと、隼人先生からのメッセージだ。
昼休み、僕は一人で屋上に上がった。そこは、僕たちがよく弁当を食べた場所。風が吹き、遠くの街並みがぼんやり見える。凛音の裏切りを思い出すと、吐き気がした。どうして彼女は、そんなことを? 隼人先生の甘い言葉に騙されたのか? それとも、僕との関係に飽きたのか?
蓮司が屋上にやってきて、僕の隣に座った。
「蒼真、さっきの顔見てたら分かるよ。何かあっただろ?」
僕は迷った末に、昨日のことを話した。蓮司は目を丸くして、ため息をついた。
「マジか……。凛音、そんな子じゃなかったのに。隼人先生、妻子持ちだって知ってるはずだぞ」
「知ってるはず。でも、関係を持ってるんだ」
蓮司は僕の肩を叩いた。
「今すぐ凛音に聞けよ。もしかしたら、誤解かも」
誤解? あのキスは、誤解なんかじゃない。でも、蓮司の言葉に押されて、僕は決意した。放課後、凛音に直接話そう。
放課後、校門で凛音を待った。彼女が出てきて、僕を見つけると笑顔になった。
「蒼真、一緒に帰ろうか? 今日は部活早く終わったよ」
僕は頷き、歩きながら切り出した。
「凛音、ちょっと話があるんだけど」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「何? 真剣な顔」
僕たちは近くの公園に行き、ベンチに座った。夕陽が沈み、辺りが橙色に染まる。僕は深呼吸して、言った。
「昨日、君と隼人先生を見た。路地で……キスしてた」
凛音の顔が青ざめた。彼女は目を逸らし、声を震わせた。
「蒼真、それは……」
「説明して。いつから? なぜ?」
凛音は涙を浮かべて、ぽつぽつと話し始めた。
「ごめん、蒼真。最初は部活の指導だったの。隼人先生が、特別に教えてくれて……。それが、だんだん親しくなって。先生の言葉が優しくて、惹かれちゃった」
「先生は妻子持ちだよ。知ってるよね?」
凛音は頷いた。
「知ってる。でも、先生は『妻とは上手くいってない』って言ってた。離婚するつもりだって……。私、信じちゃった。蒼真、ごめんなさい」
彼女の言葉が、僕の心をさらに抉った。知りながら、関係を持っていたのか。甘い言葉に騙されて、僕を裏切った。幼馴染の僕を。
僕は立ち上がった。怒りと悲しみが渦巻く。
「信じられない。僕たちの約束は、何だったの?」
凛音は泣きながら、僕の腕を掴んだ。
「蒼真、許して。先生とのことは、終わらせるから。もう一度、やり直そう」
「無理だよ。君は僕を裏切った。こんなに簡単に」
僕は彼女の手を振り払い、公園を後にした。家に帰る道中、涙が止まらなかった。絶望が、僕を飲み込む。凛音の顔、隼人先生の笑顔が、頭に浮かぶ。なぜ、こんなことに?
家に着いて、部屋で一人になった。壁に拳を叩きつけ、声を殺して泣いた。幼い頃の思い出が、次々と蘇る。あの花火の夜の約束。公園での絆創膏。すべてが、偽りに思える。凛音は、僕の愛を踏みにじった。
夜中、スマホが鳴った。凛音からだ。何度もメッセージが来る。
『蒼真、ごめんなさい。話させて』
『愛してるのは蒼真だけだよ』
『許して』
僕はそれを読んで、削除した。代わりに、隼人先生のことを調べ始めた。学校のサイト、SNS。妻子持ちの事実を確認する。妻の名前は葵さん、子供は五歳の男の子。幸せそうな家族写真が、ネットに残っていた。
隼人先生は、そんな家族を裏切って、凛音に手を出したのか。僕の恋人を、寝取った。怒りが、胸に燃え上がる。絶望の中で、何かが芽生えた。復讐の心。こいつらを、許せない。ただ泣いているだけじゃ、終われない。
翌日、学校で凛音に会った。彼女は目を腫らして、僕に近づいてきた。
「蒼真、昨日はごめん。もう先生とは会わないよ」
僕は冷たく答えた。
「信じられない。もう、話しかけないで」
凛音はショックを受けた顔で、席に戻った。授業中、彼女の視線を感じるが、無視した。心が痛むけど、裏切りを許すわけにはいかない。
放課後、僕は一人で美術部室の近くに行った。隼人先生が出てくるのを待つ。先生は一人で部室から出て、車に乗り込んだ。僕は後を追う気にはなれなかったが、心の中で誓った。こいつを、凛音を、絶対に許さない。復讐する。どうやって? まだ分からない。でも、始める。
その夜、僕はノートに計画を書き始めた。証拠を集める。隼人先生の不倫を暴く。凛音の後悔を、徹底的に味わわせる。絶望の棘が、僕の心を刺す。でも、それを力に変える。
凛音からの電話が鳴った。出ずに、無視した。彼女の声が、留守電に残る。
「蒼真、話そうよ。愛してる」
愛してる? 笑わせる。君の愛は、偽物だ。僕の心は、裏切りの影に飲み込まれていく。復讐の炎が、静かに灯り始めた。
数日が過ぎた。学校では、凛音を避け続けた。彼女はクラスメイトに相談しているようで、蓮司が教えてくれた。
「凛音、落ち込んでるよ。お前、許さないのか?」
「許せない。裏切られたんだ」
蓮司は頷いた。
「まあ、そうだな。俺も手伝うよ。何かあったら言え」
僕は感謝した。友人だけが、味方だ。凛音の裏切りは、僕の日常を壊した。食事も喉を通らず、夜は眠れない。夢の中で、凛音と隼人先生の姿が繰り返し現れる。絶望が、僕を蝕む。
ある日、凛音が僕の家に来た。インターホンが鳴り、出ると彼女が立っていた。涙目で、訴える。
「蒼真、入れて。話したい」
僕はドアを開け、居間に通した。彼女は座ると、声を震わせた。
「先生とのことは、間違いだった。部活の延長で、甘い言葉に流されたの。蒼真がいないと、寂しくて……」
「寂しい? 僕がいつもそばにいたのに?」
凛音は頭を下げた。
「ごめんなさい。先生は『君の才能を伸ばしたい』って言って、特別扱いしてくれた。気づいたら、関係が深くなってた。でも、今は後悔してる。蒼真、戻ってきて」
彼女の言葉に、僕は心が揺れた。でも、思い出した。あのキスの場面。隼人先生の妻子の存在。凛音は知りながら、選んだんだ。
「無理だ。君は僕を捨てた。もう、終わりだよ」
凛音は泣き崩れた。
「そんな……。幼馴染の私たち、ずっと一緒だって約束したのに」
「その約束を破ったのは、君だ」
僕は彼女を家から追い出した。ドアを閉めると、力が抜けた。絶望の底で、復讐の計画を練る。隼人先生の不倫を、妻に知らせる。学校に通報する。凛音には、後悔の念を植え付ける。
裏切りの棘は、深く刺さった。でも、それを抜くために、僕は動く。復讐の渦が、静かに回り始める。
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