00.1 婚約破棄
「テレーゼ・ファブアイル! 貴様との婚約はこの時をもって破棄する!」
そう告げたにも関わらず、婚約者は微笑を浮かべたままいつもの変わらぬ表情だった。
ずっとそうだ。
感情がまるでわからず、常に優雅に余裕をもった立ち振る舞い。
王妃が褒めるその所作は確かに美麗で見惚れるものだが、そんな女が常に横にいるのは嫌で仕方なかった。
王太子として生まれ、幼い頃から厳しい教育を受けて来た。
母から愛情を感じたことはない。
父からも、後継者としての言葉しか受け取ったことはない。
家族としての愛情など育んだ記憶は一切なく、教育係の者が親代わりであった。
『王太子殿下の教育はあまり進んでいないらしい』。
『王太子殿下は勉強が得意ではないとか。まあ、妻が優秀であればよいでしょう』
『王太子殿下は記憶力もあまり……』
『王太子殿下は馬術も……』
『王太子殿下は』
『殿下は』
ずっと──ずっとずっと言われ続けたきた。
どれだけ努力しても認められなかった。
出来て当たり前、どうして出来ないのか。
出来るようになっても褒められることはなく、すぐに次を学ばされた。
もっと励め、もっと頑張れ、もっとやる気を出せ。
励んでいる、頑張っている、やる気もある。
それでも身に付かないのは、一体何が悪いんだ?
一方、婚約者はどうだ。
テレーゼ・ファブアイルは物心ついた時に婚約者となった。
互いに好いているわけではないが断ることが出来るわけでもない。
別に嫌っているわけではなかった。
仲良くしようと思っていたし、それはお互い通じ合っていた。
ただ……
ただ、テレーゼ・ファブアイル侯爵令嬢は、出来が良かった。
途中から王妃教育が始まったのにも関わらず、聞こえてくるのは絶賛の声ばかり。
自分を一度も褒めたことがない母が『この娘はいずれこの国に大きな益を齎すでしょう』と、父は『これほどの妻を持てる息子は果報者だ』と言う。
宰相も、騎士団長も、外交官を務めるファブアイル侯爵も。
全員がテレーゼのことを認めていた。
いずれ王妃になるのにふさわしい令嬢だ、と。
では、王太子である自分は。
王太子である自分は果たしてどうなんだ。
褒められない。
認めてもらえない。
言われることはいずれもテレーゼを褒める言葉ばかりで、そんな婚約者を羨ましいと言うおべっかばかり。
──俺は?
──俺は、誰でもいいのか?
まるで自分に求められているのは、その血だけ。
そうとばかり……いや、そうとしか思えない。
将来を期待されているのは婚約者で、自分はお飾りの国王。
玉座に座る自分と、その横で指示を出す王妃。
己の前に跪きながらその忠誠は王妃に向けられている騎士団や宰相──そんなものに、一体なんの意味がある。
だが、どれだけ足掻いても変わらない。
自分が努力して身に付けたことは当たり前のことで、それすらもテレーゼの前では無意味になる。王妃に判断を仰げば間違いない、そんな空気が形成されているのだから。
そうして腐りかけ、残る僅かな自分の人生を味わうために学園にやってきて──彼は真実の愛に目覚めた。
「なっ……なにを言っているのですか!? 殿下、お戯れが過ぎます!」
「ふん! 私はふざけてなどいないぞ、デュバル」
「今すぐテレーゼ様に謝罪を! このような場でそんなことを言って……どうなさるおつもりで!?」
デュバル・ホールブラウン。
宰相の息子であり、幼い頃からテレーゼの近くにいた信奉者の一人。当然彼と馬が合うはずもなく、現政権に携わる者の子息の中で唯一生徒会入りを果たしていない。
それを決めたのは他ならぬ王太子だ。
テレーゼは入れた方が間違いなく良いと評価していたことも、より一層彼を嫌う理由となった。
「どうするだと? 言った通りだ! テレーゼ・ファブアイルは今この時をもって王太子妃ではなくなると!」
「な、なっ、なあぁ……!! 何を、仰っているのですか!!?」
顔を青褪めさせたり、赤く染めたりするデュバルの横でテレーゼの表情は変わらない。
いつも通りの、冷たい笑み。
母が浮かべているのと同じものがそこにはあり、ますます苛立ちを加速させる。
「理由は言わずともわかるだろう! この学園で過ごした諸君は知っている筈だ、彼女は王太子妃に相応しくないと!」
誰も何も言わなかった。
ただ、いつ何ときも否定されてばかりの王太子にとってそれは肯定と変わらない。
「テレーゼは身分の低い者を酷く嫌っている! 平民出身の男爵令嬢への苛烈な態度は皆が目にしていたが、実態はもっと酷いものだった! 持ち込んだ個人所有の品々を奪い勝手に処分し、所作の全てに文句を付け、王太子殿下に近寄ったらどうなるかわからないと脅迫までしていた!! これが、この国の母となるに相応しい女だろうか!?」
場は変わらず静まり返っている。
だが今日ここに至り彼を止められる者はいない。
他国へ外遊へ行った国王夫妻。
ファブアイル侯爵も供をしており不在。
宰相は地方へ出向いているため、今は公爵家が一時的に王都を預かっている。
(今日、ここしかない。ここで変わらなければ、私は……!)
お飾りの王。
歴史にそう遺されることは確実。
それでもいいと思っていた。
この学園に入り、己を認めてくれる人に会うまでは。
「故に! 私はテレーゼ・ファブアイル侯爵令嬢との婚約を破棄し──マリア・アインスローゼ男爵令嬢との婚約を行う!」
会場は相変わらず静まり返っていた。
だが──一人の令嬢が、真っ先に拍手を始めた。
「まあ! 素敵ですわ殿下! 決められた婚姻ではなく、愛を育んでの婚姻……! 一人の女として支持いたします!」
ロゼット・レアフィーヌ侯爵令嬢。
ファブアイル侯爵令嬢とは犬猿の仲で、家同士も仲が悪い。
東の大派閥と西の大派閥。
二勢力の拮抗は、テレーゼ・ファブアイル侯爵令嬢が王太子の婚約者となった時点で傾いていた。
そして彼女の拍手と共に、徐々に増え始める祝福。
「おめでとうございます!」
「王太子殿下の考えを支持します!」
初めての気持ちだった。
己のやったことが正しいと讃えられる。
自分が間違いないのだと褒められる。
それもテレーゼと同じ侯爵令嬢からの称賛だ。間違いがあるはずもない。
「殿下ぁ……わたし、嬉しいですっ!」
「ああ、マリア。私もだ……」
そうして二人は祝福に包まれたまま抱き合った。
卒業パーティーの会場は先程までの殺伐とした空気が消え、ただただ祝福に満ちている。
──その場から早々に姿を消した元王太子妃のことなど、誰も覚えていなかった。
パーティーを終えて、王太子はマリアと寝所を共にしていた。
テレーゼが一度も許さなかった寝所。
それをマリアとは既に何度も重ねており、彼女の色香に夢中だった。
「殿下、これで私が王妃になれるんですねっ?」
「そうだよマリア。私は王に、君が王妃に。幸せな日々が待ってるんだ」
「まあ、素敵……!」
抱き着いてくるマリアが愛おしい。
テレーゼと許されたのは腕を掴ませるだとか、腰を触るだとか。社交の場で必要だからしたことしかなく、男として触れたことはなかった。
(──母上は、許してくださるだろうか)
今回の計画は事前にレアフィーヌ侯爵と相談して行った。
テレーゼは優秀だが、あのような娘が王妃になれば民は蔑まれ虐げられ疲弊してしまう。それは避けなければならないと力説され、王太子自体もマリアに酷く辛辣に当たるテレーゼを見ていたことから説得力は十分だった。
この日ならば間違いなくうまく行く──そう言われ、卒業パーティーでの決行となったが、結果はこの通り大成功。
あとは両親が認めるかどうかだが……
(テレーゼは本性を見抜かれないよう巧みに動いていた。母上も父上も、マリアへの態度を知ればきっとわかってくれる筈……!)
「──殿下、お休み中のところ申し訳ございません」
「どうした? 急ぎの用以外は明日に回せと言っただろう」
「それが、急ぎの用が……」
「……なんだ」
マリアを抱き幸福だった時間に水を差され僅かに眉を顰めつつ、何事だと訊ねた。
「それが……ホーエンブロ公爵閣下がいらしております」
「なっ……お、叔父上が?」
「は、はい。それが、尋常ではない様子で……」
「ええいっ! すぐに行く!」
(おのれ、テレーゼ! 叔父上にまで手を回していたか……!)
元婚約者の政治的手腕に関してはよく知らないが、少なくとも自分よりよほどウケがいいことは知っている。故にこれも本性を知られないようにいつの間にか結んでいたのだろうと考え、王太子はベッドから離れた。
「あ、で、殿下。行ってしまうのですか……?」
「ああ。なに、心配はいらない。叔父上もあの女に騙されてるんだ。私が話せばわかってくれるだろう」
ホーエンブロ公爵に限らず、王家は民に対し寛容だ。
だからこそ平民出身であるマリアを迫害していたテレーゼが許せない。
この学園での事実を知れば、叔父上だってわかってくれる──王太子は、夢の続きを見る為に部屋を出た。
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