第5話:君の涙の意味
「――次、エントリーナンバー12番。《Blue Wing》です!」
司会者の声と同時に、会場の照明がふっと落ち、ステージにスポットライトが当たる。
観客のざわめき。審査員の視線。
のどかの指先が、小さく震えていた。
「……大丈夫」
俺はその手にそっと触れる。
「いつも通り、歌えばいい」
のどかはぎゅっと目を閉じ、そして深呼吸。
「……うん、いける」
その笑顔は、不思議と強い光を帯びていた。
あの日――音楽室で初めて声を聴いたとき。
俺は、この瞬間のためにギターを弾いてきたのかもしれない。
ステージに立つ。
ライトの熱が肌を刺すように降り注ぐ。
あきら先輩がベースを鳴らす。
ゆうじ先輩がスティックを構える。
俺はギターを握りしめる。
のどかがマイクを見上げた。
観客のざわめきがすうっと引き、空気が一瞬で張りつめた。
「――夜空をかける声になれ」
一音目で、空気が震えた。
のどかの声は、もはや“かわいい”とか“うまい”なんて言葉じゃ表せなかった。
痛いほどまっすぐで、強くて、そして――
誰かを救うような声だった。
会場の空気が変わる。
観客が引き込まれ、審査員が顔を上げる。
のどかの歌が、ちゃんと届いている。
俺はその横顔を見つめながら、心のどこかで理解していた。
――この子は、俺の手の届かない場所に行く。
演奏が終わった瞬間、拍手と歓声が一気に押し寄せた。
観客の熱がステージを包み込む。
のどかは両手で胸を押さえ、震えながら笑っていた。
「……うち、歌えた……!」
「最高だったよ」
俺がそう言うと、彼女は泣き笑いの顔でこっちを見た。
その顔に、息が止まりそうになった。
……でも、俺の隣にも――あきら先輩がいた。
彼も、のどかを見ていた。
真剣な目で。
俺とまったく同じ目で。
控室に戻ると、緊張がほどけて、全員が一気に崩れた。
「っはぁ〜〜終わったぁぁぁ!」
のどかが床に大の字になる。
「最高だったぞ」
ゆうじ先輩が頭をくしゃくしゃに撫でる。
俺は言葉にできなかった。
ただ、ステージで彼女が見せた“輝き”を、胸に焼きつけていた。
そのとき、審査結果のアナウンスが流れた。
《最終審査に進む5組を発表します――》
静寂。
心臓が、いやなほど大きな音を立てる。
「……いけ」
のどかが小さく呟いた。
《――エントリーナンバー12番、Blue Wing!》
「――――っ!!!」
その瞬間、のどかは叫び声をあげて俺の腕に飛びついてきた。
「海斗ぉぉぉ!! いけたぁぁぁ!!」
「うわっ、ちょ、痛い痛い!」
「夢、夢に近づいたんやぁぁぁ〜〜!!」
のどかの涙が俺の肩に落ちる。
それは、悔しさじゃなく――純粋な、歓喜の涙だった。
俺は、そんな彼女の体温を抱きしめたまま、心の奥で静かに呟いた。
(……好きだ)
その夜。
駅前の噴水広場。
ライトアップされた水のきらめきが、夜風に揺れている。
「なぁ、海斗」
「ん?」
「うち、ほんまにここまで来れたんやなぁ……」
ベンチに並んで座るのどかの横顔は、少し泣いたあとみたいに赤く染まっていた。
「パパに……見せたい」
小さく呟いたその声は、震えていた。
「うち、あの人に負けたくなかった。でも……今日、歌ってて思ったんよ」
「……」
「ほんまは、負けたとか勝ったとか、そんなんじゃなくて――ただ、見てほしかったんやって」
のどかの声が、秋の夜風に溶ける。
「歌、好きなんや。パパと同じくらい」
俺は何も言えず、ただ彼女の手の近くに手を置いた。
触れたら壊れそうなほど、儚くて、まぶしかった。
「――のどか」
勇気を振り絞って、名前を呼んだ。
彼女がゆっくり顔を向ける。
その瞳の奥には、ちゃんと俺が映っていた。
「俺……お前のこと、好きだ」
空気が止まった。
噴水の音だけが、やけに大きく響いた。
のどかの唇が小さく震える。
「……知ってた」
「え……?」
「うち、薄々……気づいてたんよ」
のどかは苦笑いしながら、夜空を見上げた。
「海斗、ずっと隣で支えてくれてたもんな。嬉しかった。ほんまに」
その声は、やさしくて――残酷だった。
「でもな、今のうちは、夢でいっぱいやねん」
「……」
「恋とか、好きとか、それを考える余裕がないくらい。歌のことで、頭ん中いっぱいで……」
俺の心臓に、静かにナイフが刺さるような感覚。
「ごめんな」
のどかが小さく言った。
「……謝るなよ」
笑おうとしたけど、うまくいかなかった。
「俺が勝手に好きになったんだから」
彼女が泣きそうな顔でこっちを見た。
「ほんまに、ありがとうな。うち、海斗がいなかったら、ここまで来れんかった」
――それだけで、全部報われた気がした。
でも、同時に、どうしようもなく痛かった。
次の日、音楽室。
あきら先輩が窓際でベースを調整していた。
俺とのどかを見ると、ほんの少しだけ視線が揺れる。
「……聞いたよ」
「……ああ」
「フラれたんだって?」
「……おまえ、さらっと言うなよ」
あきら先輩が鼻で笑う。
「俺もな、もう一度ちゃんと告白するつもりだった。でも……昨日見てた」
「え?」
「おまえら、ベンチで話してるとこ」
心臓が跳ねた。
「のどか、泣きそうな顔してたな」
「……」
「でもさ、それ見て思ったんだ。俺、あいつの“夢”には勝てねぇな、って」
あきら先輩が静かに笑う。
「だからさ、恋は保留。俺も“バンドの仲間”として、全力でのどかを支える」
……この人は、俺よりずっと大人だった。
「海斗、おまえもくたばんなよ。ここからが本番だ」
「……ああ」
俺たちの間に、少しだけ笑いが戻った。
練習が再開された。
のどかは、いつもより強く声を響かせる。
俺も、ギターの音をいつもより深く鳴らす。
「――君に届け、星屑リフレイン!」
夢に向かうその声を支えながら、
俺は胸の奥で静かに誓った。
たとえ恋が叶わなくても――
俺はこの場所で、彼女を支え続ける。
それが俺の“愛し方”だから。
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