第6話 資料番号06:保護された少女の供述・前編(未成年・女性)
捜査関係者のみ閲覧可
資料区分:面接記録(録画データ反訳)
事件番号:平成〇年(検)第〇〇号
事件名:名無し森集落住民集団失踪事件
録取日時:平成〇年〇月〇日 午後1時00分~午後3時30分
録取場所:〇〇県立小児医療センター 特別隔離室(プレイルーム)
供述者:氏名不詳(推定年齢9歳~10歳前後・女児)
※集落内で保護された唯一の生存者。戸籍照合不可。仮称「ミドリ」とする。
担当官:県警本部生活安全部少年課 臨床心理士 長谷川 美由紀(はせがわ・みゆき)
立会人:捜査一課 警部補 〇〇(マジックミラー越しに別室にて待機)
【調書冒頭】
本資料は、ナシモリ集落の失踪現場周辺で行われた大規模捜索の3日後に、集落奥の社(やしろ)の床下から無傷で発見された女児に対する面接記録である。
女児は発見時、衰弱した様子もなく、衣服に泥汚れひとつ付着していなかった。
また、言語能力に問題はないが、自身の氏名や年齢については「知らない」「忘れた」と回答している。
集落の住民台帳に出生記録はなく、いわゆる「無戸籍児童」であった可能性が高い。
本面接は、事件のトラウマに配慮し、医療センター内のプレイルームにて、臨床心理士が遊戯療法を交えながら実施した。
なお、女児は極度の「光線過敏」を訴えているため、室内の照明は落とされ、カーテンは閉め切られている。
【以下、面接記録】
(おもちゃのブロックが崩れる音)
長谷川:あら、崩れちゃったね。もう一回作る?
ミドリ:ううん、もういい。四角いのは嫌い。丸いのがいいの。
長谷川:そう? じゃあ、こっちのボールで遊ぼうか。
……ミドリちゃん、ジュース飲む? オレンジとリンゴがあるよ。
ミドリ:お水がいい。
お砂糖をたくさん入れた、甘いお水。
(水が注がれる音。スプーンでかき混ぜる音)
長谷川:はい、どうぞ。
……ねえ、ミドリちゃん。少しお話してもいいかな?
ここに来てから、まだミドリちゃんのことを何も聞いてなかったよね。
ミドリちゃんは、ずっと「ナシモリ」に住んでいたの?
ミドリ:ナシモリ? ああ、あの畑のこと?
うん、ずっといたよ。
土の中から出てきた時から、ずっと。
長谷川:「土の中から」っていうのは、比喩……えっと、例え話かな?
それとも、本当に土遊びが好きだったの?
ミドリ:違うよ、お姉さん。
人間はみんな、土から生まれるんでしょ?
キャベツ畑から赤ちゃんが採れるって、絵本で読んだことあるもん。
私たちも同じ。
春にお婆ちゃんが種を蒔いて、秋に私たちがポンッて出てくるの。
私はね、一番いい畑で育ったから、こんなに丈夫なの。
長谷川:(数秒の沈黙)……そう。お婆ちゃんっていうのは、吉村さんのことかな?
ミドリ:そう、マザーのこと。
マザーはすごいんだよ。
もう百年も生きているのに、まだ子供を産めるの。
でも、もう体がボロボロだから、新しい服が必要だって言ってた。
長谷川:新しい服?
ミドリ:うん。皮のこと。
人間の皮はすぐに古くなるから、脱いで新しいのに着替えないといけないの。
ヘビさんと一緒だね。
マザーはね、次は「エツコ」っていうお姉さんの皮を着るつもりだったんだって。
でもエツコお姉ちゃん、逃げちゃったでしょ?
だからマザー、すっごく怒ってた。
「質の悪い苗は間引かなきゃいけない」って、毎日叫んでたよ。
長谷川:……そうだったんだ。怖い思いをしたね。
あの日、村の人たちがいなくなった日のこと、覚えてる?
みんな、どこへ行っちゃったのかな?
ミドリ:いなくなったんじゃないよ。
「お引っ越し」したの。
ここの土はもう栄養がないから、みんなで根っこを抜いて、別の山へ歩いていったの。
お姉さん、見た?
みんなが並んで歩いていくところ。
すごくきれいだったよ。
お祭りの時みたいに、みんな楽しそうだった。
長谷川:ミドリちゃんは、一緒に行かなかったの?
ミドリ:私は「種」だから。
種はね、風に乗って遠くへ飛ばなきゃいけないの。
みんなと一緒に固まっていたら、芽が出ても喧嘩しちゃうでしょ?
だから、私は一人で残ったの。
誰かが私を見つけて、遠くの街へ運んでくれるのを待ってたの。
そしたら、お巡りさんが来てくれた。
だから私、お巡りさんのこと大好き。
あの人のパトカー、すごくいい匂いがしたもん。
土と、汗と、鉄の匂い。
(少女が水をすする音。ズズッ、ズズッという音が大きく響く)
長谷川:……そっか。遠くへ行きたかったんだね。
ねえ、ミドリちゃん。
これ、見てくれる?
(スケッチブックを取り出す音)
これは、集会所にあったビデオカメラに映っていた映像を、絵に描いたものなんだけど。
この、白い顔の人たち、知ってるかな?
ミドリ:(笑い声)
あはは、これ「白んぼ」だ!
下手くそな絵だね。もっとツルツルしてるんだよ。
長谷川:「白んぼ」って言うの? 村の人たちとは違うの?
ミドリ:村の人たちが、皮を脱いだ姿だよ。
中身はみんなこうなってるの。
目も鼻も口もないけど、ちゃんと見えてるし、喋れるんだよ。
頭のてっぺんから触覚を出して、それで話すの。
お姉さんには見えない?
今も、部屋の隅っこにいるよ。
長谷川:え……?
(衣擦れの音。長谷川心理士が振り返る気配)
ミドリ:あそこの、カーテンの隙間。
天井のシミのところ。
ほら、あっちの通気口の中にも。
マザーが心配して、見に来てくれてるの。
「そのお姉さんは、いい土になるかな?」って聞いてるよ。
長谷川:……ミドリちゃん、脅かさないで。誰もいないわよ。
ミドリ:脅かしてないもん。
本当だもん。
ねえお姉さん、私の絵を描いていい?
私、お絵描き上手なんだよ。
長谷川:ええ、いいわよ。ここにクレヨンがあるから……。
ミドリ:クレヨンはいらない。
これで描くの。
(何かが擦れる音。粘着質な音)
長谷川:ちょ、ちょっと待って! ミドリちゃん、何してるの!?
指を噛んでるの? 血が出てるじゃない!
やめなさい!
ミドリ:痛くないよ。
これ、血じゃないもん。インクだよ。
見て、きれいな緑色でしょ?
長谷川:緑色……?
(動揺する声)
嘘でしょ……本当に緑色……。
警部補! 来てください! 彼女の指から……!
ミドリ:騒がないで、お姉さん。
せっかく描いてあげるんだから。
お姉さんの顔を描いてあげる。
これからお姉さんが「なる」顔をね。
(紙に濡れた指で何かを塗りつける音。激しい筆致)
長谷川:やめて! 離して!
その手、熱いわ! 火傷しそうなくらい熱い!
ミドリ:温かいでしょ? 発酵してるからだよ。
堆肥(たいひ)の温度だよ。
ねえ、お姉さん。いい匂いがする。
お姉さん、朝ごはんにサラダ食べたでしょ?
体の中から、葉っぱの匂いがする。
私たちと相性がいいよ。
(ドアが開く音。捜査員が突入する音)
警部補:長谷川さん、離れろ!
その子から離れるんだ!
ミドリ:あ、お巡りさんだ。
運んでくれる人だ。
ねえ、ここから出して。
もっと人の多いところへ連れて行って。
渋谷とか、新宿とかがいいな。
コンクリートの隙間に根を張るの、得意なんだ。
警部補:確保だ! 腕を押さえろ!
……なんだこの腕、硬いぞ! 木の棒みたいだ!
おい、暴れるな!
ミドリ:キャハハハ!
くすぐったいよ、お巡りさん。
そんなに強く握ったら、私の胞子が移っちゃうよ?
(争う音。何かが破裂するようなパンッという乾いた音)
警部補:うわっ! なんだこれ!?
顔にかかった! 粉か!?
目が、目が痛い!
ミドリ:当たり!
受粉しちゃったねえ。
おめでとう、お巡りさん。
これであなたもパパになれるよ。
(警部補の激しい咳き込みと、長谷川心理士の悲鳴。
録音状態が悪化し、ノイズが混じり始める)
【担当官(長谷川)による追記・事後報告】
面接は、被面接者(ミドリ)が突如として暴れ出し、確保に入った警部補に向けて正体不明の粉末を噴射したため、強制終了となった。
あの粉末について。
あれは、彼女の皮膚の毛穴から一斉に噴き出したものでした。
私は近くで見ていました。
彼女の肌にある無数の産毛が、一瞬で逆立ったかと思うと、その先端が弾けて、黄色い煙のような粉が舞ったのです。
それはまるで、熟したガマの穂が破裂するようでした。
粉を浴びた警部補は、直後に激しいアナフィラキシーショック様の症状を起こし、現在も集中治療室に入っています。
医師の話では、肺の中にカビのような菌糸が急速に広がっており、呼吸機能を阻害しているとのことです。
除去手術をしようにも、肺胞と癒着していて手が出せないそうです。
そして、私自身の体調についてですが……。
あの子に触られた腕が、まだ熱を持っています。
ミドリちゃんが描いた絵。
あれを押収しましたが、見るたびに吐き気がします。
緑色の液体で描かれた私の似顔絵。
でも、その顔には目も鼻もありませんでした。
代わりに、顔の中心から大きな花が咲いていました。
ラフレシアのような、肉厚でグロテスクな花です。
昨日の夜、鏡を見ていて気づきました。
私の鼻の横に、小さな赤いイボができているのを。
ニキビかと思いましたが、潰しても芯が出てきません。
よく見ると、イボの表面に渦巻き模様のようなものがあります。
これ、花の蕾(つぼみ)に見えませんか?
あの子は言いました。
「私は種だ」と。
警察病院という場所は、彼女にとって「隔離施設」ではなく、格好の「培養土」だったのかもしれません。
ここには、弱った人間、免疫の落ちた人間がたくさんいます。
そして、私や警部補のように、健康な人間が彼女を運び、世話をしています。
彼女は今、地下の特別独房に移されましたが、監視カメラの映像を見るのが怖いです。
彼女、一日中踊っているんです。
音楽もないのに、ゆらゆらと、風に揺れる植物のように。
そして時々、カメラに向かって微笑みかけるんです。
「増えたね」って。
何が増えたんでしょうか?
病院内の患者の急変率でしょうか?
それとも、私の顔のイボの数でしょうか?
この調書を書いているキーボードの隙間から、白い綿毛が出てきました。
どこから入ったんでしょう。
窓は開けていないのに。
(資料番号06 終了)
【資料番号06の補足資料:ミドリの描いた絵】
添付画像データ(テキストによる描写)
画用紙全体が、緑色の粘液で塗りつぶされている。
その粘液は、時間が経過しても乾燥せず、濡れたような光沢を放っている。
絵の中央に、黒いクレヨン(あるいは炭)で、人間の形をしたものが描かれている。
しかし、その人間は地面に逆さまに突き刺さっている。
足が空に向かって伸び、枝分かれして葉を茂らせている。
頭部は地中に埋まっており、そこから無数の白い線(根)が四方八方へ伸びている。
根の先には、小さな丸い粒が描かれている。
その粒の一つ一つに、笑顔のマークが書き込まれている。
絵の下部に、稚拙な文字でこう書かれている。
『にんげん さかさま
あたま つちのなか
あし そらのうえ
これで みんな しあわせ』
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