第2話 資料番号02:隣接集落住民の供述(農業・男性)
捜査関係者のみ閲覧可
資料区分:供述調書(録音反訳)
事件番号:平成〇年(検)第〇〇号
事件名:名無し森集落住民集団失踪事件
録取日時:平成〇年〇月〇日 午前10時00分~午後1時45分
録取場所:小塚(こづか)集落内 田中与一氏宅
供述者:田中 与一(たなか・よいち) 68歳
職業:農業(小塚集落自治会長)
担当官:捜査一課 警部補 〇〇
【調書冒頭】
本件は、集団失踪現場となった「名無し森(以下、ナシモリ)」集落に唯一隣接する、「小塚集落」の住民への聴取記録である。
両集落はトンネル一本で繋がっているものの、古くから交流は乏しく、心理的な隔絶があったとされる。
供述者は小塚集落の自治会長を務めており、ナシモリ集落の歴史的背景や、事件直前の周辺環境の変化について証言を得られる重要人物である。
なお、聴取は供述者の自宅縁側にて行われた。
【以下、供述内容】
(茶をすする音)
……刑事さん、あの茶菓子、食わねえのかい。
うちの婆さんが漬けた茄子だ。しょっぺえけど美味いぞ。
まあ、いいさ。警察なんてのは忙しい商売なんだろうからな。
ナシモリの連中が消えた話だろ?
知ってるよ。テレビも新聞もうるせえくらい来やがった。
「神隠し」だの「UFO」だの、馬鹿げたことばかり聞きに来る。
あんたもどうせ、そういうオカルトめいた話を聞きに来たんだろ?
悪いが期待外れかもしれんぞ。
俺はな、あいつらはただの「夜逃げ」だと思ってる。
いや、そう思いたいだけかもしれんがな。
あそこの連中は、昔から陰気で、何を考えてるかわからねえところがあった。
小塚とナシモリは、山一つ隔てて隣同士だが、付き合いなんてほとんどねえよ。
あっちへ行くには、昭和の初めに掘った古いトンネルを抜けるか、険しい山道を越えるしかねえ。
昔は炭焼きなんかで交流もあったらしいが、俺の代になってからは、せいぜい年に一度の道普請で顔を合わせるくらいだ。
なんで交流がないか、わかるか?
「気味が悪い」からだよ。
あそこはな、土地がおかしいんだ。
俺ら百姓は土を見ればわかる。普通の土じゃねえ。
ナシモリの土は、黒くて、ねっとりしていて、妙に生温かい。
肥料なんてやらなくても、作物が馬鹿みたいに育つんだ。
ただし、育つのは「あっちの土地に合ったもの」だけだ。
普通の野菜を植えても、すぐに根腐れするか、形がいびつになって枯れちまう。
だからナシモリの連中は、自分たちで品種改良したのか、あるいは昔から受け継いできたのか知らねえが、独特の野菜ばかり育ててた。
見たことあるか?
「赤芋(あかいも)」って呼んでたな。
サツマイモに似てるが、皮が血管みたいに赤黒くて、割ると肉のようなピンク色をしてる。
味は悪くねえらしいが、俺は気持ち悪くて食ったことはねえよ。
あいつらはそれを、町の市場には卸さずに、どこかの「特別なルート」で売ってたみたいだ。
……ああ、事件の話だったな。
そう、あの日。月曜日のことだろ?
郵便屋が騒ぎ出す前の晩だよ。
俺は見てたんだ。
その日は、夜中に風が強くてな。
ビニールハウスの様子が心配で、軽トラで見回りに出たんだ。
俺の畑は、ナシモリへと続くトンネルのすぐ手前にある。
時間は深夜の2時頃だったか。
ハウスの点検を終えて、一服しようとタバコに火をつけた時だ。
風に乗って、変な匂いが流れてきた。
生ゴミのような、あるいは線香のような、甘ったるい腐敗臭だ。
ナシモリの方からだ。
あそこじゃ野焼きでもしてるのかと思ったが、こんな夜中にするわけがねえ。
それに、その匂いには、もっと別のものが混じっていた。
鉄の匂いだ。血の匂いと言ってもいい。
俺は気になって、トンネルの入り口まで歩いて行った。
トンネルの中は真っ暗だ。電灯なんてとっくの昔に切れてる。
その暗闇の奥から、音が聞こえてきたんだ。
(供述者が声を潜める)
太鼓の音だ。
ドンドコ、ドンドコ、っていう祭りのお囃子みたいな音じゃねえ。
もっと低くて、腹の底に響くような、不規則なリズム。
まるで、巨大な心臓の音を聞いているみたいだった。
ドン……、ド・ドン……、ドン……。
それと同時に、鈴の音も聞こえた。
チリーン、チリーンって、涼やかな音じゃない。
ガシャ、ガシャ、と錆びついた金属同士がぶつかるような、濁った音だ。
俺は怖くなったよ。
こんな真夜中に、集落総出で何かの儀式でもやってるのかとな。
ナシモリには、独特の信仰があるってのは聞いてた。
「お山様(おやまさま)」とか呼んで、山の神を祀ってる社があるんだが、そこには部外者は絶対に入れねえ。
昔、迷い込んだハイカーがひどい目にあって帰ってきたって噂もあるくらいだ。
俺はトンネルに入る勇気はなかった。
ただ、入り口でじっと耳を澄ませていた。
すると、音が近づいてくるのがわかった。
太鼓と鈴の音が、トンネルの向こう側から、こちら側へ向かってきている。
まさか、こっちへ来るのか?
俺は軽トラの陰に隠れた。
ヘッドライトも消して、息を殺して様子を窺った。
やがて、トンネルの闇の中から、何かが現れた。
人だ。
いや、人影、と言うべきか。
十人、いや二十人くらいいただろうか。
二列に並んで、ゆっくり、ゆっくりと歩いてきた。
提灯も懐中電灯も持っていない。月明かりだけが頼りだ。
先頭を歩いていたのは、ナシモリの区長の石井だったと思う。
あいつは背が高いから、シルエットですぐにわかった。
でも、歩き方がおかしいんだ。
膝が曲がっていないというか、竹馬にでも乗っているみたいに、ギクシャクと不自然な動きだった。
その後ろに続く連中も同じだ。
みんな、両手をだらりと下げて、首をガクンガクンと揺らしながら歩いている。
そして、全員が「何か」を被っていた。
案山子(かかし)だ。
頭に、藁で編んだ袋みたいなものを被っていたんだ。
目と口の部分だけが穴が開いていて、そこから暗い闇が覗いている。
異様な光景だったよ。
いい大人が、夜中に案山子の仮面を被って、無言で行進してるんだからな。
そいつらは、トンネルを出ると、そのまま小塚の集落へ入ってくることはなかった。
トンネルの脇にある、獣道の方へと逸れていったんだ。
その獣道は、山の頂上にある古い祠へと続いている。
そこはもう、俺たちの土地じゃねえ。国有林だか何だか知らんが、とにかく人が立ち入るような場所じゃねえんだ。
俺は、その後ろ姿を見送るしかなかった。
呼び止めるなんて考えもしなかった。
だって、あいつらの足元、見たんだよ。
(供述者が自分の足元をさすりながら)
靴を履いてなかった。
裸足だったんだ。
それだけなら、まだいい。
あいつらの足、地面についてなかったんだよ。
いや、ついてはいたんだが、なんて言うか……浮いているというか、引きずっているというか。
よく見たら、足の指が異常に長かった。
土を掴むように、指がグニョグニョと動いて、まるで木の根っこみたいに地面に食い込みながら進んでいた。
俺は、あれが人間だとは思えなかった。
ナシモリの連中は、もうとっくに人間じゃなくなっていたんじゃねえか?
そう思った瞬間、最後尾を歩いていた小さな影が、ふっと立ち止まったんだ。
子供だ。背丈からして、小学校低学年くらいか。
そいつも頭に藁の袋を被っていた。
その子供が、ゆっくりとこっちを振り向いた。
軽トラの陰に隠れている俺の方を。
真っ暗で顔は見えないはずなのに、目が合った気がした。
そして、その子供が、右手を挙げたんだ。
指差したんじゃない。
手のひらを、こっちに向けた。
その手のひらに、口があったんだ。
(沈黙)
……信じねえよな。
俺だって、夢だと思いたいよ。
手のひらの真ん中がぱっくりと割れて、赤い唇と、白い歯が見えた。
そして、その口がニヤリと笑って、何かを言った。
声は聞こえなかった。
でも、口の動きでわかった。
『次は、お前だ』
そう言ったんだ。
俺は悲鳴を上げて、軽トラに飛び乗った。
エンジンをかけて、アクセルをベタ踏みで家に逃げ帰った。
布団に潜り込んで、朝まで震えていたよ。
婆さんには「風邪でもひいたか」って笑われたが、本当のことなんて言えるわけがねえ。
次の日の朝、恐る恐る畑に行ってみたんだ。
昨夜のことは夢だったんじゃないかと思ってな。
でも、夢じゃなかった。
トンネルの出口から獣道にかけて、無数の足跡が残っていた。
泥の上の足跡だ。
でも、それは人間の足跡じゃなかった。
三本指だ。
巨大な鳥のような、あるいは爬虫類のような、三本の長い指の跡が、びっしりと地面に刻まれていたんだ。
そして、俺の軽トラのボンネットにな、泥の手形がついていた。
昨夜、あの子供が向けた手のひらの跡だ。
その手形の真ん中に、べっとりと唾液のような粘液がついていて、そこが錆び始めていた。
たった一晩でだぞ? 塗装が溶けて、鉄が錆びるなんてありえねえだろ。
俺はすぐに洗車して、その跡を消した。
見なかったことにしたかったんだ。
それから数時間後だ、郵便屋がナシモリで騒ぎ出したのは。
警察は「集団失踪」として捜査してるが、俺は違うと思う。
あいつらは消えたんじゃない。
「還った」んだ。
あの山の土に。
あの不気味な黒い土の一部になったんだよ。
そういえば、一つ言い忘れていたことがある。
ナシモリの連中がいなくなる一週間くらい前だったか。
畑仕事をしていると、ナシモリの吉村の婆さんと出くわしたことがあった。
あそこは普段から人を寄せ付けないが、その時は珍しく、婆さんの方から話しかけてきたんだ。
「田中さん、いい肥料ができたんだよ」って。
ニコニコ笑いながら、手に持っていた風呂敷包みを差し出してきた。
中には、あの黒い土が入っていた。
「これを畑に撒けば、どんな野菜も立派に育つよ。分けてあげる」
俺は気味が悪くて断ったんだが、婆さんは無理やり俺の軽トラの荷台に置いていった。
「みんな一緒になれば、寂しくないからね」
最後にそう言い残して、去っていった。
その土、どうしたと思う?
捨てるのも怖くて、裏の納屋の隅に放置してあったんだ。
昨日、警察が来た後で、ふと思い出して見に行ってみたんだよ。
風呂敷包みは解けていた。
中の土が、こぼれていたんだが……。
その土が、動いていたんだ。
いや、土そのものが動いているんじゃない。
土の中に、無数の小さな虫のようなものが蠢いていた。
よく見たら、それは虫じゃなかった。
指だ。
人の小指の先くらいの大きさの、小さな、小さな白い指が、何百、何千と土の中から生えていて、それがウネウネと動いていたんだ。
まるで、助けを求めるように。
あるいは、何かを掴もうとするように。
俺は悲鳴を上げて、灯油をぶっかけて燃やしたよ。
納屋ごと燃えちまうんじゃないかって勢いで燃やした。
黒い煙が上がって、髪の毛が焼けるような嫌な臭いがした。
燃え尽きた跡には、何も残らなかった。
ただ、コンクリートの床に、人の顔のような焦げ跡がこびりついているだけだ。
……刑事さん、あんたも気をつけた方がいい。
ナシモリの「何か」は、もう集落の中だけのことじゃねえかもしれん。
風に乗って、胞子みたいに飛んできてるんだ。
俺の喉、さっきからイガイガするんだよ。
痰を吐くと、黒いものが混じる。
砂じゃない。
これ、小さな髪の毛の塊みたいに見えねえか?
(供述者はティッシュに吐き出した唾液を担当官に見せる。黒色の繊維状物質が混入しているのが確認できる)
俺はもう、手遅れかもしれん。
あの夜、あの子供に見られた時から、俺の中にも「種」が植え付けられちまったのかもしれん。
頼む、俺をここから連れ出してくれ。
病院でも、刑務所でもいい。
あの山が見えないところへ連れて行ってくれ。
夜になると、また聞こえるんだ。
ドンドコ、ドンドコ、って音が。
だんだん近づいてきてるんだよ。
昨日はトンネルの向こうだったのが、今日は畑まで来てる。
明日は、きっとこの家の庭まで来るぞ。
(供述者は錯乱状態になり、泣き叫び始めたため、録取を終了)
【担当官所見】
供述者・田中与一の証言は、恐怖心による誇張や妄想が含まれている可能性が高い。
特に「案山子の行進」や「口のある手」といった描写は、現実的ではなく、集団ヒステリーあるいは高齢による認知機能の低下も疑われる。
しかし、以下の点については事実確認が必要である。
1. ナシモリ集落住民による「奇妙な夜間儀式」の存在。
2. 「赤芋」と呼ばれる特殊な農作物の流通経路。これについては生活安全課と連携し、成分分析も含めて調査を行う。
3. 供述者の軽トラに残された「腐食痕」。鑑識課の報告によれば、確かにボンネットの一部が強酸性の物質により変色・腐食していることが確認された。
4. 供述者が吐き出した「黒い繊維状物質」。
これを科捜研にて簡易鑑定したところ、驚くべき結果が出た。
植物の根のようにも見えるが、そのDNA構造の一部が人間のものと一致した。
現在、より詳細な遺伝子検査を行っているが、サンプル自体が急速に崩壊(液状化)し始めており、保存が困難な状況である。
なお、供述者・田中与一は聴取の翌日、自宅にて意識不明の状態で発見された。
医師の診断は「原因不明の多臓器不全」。
気道が大量の泥で塞がれており、窒息に近い状態であったという。
彼が自ら土を食べたのか、あるいは外部から詰め込まれたのかは、現時点では判明していない。
自宅周辺には、第三者が侵入した形跡(足跡等)は見当たらなかったが、唯一、寝室の窓ガラスの外側に、泥で汚れた「小さな手形」が無数に付着していたとの報告がある。
次話以降、ナシモリ集落を担当していた駐在所巡査への聴取を行い、集落内部の事情に迫る。
(資料番号02 終了)
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