第7話 飛翔


 全身に当たる風に少し慣れてきて必死に瞑っていた目をゆっくりと開いていくと、眼下には絶景が広がっていた。

 ティーアの治める『花の王国』はその名の通り色とりどりの花々が咲き乱れる国。

 視界いっぱいに広がるカラフルな世界に思わず感嘆の溜息が漏れていた。


「空を飛ぶのは初めてだったか?」

「え?」


 声の方に視線を移して思ったよりも彼の顔が近いことに驚き、そしてその首に回していた手を慌てて離した。


「ご、ごめんなさい!」

「いや、構わないが」


(なに抱きついてんの私ぃーー!)


 赤くなってしまっただろう顔を誤魔化したくて、急いで彼からの質問に答える。


「え、えっと、こんなふうに飛ぶのは初めてです」


 修学旅行で一度だけ飛行機には乗ったことがあるけれど。と心の中で付け足して。


「リュー皇子って……いえ、リュークレウス竜帝陛下って、前こんなふうに飛べましたっけ?」

「リューでいい」

「え……じゃあ、リュー」


 まだ慣れないながらもそう呼ぶと彼は満足そうに頷き続けた。


「あの頃はまだ翼も小さくてな、こんなふうに飛べはしなかった」

「そうだったんですね」

「こうしてお前を抱えて飛ぶのが夢だったからな、今最高に気分がいい!」


 そうして嬉しそうに、少し子供っぽく笑った彼にまたどきりと胸が鳴る。

 でもそのとき私を抱える腕に少し力が入ったかと思うと、いきなり視界が逆さまになった。


「……へ?」


 彼が宙返りをしたのだと気付いたのはその一拍後で。


「ぎゃあああああーー!!」


 遊園地の絶叫系だって見ているだけで無理で一度も乗ったことのない私は酷い叫び声を上げてまた彼の首に抱きついていた。


「はははっ! 楽しいかコハル!」

「いやあああぁぁ~~~~!!」


 それからも彼はいきなり急旋回したりくるくる回転したり、私は勿論楽しいどころではなくひたすら絶叫を上げ続けた。




「すまん、コハル。ちょっと調子に乗り過ぎた。大丈夫か?」

「うぅ……っ」


(ちょっとどころじゃないです……)


 流石に私がぐったりしていることに気付いたのだろう、彼は無茶な飛び方をやめ申し訳なさそうに言った。


(見た目は大人になっても、もしかして中身はあの頃のリュー皇子のままなんじゃ……?)


 グロッキーになりながらそんなことを考えたときだった。


「コハルさまあぁぁ~~」

「え?」


 そんな甲高い声が聞こえたような気がした。

 顔を上げ後方を振り向くと、小さな雲みたいな白いもこもこがこちらに向かって飛んでくるのが見えて驚く。


「メリー!?」

「コハルさまぁ~~っ」


 ヘロヘロな様子で私の腕の中に飛び込んできたメリーはそのままぜぇはぁと息を弾ませた。小さな翼で全速力で追ってきてくれたみたいだ。


「大丈夫? メリー」

「なんだお前、追いかけてきたのか」


 呆れたふうに息を吐いたリューを、メリーは恨みがましい目で睨み上げた。


「オマエみたいな無礼な竜人族に、コハルさまを任せられるかぁ~~」


 ……やっぱりメリーは彼のことを良く思っていないようでハラハラしてしまう。でも。


「ふん、勝手にしろ」


 彼は興味なさそうに前に向き直った。


「見ろコハル、海が見えてきたぞ」

「え?」


 そちらを見れば、緑の丘の向こうに真っ青な海が見えた。


「わぁ……っ」


 傾きかけた日に反射しキラキラと輝く海はそれはそれは美しかった。

 リューが徐々に高度を下げていくと、風が一気に潮の香りに変わった。

 白く大きな海鳥たちが私たちに並ぶようにして飛んでいく。

 先ほどの気持ち悪さが一気に消し飛ぶ爽快感だ。


「この海を越えれば我が竜の帝国だ」


 そう言われて気付く。

 以前この世界に来た時には、彼の国まで大きな帆船で移動したのだ。

 想像した以上に揺れる船に、思いっきり船酔いしてしまったことを思い出す。

 あのときは確か数日かかったけれど。


「日が落ちるまでには城に着きたいからな、少し急ぐぞ」

「えっ、あ、はい!」


 私は返事をしながら、ぐったりとしているメリーが吹き飛ばされないようその身体を強く抱きしめた。




「もうすぐ着くぞ」

「え……!?」


 その声に、私はハッと目を覚ました。

 心地よい海風と暖かな陽射し、そしてお腹の上のもこもこメリーのお蔭で、ついうっかり寝てしまったようだ。


「ごめんなさい、私寝ちゃって」

「謝ることはない。俺の飛び方が心地よかったということだ」


 そうして得意げに彼は笑った。

 メリーはまだ寝ているようで、その小さな鼻からぷくうと鼻提灯が出ていた。

 私も涎とか出ていなかっただろうかと口元に触れて、大丈夫そうでほっとする。

 それから視線を上げて、私は目を見開いた。

 日が水平線に沈みかけ、空も海も見事なグラデーションを描いていた。


「キレイ……」

「なんとか日が沈む前に城に着けそうだな」


 そう言った彼の視線の先に見えたのは大陸だった。

 先ず見えたのは大きな港。船もたくさん見える。

 そうだ、以前帆船に乗って海を渡ったとき、この港で下りたのだ。

 名前は忘れてしまったけれど、その大きな港町の上空を過ぎ、リューはどんどん大陸内部へと進んでいく。

 間もなく見えてきたのは広大な森と、その向こうに聳える険しい山々、そしてその中腹に立つあの頃と変わらない壮麗な城。


(あのお城もこの国も、今はリューのものなんだ)


 『竜帝』の名を継いだということは、そういうことだろう。

 そう思いながら彼の顔をちらりと見上げて。


 ――?


 なにか、少しの違和感を覚えて私は小さく首を傾げた。


「リュー?」

「ん、なんだ?」


 思わず声をかけると彼がこちらを振り向いた。

 そのときにはもうその違和感は消えていて。


「う、ううん。なんでもない、です」

「そうか? 腹が減っただろう。城に着いたら美味い料理をたらふく食わせてやるからな!」


 言われて気付く。

 そういえば昨夜……いや今朝? 殆どお酒しか飲まなかったせいで胃が空っぽだ。


(そっか、お城だもんね。きっと豪華な料理がいっぱい……)


 と、そこまで考えて、ハタと我に返る。


(ちょ、ちょっと待って。リューのお城に行くってことは、私このままリューのお妃になるってこと!?)


 まずい。

 その辺のこと全部有耶無耶うやむやのままここまで来てしまったけれど、心の準備がまるで出来ていない。

 改めて彼の端正な顔を見上げて、全身が熱くなっていくのを感じた。

 

(私、この人と結婚するの? 自分の気持ちもまだはっきりしていないのに? というか私、この異世界で結婚するの……!?)


 彼の居城がぐんぐんと近づいてくる中、私は今更ながらこの腕の中から逃げ出したい衝動に駆られていた。


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