皆の頭の上に浮かぶ謎の数字、私に冷たい婚約者だけ桁が違うのですが……?
黒星★チーコ
前編🍪💕
「また来たのかエリナ嬢。ここは危ないから来ないようにと言った筈だが」
眉間に刻まれた深い皺。黒々とした眉の下からはギラリと光る淡い紫色の眼。口は不機嫌そうに緩いへの字を描いている。それでも元々整っているお顔立ちだから、まるで彫像のようにかっこいいけれど。
……でもやっぱりそんな怖い顔で婚約者に「
「あ、あの、お菓子を焼いてみましたの。騎士団の皆様に差し入れをと思って……」
私が言い終えない内に、大声でミゲル様が応える。
「君が作ったのか!?」
「あ、あの……そうです」
緊張で震えそうになりつつも、なんとか答える。
「へ、ヘンなものは入っていないですし、味もそんなに悪くはないと思います……」
「それは当たり前だろう!!」
「ひっ」
ああっ、差し入れに変なものを入れないなんて確かに当たり前だわ。またバカなことを言って彼を怒らせてしまった。ミゲル様の前で賢いとまではいかなくても、せめて慎ましくいたかったのに。私ってなんてダメなのかしら。
恥ずかしさと悲しさで鼻がツンとする。いけない。ここで泣いたらもっと愚かな女だと思われてしまうわ。涙をぐっと堪えて俯いていると、横からやたらと明るい声が割り込んできた。
「お〜いミゲル、またエリナ嬢を苛めてるのか?」
「フィガロ、苛めてるとはなんだ! お前はあっちに行ってろ!」
「フィガロ様、こんにちは……」
「こんちは! 今日はどうしたの?」
フィガロ様はミゲル様の片腕で騎士団の副団長を務めていらっしゃる方。ミゲル様とは正反対で、良く言うと物腰が柔らかくて誰にでも気さくなの。私は思わずほっとした。
「あの、お菓子を騎士団の皆様に食べていただけたらと思って焼いてみましたの」
「えっ、エリナ嬢の手作り?」
「は、はい。大したものではないですが」
恥ずかしくて顔が赤くなる。やっぱり図々しかったかしら。でも私の特技なんてこれくらいしかないし、騎士団長のミゲル様のお役に少しでも立ちたかったんだもの。
「えー! 絶対大したものでしょ! 前に貰ったクッキーも美味くてさぁ。団員の皆、争って貪り食ってたもん!」
「本当ですか? 嬉しいです」
「ホントホント! いやぁ、こんな可愛い婚約者がいるミゲルは幸せ者だな! うらやましいぜ」
「えっ」
フィガロ様は軽いノリで仰る。さっきは「良く言うと」の例を出したけれど、悪く言うと騎士団員らしくない、ちょっとチャラい御方なのよね。
でも令嬢達の中には彼のファンも居るみたい。今、私は騎士団の演習場に見学に来たのだけれど、フィガロ様目当ての、他の見学者がこっちを見ている。
「フィガロ、いい加減にしろ」
「わっ、ミゲルったら怖い顔~。そんなに眉間に皺を作ってたらエリナ嬢も泣きそうになるわけだよ」
「!」
ミゲル様が怖い顔のままこちらを見た。
「こ」
「こ?」
「……怖がらせてすまない」
彼が軽く頭を下げて来たので私は慌てた。そんな、ミゲル様を怒らせた私がいけないのに! それに他の見学者も見ているところで騎士団長に頭を下げさせるなんて、いくら名ばかりの婚約者でも良くないと思う。
「あの、やめてください。私が悪いので!」
「え」
「これ、どうぞ! 失礼します!」
「あ」
お菓子の入ったバスケットをミゲル様に押し付けると、私は逃げる様にその場を後にする。
「待って! エリナ嬢」
「お嬢様!」
振り返ると私を追いかけてきたのは私の侍女のココとフィガロ様だった。ああ、そうよね。騎士団長であるミゲル様が部下の騎士たちを放り出して私を追いかけてきては仕事にならないもの。私もそんな事で彼の足を引っ張りたくはない。
「あのさ、ミゲルは多分悪意はないから!」
「……ありがとうございます。でも私はミゲル様の為に何もできないですし。差し入れも迷惑そうでしたし……」
「それはあいつが言葉足らずと言うか、ちょっと誤解を受けやすいだけで。エリナ嬢の事を迷惑に思ったりはしてないよ!」
フィガロ様に慰められて情けない気持ちとありがたい気持ちが私の中でまぜこぜになり俯く。やっぱり婚約時にお父様を止めるべきだった。私みたいなお菓子を焼く才能しかない令嬢なんてミゲル様には相応しくないもの。
「あぁ……」
フィガロ様の声から困ったなという雰囲気が感じられて、一刻も早くここを立ち去ろうと思ったその時。
「えーとさ、これ誰にも話しちゃいけない秘密なんだけど、守ってくれる?」
「え?」
「守れる? これマジなんだけど」
「あ、はい……」
何を言われるのか不思議に思いながらも頷くと、フィガロ様は私のすぐそばまで寄り、ココにも聞こえないような小声で囁いた。
「ガレ通りのそばに住む魔女って知ってる?」
「? いいえ」
「通りの2番目の辻を西に行って五軒目の黄色い家だよ。多分エリナ嬢の助けになるけど、絶対内緒でね!」
「あ、ありがとうございます……?」
「俺もう行かなきゃ、ぐずぐずしてたらミゲルに殺されちまう」
フィガロ様は「じゃあねー!」と元の道を帰って行かれた。私はぽかんとしてその姿を見送る。彼の話は何が何だか全く理解できなかった。わかったのは「絶対内緒」と「エリナ嬢の助けになる」という事だけ。私は迷った末にココに訊いた。
「ねえ、ガレ通りって……確か、城下ではあまり大きな通りじゃないわよね?」
「えっ、庶民ばかりが住む下町ですよ! お嬢様、そこに何をしに行くんですか!」
「やっぱりそうなのね……」
でも、フィガロ様はチャラいけど嘘を言うような人ではないと思う。あのミゲル様の親友で、信頼されて副長を務めてる方なんだもの。その方が「助けになる」と言うのなら信じてみようと思った。
……多分私は藁にもすがる思いだったのだ。これ以上ミゲル様に嫌われたくなかったんだもの。
◆
私、エリナ・メイソンは王立騎士団の団長であるミゲル・ジオ・ラース侯爵様と婚約している。彼は今まで数々の女性を泣かせてきて、実際に婚約を結んでも解消してしまった事が何度かあるという噂だった。
でもある日、私の従兄弟の一人であるジャックが王立騎士団に入団できることになり、入団式を観に行った時にミゲル様の噂は間違いではないかと思ったの。
とても大きな体をビシッと綺麗な姿勢でただした彼は頼もしくてかっこよかった。それに、薄紫の瞳は綺麗で誠実そうだし、あまり饒舌でもなさそうで女を泣かせている風には見えない。それなら横にいる副団長の方が軟派な
「団長様、かっこよかったわ……」
私がぽつりとそう言うと、お父様とお兄様が前のめりに聞いてきた。
「なんだエリナ、ああいうのが好みなのか!?」
「ラース侯爵家と縁戚になれれば万々歳だ! 今彼には婚約者はいないと言うし、当たって砕けてみよう!」
「えっ」
私が戸惑っている間にお父様は縁談の話を持って行ってしまわれた。そして、なんとその話が受け入れられ、私とミゲル様の婚約は締結されてしまったの。その時は驚きつつも嬉しかったわ。
ところが、実際にミゲル様と話してみて初めて私は「数々の女性を泣かせてきた」の意味を理解したの。
彼はきっと今まで女性を怖がらせて泣かせていたのね。お茶をしても、会いに行っても、いつも眉間に皺をよせてむっつりと不機嫌そうでほとんど話をして下さらない。何故私なんかと婚約を結んで下さったのかと不思議に思えるほど。
でも、それでも他の女性にミゲル様を譲りたくはなかった。だって、一目惚れだったのだもの。
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