第27話 真夜中の騒動
マルタ達がブティック『ラナンキュラス』を出たのは、二十二時を過ぎた頃だった。
ドレスを試着して、サイズの直しを頼んで、その後でダリオに誘われて三人でお茶をしていたら、こんな時間になってしまったのである。
その頃には領都のウルメの店も少しずつ閉店し始めて、ゆっくりとではあるが暗くなっていく。
一つ、また一つ灯りが消え。反対に夜空の月や星の光を、明るく感じるようになった。
王都で見た星空よりも綺麗に見える気がするとマルタは思った。
自然の多いリブロ辺境伯領ならではの光景なのだろう。
(それにしても、この時間に外を出歩いたのは初めてですねぇ)
そんな空を見上げながら、マルタはそんな事を思った。
夜会に出かける時は馬車等で移動していた。だから自分の足で、この時間、外を歩いたのは初めてなのだ。
夜道は怖いものだよと兄のジャン達から聞いていたが、なるほどとマルタは思った。
光のない夜の暗闇で、遠くが見えないというのは、なかなか不安をかきたてられるものだ。
けれど今は隣にダグがいる。
これが一人だったら怖さに負けて、屋敷まで脇目も振らずに走って帰っていた事だろう。
……だけど。
マルタはふと、ダグの手を見た。
(……繋いじゃったりとか、お願いしても良いんですかね)
そしてそう思った。
ダグとマルタは夫婦だ。だから恋人同士がやるように、手を繋いで歩くなんて事もしてしまって良いのではなかろうか。
マルタはごくりと喉を鳴らす。
「……えっと、あの、ダグ。実はですね……」
「マルタ」
言ってみようと勇気を出した時、不意にダグがマルタの腕を掴んだ。
名を呼ばれた声は鋭い。
えっ、と言葉にする前にマルタは腕を引っ張られ、ダグの背中に隠される。ガイコツの横顔に陰影が落ちていた。
ほぼ同時にマルタの
大通りから入る薄暗い路地の方角にそれを感じる。
ダグを見上げれば、彼も真っ直ぐにそちらの方へ向けられていた。
「ダグ、
「ありがとう。マルタ、俺がついているから安心して」
マルタが報告すると、ダグからは優しい声が返って来る。
格好良いとマルタは素直に思った。
そのままマルタも
すると暗闇の中からヌッと、一人の男が姿を現した。
男はややふらりとした足取りで、それでもマルタ達の方へ真っ直ぐに歩いて来る。
顔が見えるくらいまで近づいた時、その男の顔立ちがどこかラズやエトナと似ている事に気が付いた。
「……カイ叔父さんだ」
ダグが小さい声でそう教えてくれた。なるほど、とマルタは頷く事でそれに答える。
名前は聞いていたが、マルタは彼とは初対面だ。
カイは痩せていて、やつれていて、あまり健康そうには見えない。
「やあ、
「どうも、こんばんは。カイ叔父さん」
ダグはさらりと流して返していたが、マルタはカイの余所余所しい呼び方に軽く目を細めた。
敬称ではなく嫌味の方で口にしたのが分かったからだ。
カイは薄く笑いながら、今度はダグの背中に庇われているマルタへ視線を向けた。
「ああ、そこにいるのがマルタさんか。毒にも薬にもならないエスタンテ家のご令嬢と聞いているよ」
「ええ、はい、初めまして。エスタンテ家からリブロ辺境伯家へ嫁いできました、マルタです」
こちらにも嫌味を言ってくる辺り、敵として認識されているなとマルタは理解する。
けれども呼びかけられたのだ。とりあえずマルタは顔だけひょいと出して挨拶を返した。
彼の姿を視界に入れた時、再びマルタの
カイが来ているコートの内側だ。そこに何か、こちらに対して害意のあるものが隠されている。
彼の様子や
ごくり、とマルタは喉を鳴らし――それから護身用の魔導銃をトランクに仕舞い込んでいた事を思い出した。
(こういう時に使うものなのに、私、まだまだここでの危機感が足りていない)
腰に下げるポーチとか、用意しておくべきだったと後悔しても遅い。
ならば対抗策として何か……とマルタが自分の身に着けているものを確認していると、
「カイ叔父さんはこんなお時間に何をしているんだ?」
とダグがカイに尋ねた。
「ただの散歩さ。何と言っても今夜は月が綺麗なものでね。いやぁ、偶然でも、ここで会えて嬉しいよ」
「散歩ねぇ……。カイ叔父さんの屋敷からここまでは距離があるけれど、散歩にしてはずいぶん遠くまで来たね」
「ハハハ。長い散歩だってしたくなるだろう? そのくらいしか、この街での暮らしなんて楽しみがないんだから」
「いやいや、そう振舞ってきたのは叔父さんだろう?」
当て擦りのように言うカイに、ダグは静かにそう返す。
マルタの位置からはダグの顔は見えないが、酷く冷えた目をしているような気がした。
すると先ほどまで薄ら笑いを浮かべていたカイの表情が歪む。
「……ギルバート兄上と同じ事を言う。忌々しいな、まったく」
「そりゃ親子だからさ、似るもんだろう? そんな事よりも、もう一度聞くよ。こんな時間に、この場で何をしているんだ、カイ・リブロ」
「……だから、ただの散歩だよ、散歩。別に悪さをする気もないさ。こんな目立つ場所で」
ハァ、とため息を吐いた。
まぁそれは確かにそうである。人気こそ少なくなっているものの、ここは領都ウルメの大通り。そのど真ん中で何かしようものなら、直ぐに人が集まって来るだろう。
ダグを暗殺しようとした時も、一応はバレないように考えていたみたいだし、そう考えると違和感はある。
(でも
となると、害意のある何かはダグかマルタへ向けられたものではなく――もしかしてカイ自身に向けられたものではないだろうか。
マルタの
周辺というのは別に親しい人間が対象というわけではない。言葉の通り『周辺』なのだ。
うーん、と考えながらマルタは口を開く。
「目立つ場所でないなら、何か悪さをするおつもりが?」
「馬鹿正直に『はい、そうです』と言う人間がいると思うかね?」
「いませんけれども、念のための確認です。ですが、そこは『否』と即答していただきたかったですね」
「ああ言えばこう言う。何だって嫁までローズ義姉上と似ているんだ……」
マルタの言葉にカイはさらに嫌そうに顔をしかめた。
ローズというのはダグの母親の名前だ。聞いた様子だとマルタとは違うタイプだと思ったが、意外とそうでもないらしい。
ふむふむ、と思いながらマルタは話を続ける。
「お散歩と仰いますが、目的があってこちらにいらっしゃったのでは?」
「ぶらぶらするのが目的だ――と言っても信じないだろうね」
「ええ、まぁ。私はそれほど深くは存じておりませんが、お互いの関係を考えると、妙な勘繰りをしてしまうのは必然と言いますか」
「……ダグ。お前の嫁はずけずけ物を言いすぎではないかね?」
「そこが可愛いんじゃないか」
「惚気やがった……」
堂々と言い放つダグに、カイは深々とため息を吐いた。
「……質屋だよ、質屋。投資用の金が足りないから、これを質に入れに来ただけさ。投資した時に貰って、高く売れると聞いて――」
そう言いながら、カイはコートの内側から何かを取り出した。
赤色の宝石だ。中でチカチカと太陽を模した光が輝いている。何となくその光に向かって小さくヒビ――のようなものが入っているようにマルタには見えた。
その瞬間、マルタの
吐き気を感じて、ぐ、とマルタは手で口を押えた。
「――――陽光石」
ぽつりとダグが呟いた。
陽光石というのは、太陽の光と似た性質を持つ光を放つ宝石の事だ。
加工すると洗濯物を室内で干す時に良いとか、雨季に太陽の光にあてて乾燥させる食材を作れるとか、なかなか便利な代物である
まぁそれなりにお高いものなので、日常的に使っているのは裕福な家庭だろう。
ただ、それは前述の通りそれは太陽の光と似た性質を持つ。
つまりゾンビやスケルトン等の不死の魔物にも効果があるものなのだ。
ゆえに、それらが徘徊している場所へ向かう際には、陽光石で作られたランプを持って行くと良いとされる。
……と『にくきゅうエンジェル・クロエちゃん』のワンシーンに書かれていたのをマルタは思い出す。
(あと確か、加工次第では爆弾の……)
「…………へぇ?」
思考していると、カイがそう言って片方の眉を挙げた。
ニヤニヤと笑いながら、陽光石を手の中で弄ぶ。
「なるほど、陽光石か。初めて見たから分からなかったよ」
悪意のある眼差しと笑顔。ああ、嫌な事を考えている顔だとマルタは察する。
だがそれよりも、マルタの
注視すれば、陽光石の中のチカチカした光は、点滅が早くなり、またその輝きを強くし始めたように感じられた。
――否、感じられたではない。確実に速い!
「ダグ! まずいです!」
マルタが声をあげると同時にダグは地を蹴り、ほんの一瞬、瞬きをするほどの間に距離を詰め、カイの手から宝石を奪い取る。
「お前、何を――」
「伏せろッ!」
目を吊り上げ、激高しかけたカイを怒鳴り。
ダグは宝石を空高く放り投げると、直ぐにマルタのところへ戻り、抱きしめしゃがみ込む。
次の瞬間、
ドォン、
と大きな音を立てて、空中で大きな爆発が起こった。
赤い光が、月の灯より強く辺りを照らす。
「な、な……!?」
カイは身を守る行動が遅れたのか、地面に転がったまま、空を見上げてわなわなと震えていた。
「なるほど、そういう方法で来たわけか」
「そっ、そういうって……」
「カイ叔父さん、あんた、切り捨てられたね」
ダグはそう言うとマルタを支えながら立ち上がり、そして、
「カイ・リブロ。――領主夫妻の殺人未遂で、ちょいと来て貰うよ」
と言ったのだった。
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