薔薇園の淑女は謎を喰う
千崎 翔鶴
序 イーゴ炎上にまつわるあれやこれや
1.『薔薇園の淑女』
梅雨明けって、本当はもっと清々しい気分で迎えるものじゃないだろうか。それなのに、何もかもすべてが、腹立たしい。
窓の外はきらきらと輝く太陽がまぶしくて、いっそ舌打ちでもしたい気分だった。目の前にいる幼馴染は何一つ悪びれた様子はなく、片方の腕を椅子の背もたれのところに置いたまま、もう片方の手で持ったハンバーガーに大きな口を開けてかぶりついている。
聞かなくたって分かる――どうせ、いつも通りチーズバーガーだ。机の上にあるトレイにはパッケージから少し顔を出したポテトと、箱に入ったままのチキンナゲット、ソースはいつもマスタード。
「食べないのか?」
「食べるよ」
ちらりと向けられた視線に、わざとため息をついた。肩を竦めて、さも呆れていますということが伝わるようにして。したところで、意味なんてない。
「
店内の光に当たって天使の輪のように丸い光を被せられた、さらさらの黒い髪。優しそうだとか賢そうだとか、昔からそうやって形容されてきた顔立ち。着ている制服がここらでは有名な最難関私立男子校の制服なものだから、トレイを持って通っていく同年代がちらちらと視線を向けていく。
全国でも屈指の医学部医学科の合格者を誇る
賢くて、スポーツもできて、非の打ちどころのない好青年。
「何さ」
「すっごい迷惑したんだけど、ご理解いただいてる?」
「ご理解してるしてる。でもあいつの頼み事を果たすんなら、イーゴを使うのが一番良いと思って。お前だってそれくらい、理解できるだろ?」
腹立たしくなって、包装紙を剥いたハンバーガーにかぶりつく。大きく齧りすぎたせいて端からてりやきソースとマヨネーズがはみ出して、口の端を汚した。それを見た一穂に「食べるのへたくそか」と言われて、なおのこと腹立たしい。
「一穂のせいでしょ」
「俺のせいでお前がヘマするの、最高だよな」
一穂の返答がより一層腹立たしくて、乱雑に手近にあった紙ナプキンで口元の拭う。
全部、一穂のせいなのに。大事な大事なイーゴのアカウントを、これまで一度も問題なく運用していたものを、炎上させたくせに。
机の上に画面を下向きにして置いたスマートフォンが、ぶうんと震えて通知を告げる。けれど、それを引っくり返して見る気にもなれない。
「通知が鬱陶しい以外に、何かあったか?」
「あったから、今ここで一穂と顔を突き合わせてるんだけど?」
そうでなければ、誰がわざわざ一穂を呼び出して、一緒に食事をするものか。しかもこの昼食でも夕食でもなんでもない、間食の時間に、ハンバーガーという重たいものを。
「それもそうだな。
「何もないのに一穂を呼び出す趣味なんてないしね」
逆はいくらでもありますけどね、とでも言えば、嫌味になっただろうか。
奏羽が一穂を呼び出さずとも、一穂は週に何回か奏羽を呼びつける。無視をすれば良いのだろうが、生憎と家が隣同士ではどうにもならない。断ったところで一穂は家にやってくるだけなのだから、外で言われるままに会う方が面倒もない。
「お前、怒ってんの?」
「怒ってない」
「ふうん? 顔に怒ってますって書いてるけどな。面倒すぎて一周回って俺に腹立ててんだろ、奏羽」
「こうなるの、分かってたくせに」
「お前なら『面倒』で終わると思ってた」
「別に、何事もなかったら面倒なだけで終わってた」
ただ通知が不愉快だとか、そういうもので終われば奏羽とてここまで腹を立てたりはしなかった。一穂のせいだ。一穂のせいで、こんなことになったのだ。そして一穂の言う通りに、奏羽の中では面倒が一周回って怒りに変わっている。
普段は、面倒で終わるのに。面倒に面倒が積もり積もって、怒りになった。塵も積もれば山になると言うではないか。
「何事があったんだよ」
ハンバーガーを食べ終えた一穂が、今度はポテトに手を伸ばす。一本の長いポテトは、重力に負けてだらりと俯いた。
「……呼び出し」
「こんなことで?」
「そう、こんなことで。イーゴに僕が関わってるの、『薔薇園の淑女』様にバレたの」
「何でだよ」
「そんなの、僕が聞きたいよ」
ネット上でリアルを出すことはない。そもそも、イーゴには関わっているだけで、奏羽が運用しているわけでもない。運用そのものは一穂なのだから。念のための共有のせいでやたらと奏羽のスマートフォンに通知が着ているだけでもある。
だから、本当に分からない。どうして、奏羽がイーゴに関わっているとバレているのか。確かに大事な大事なアカウントで――だからこそ、一切合切、
「机の中に、薔薇園の招待状が入ってた。お姉ちゃんからも、連絡があった。『明日の朝七時に、薔薇園に行きなさい』って。行くなって言われなかった」
「お姉さん、何で知ってるんだよ」
「卒業生だからじゃないの」
放課後の教室、机の中にある教科書を片付けようとしたところで床にぽとりと落ちたもの。真っ白な封筒に銀色の山岳と百合。銀嶺鏡らしい模様の封筒に押された封蝋もまた、十字架と百合の花の模様――銀嶺鏡の校章だった。
「
「何それ」
「銀嶺鏡学園の外で言われてる、『薔薇園の淑女』の噂話」
「くっだらない。何それ、一穂もそんなの信じたの?」
「信じる信じないっていうか、面白いなって思ってたけど? 何せ銀嶺鏡、この辺りの私立学校の中でも一線を画すお嬢様学校だろ」
私立銀嶺鏡学園。創立は明治期――女子教育などほとんどなかった時代。外国からやってきた宣教師が開いた私塾を源流とする学園は、今でも女子の学び舎だ。キリスト教の教えに基づいた教育を施す女子校は、外から見ると穢れを知らないお嬢様の学園に見えるらしい。
「純銀の奴らも知らないの?」
「別にいる年数が多いからって、知ってることが多いわけでもないと思うけど」
銀嶺鏡学園は、幼稚園から大学までを抱えている。
その中で幼稚園からずっと銀嶺鏡に通う生徒を『純銀』、小学校から通う生徒を『六銀』、中学校から通う生徒を『十三銀』、大学から通う生徒を『銀メッキ』などと揶揄するのだ。奏羽は中学校から通っているので、その中の区分で言えば『十三銀』だ。過去は高校から通う『十六銀』があったそうだが、今はもう高校募集を停止しているのでいなくなった。
「うちの理事長は牧師のおじいさんだし、支配者なんてくだらないし、元愛人がうちの薔薇園にいたらおかしいでしょ。考えたら分かることじゃないの」
「でも、呼び出されたんだろ?」
「銀嶺鏡では、『薔薇園の淑女』は退学間際の生徒を試す人」
けれど、奏羽は退学間際ではない。成績は悪くないし、素行も注意されたことがない。今回のイーゴの炎上はあれど、たったそれだけで退学になることか。何なら以前銀嶺鏡でクラスメイトの写真を勝手にSNSに掲載した生徒がいたが、その生徒は停学処分で終わったはずだ。今でも素知らぬ顔で通っているはずである。
銀嶺鏡に通っておよそ三年半。高校一年の七月になって、今更どうしてそんな奇怪な噂話のある相手から呼び出しを受けなければならないのか。
やはり全部、一穂のせいだ。この、非の打ちどころのない好青年とか呼ばれる、腹の底が他の色が見えないほど黒い幼馴染のせいだ。
「『薔薇園の淑女』に呼ばれた生徒は――銀嶺鏡から姿を消すの。誰一人、例外なくね」
これも、くだらない噂話だけれど。
実際に消えた生徒がいるとか、そういう話は知らない。退学になった生徒はいないわけではないが、それは学校側から通達されたものではないはずだ。
「へえ。何でそれが外に漏れてないんだか」
「くだらないからじゃないの。だってどうせ、退学になってるだけだもの。しかも銀嶺鏡を退学って、うちの生徒にしたら大問題なんじゃない? 銀嶺鏡の生徒であるってだけでブランドなんだから」
そのブランドがどこで重宝されるかというと、というのはさておいて。そんなものをブランド扱いするのもどうかとは思うが、女子学生の上に銀嶺鏡というのが加算される、とだけ奏羽からは述べておこう。
「銀嶺鏡の物品ってだけで、フリマサイトで馬鹿みたいな値段で売れるもんな」
「あれは買う方も買う方だと思うし、頭どうかしてると思うけど」
普通に購入できるものではないから、購入するのか。購入してどうする気なのか。
銀嶺鏡の卒業生を装うためという可能性は大いにある。銀嶺鏡に通っていたというだけで箔がつくのだから、必死な人は手を出すかもしれない。ただしそれは賢いという評価ではないのだから、本当にそれで良いのだろうか。
目の前にいる一穂は、しなびたようなポテトを食べている。奏羽もつられるようにして自分の側にあるトレイの上から、一番小さなサイズの袋に入ったポテトをつまむ。少し短い、よく揚げられたものを。
「話戻すけど、僕、退学間際じゃないし。イーゴの炎上くらいで退学になるなんて、一穂のとばっちりもいいとこだし」
「そりゃお前、炎上の内容が内容だからじゃないのか」
「内容? どこぞの歯科医院の院長の日記を公開して、それが過去の犯罪の告白だったから炎上してるってだけじゃないの。銀嶺鏡に何が関わってるって? 歯科医院の院長、男性でしょ。うちの卒業生でもないし」
銀嶺鏡は列記とした女子校で、一度も男性に門戸を開いたことはない。男性の教師はいれども、中にいるのは大多数が女性だ。
「県議会議員の
一穂が述べた名前は、一応聞き覚えがある。銀嶺鏡学園や西山寺男子のある
「銀嶺鏡の、後援者だろ?」
「女子教育が他と格差があってはいけないとか言ってた変な人が、どうかしたの」
「あの炎上で角柳も罪に問われるから、関わってそうな奏羽に話を聞きたいんだろ」
さらりと何でもないことのように言った一穂が、奏羽のトレイから長いポテトを奪い取る。しなびたようなポテトは好みではないので、別に構いはしないけれど。「あ」と声を上げるよりも前に、一穂は代わりとばかりにカリカリに揚がったポテトを放り込む。
角柳が銀嶺鏡に――『薔薇園の淑女』に、関わっているのか。
「一穂」
「何だよ」
「一発殴らせてくれない?」
「お前の手の方が痛いぞ、やめとけ」
分かっているが、その顔を平手打ちさせてくれないだろうか。優しそうで賢そうで十二分に『イケメン』と呼ばれそうな部類に入るその顔を。そうすれば奏羽の気分も少しはすっきりするかもしれない。
一穂のせいだ、何もかも全部。イーゴのアカウントが炎上したのも、奏羽が『薔薇園の淑女』に呼び出されたのも。ひっそりと息を潜めて六年過ごしたかった学校で、絶対に明日以降面倒な噂話になってしまうのも。
「それから、殴るなら俺じゃなくて情報提供者の方にしとけよ。
知っているも何も、一穂と同じく通った中学受験塾で同じクラスにいた男子生徒だ。どうにも近寄りがたい雰囲気で、一言も鋭くて、奏羽はできることなら一切関わりたくない。それなのにどうしてか、一穂は彼と親友と呼んで差し支えない。
小学生の頃から、何かと声をかけていた。いつもの八方美人の演技かと思っていたが、どうもそこから一穂は本気で蒼雪を気に入ったらしい。それこそ、今でも連絡を取り合って一緒に食事をするくらいには。
「この前珍しくあいつが外出許可取ったからって、一緒に飯食ったんだよ。そこであいつがわざと日記帳のコピー置いてったんだから」
「そんなのとっくに知ってるから何度も言わなくて良い! というか、殴れるわけないでしょ! あっちは全寮制の学校にいるし、関わりたくないくらい怖いのに!」
「そうか? そんな怖くないぞ、あいつ」
「親友やってられるのなんて、一穂だけに決まってるでしょうが!」
声が大きくなりすぎて、店内の視線が奏羽に向く。「最悪」と漏らしてトレイの上のポテトを見れば、しなびたものはすっかり消えている。その代わりとでも言うように、小さなカリカリのものだけが近くに散らばっていた。
文句を言ったところで、明日の朝七時には薔薇園に行かなければならない。「ついて行ってやろうか」と心を読んだようなことを言う一穂の顔は、目一杯睨んでおいた。
一穂のこういうところが本当に――奏羽は、大っ嫌いだ。
薔薇園の淑女は謎を喰う 千崎 翔鶴 @tsuruumedo
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