第7話 女の子の世界のルール

温かいサンドイッチ

リビングのソファで、玲央は膝を抱えたままぼんやりと時計の針を眺めていた。カチャリ、と玄関のドアが開く音がして、おかあさんが帰ってきた。


「ただいま、玲央。あら、もう帰ってたのね。おつかれさま」


「……うん。おかえり、おかあさん」


玲央は、精一杯の笑顔を作って答える。気丈にふるまおうとしたが、力が出ない感じ。


「どうしたの?疲れた顔してるわよ」 おかあさんの優しい声に、玲央は「ううん、そんなことないよ」と返すのが精一杯だった。


しばらくして、今度は「ただいまー!」という元気な声と共にお姉ちゃんが帰ってきた。リビングに入るなり、ソファにいる玲央の姿を見て、ぴたりと足を止める。


「れーお?あんた、なんか元気ないじゃん」 お姉ちゃんは玲央の隣にどかりと腰を下ろし、反対側には、心配そうに見守っていたおかあさんも静かに座った。玲央は、大好きなおかあさんとお姉ちゃんに、サンドイッチのように優しく挟まれる。その温かさに、ずっと張り詰めていた心の糸が、ふっと緩むのを感じた。


https://kakuyomu.jp/my/news/822139841504907088


「何か、あったんでしょう?」 おかあさんが、玲央の髪をそっと撫でながら訊ねる。その一言で、我慢していたものが堰を切ったように溢れ出した。


嫉妬と、新しいルール

玲央は、今日一日のできごとを、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


朝、悠斗が今まで通りに接してくれて、すごく嬉しかったこと。木綿花ちゃんと彩花ちゃんが、すぐに友達になろうと言ってくれて、心強かったこと。


お昼休みに、体育の着替えのことで村山先生に相談に行ったこと。木綿花ちゃんが、自分のことのように怒って、そして一緒に戦うと言ってくれたこと。


そして……。

「そのあと、教室で、田中さんと田代さんに……ひどいこと、言われたんだ」 声が震える。二人の冷たい目と、突き刺さるような言葉が、まぶたの裏に蘇る。


「気持ち悪いって……悠斗に色目使ってるって……。僕、そんなつもり全然ないのに……」 玲央は、二人の言葉がずっと胸の中に棘のように刺さって抜けないこと、そして、こう続けた。


「僕の悪かったところがあるなら、直そうって思ってるんだ。でも、何がダメだったのか、僕、よく分からなくって……」


話を聞き終えたおかあさんは、静かに立ち上がると、本棚から小学校の卒業アルバムを取り出してきた。


「玲央、その田中さんと田代さんって、どの子?」


玲央が指差した写真を見て、おかあさんとお姉ちゃんは「ああ、この子たちね」と顔を見合わせる。


しばらくの沈黙の後、口を開いたのはお姉ちゃんだった。いつもからかう時とは違う、真面目な声だった。


「……玲央。もしかしたら、なんだけどさ」


お姉ちゃんは、慎重に言葉を選びながら続ける。


「その二人、玲央のこと、嫉妬してる部分もあるんじゃないかな」


「しっと……?僕に?」 思いもよらない言葉に、玲央は目をぱちくりさせる。


「考えてもみなさいよ」お姉ちゃんは、玲央の目をまっすぐに見て言った。「今まで男の子だと思ってた子が、中学の入学式に、いきなりすっごい可愛い女の子になって現れた。しかも、クラスの人気者になりそうな野々村君とは昔からの親友で、木綿花ちゃんみたいな可愛い子とはすぐ仲良くなっちゃう。正直、目立ちすぎなのよ。その二人からしたら、あんたは突然現れて、自分たちの場所を脅かす『謎の転校生』みたいなもんなのよ」


「……お姉ちゃんの言う通りかもしれないわね」 おかあさんが、優しく引き取った。


「女の子の世界はね、玲央が思っているより、少しだけ複雑なの。自分の立ち位置とか、友達との関係とか、みんなすごく敏感だから。玲央が悠斗君に、昔と同じように無邪気に抱きついたことも、周りの女の子から見たら『あの子、男子に積極的だ』って見えちゃうことがあるの。玲央は何も悪くないのよ。ただ、玲央がこれから生きていく世界には、そういう新しいルールがあるってことなの」


嫉妬、新しいルール……。


玲央にはまだ、その全てを理解することはできなかった。


でも、一人で抱え込んでいた黒いモヤモヤの正体が、少しだけ見えた気がした。僕が悪いわけじゃないのかもしれない。ただ、知らなかっただけなんだ。


話せて、よかった

田中さんたちの言葉が消えたわけじゃない。明日、またあの冷たい視線に晒されるかもしれない。問題は、何もなくなってはいない。

だけど。


玲央は、隣にいるおかあさんとお姉ちゃんの顔を交互に見上げた。


https://kakuyomu.jp/my/news/822139841504905442


「おかあさん、お姉ちゃん。……話せて、よかった」 そう言うと、二人は「そうよ」「いつでも言いなさい」と笑って、玲央の体をもう一度、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。

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