第5話 教会

早朝の鍛錬は外を走る事から始まる。


屋敷の外を走ると寝ぼけた身体が目覚めていくのが分かるし、季節を感じて気持ちが良い。

屋敷には警備や領地の治安維持の為の領兵の為の訓練所もあり、年末の今時期は別として、平常時はこの時間に領兵が身体を鍛えているので俺が顔を出すと邪魔になるだろう。


混ざってもいいのだが、早朝に鍛えている奴らは自主的に鍛えているので、俺が毎朝出ると訓練を強制しているのに近いことになってしまう。


若が毎朝頑張っているのに、お前は休むのか。


そう直接は言われなくても、圧を掛けられる原因にはなるからな。

父は戦での武功もあったらしいし、腕っぷしが立つ人だったらしく、幸いその時の部下や仲間が今も残ってくれているので怠ける様な人達では無いのだが。


まぁ、少し気恥ずかしいのもある。


彼らの中には俺が生まれた時には既に父に仕えていた者も多く、俺にとっては小さい頃に多忙な母に変わって遊んで可愛がってくれた、兄の様な親戚のおじさんの様な人達で、恐らく彼らも俺の事を完全に身内として見ている。


そんな筋肉達から見て、小さい甥っ子や弟が訓練している様は興味の対象らしいのだ。


いや、揶揄われたりはしていないぞ?

逆だ。

過剰なのだ、応援が。


腕立て伏せを初めて30回連続で出来た時、感慨に耽りながら顔を上げると、ごっついおっさん達が涙を流しながら頷いていた。

静かにゆったりとした拍手をくれた者もいる。


先に横で100回や200回の腕立て伏せをこなした後に、余裕な顔でこちらを応援する人達の方が気になって、達成感で高揚した気持ちがすっと冷めてしまったのを覚えている。


冷めた後に、胴上げされた俺はどんな顔をしていたのだろうか。


知りたくも無い。


そんな訳で、朝練は町を走ることに決めている。

町は屋敷よりも早く動き出していて、仕事に向かう者やそれを客にする屋台が出ていて、それらを眺めながら走るのも好きだ。


いつもはその屋台が出ている通りを抜けるのだが、今回はそこを通らずに手前を丘の方面へと曲がって行く。


丘の裏手には墓地があり、10年以上も帰って来ていない父の墓もそこにある。

中には何も納められていないし、死んでいるとも限らないのだが、母が気持ちの区切りとして建てた物だ。

週に1回くらい、ランニングコースの折り返しにここを選び、軽く拭いて帰ったりしているのだ。


しかし今回の目的地はここではない。


墓地を管理、除霊や解呪を生業とする教会で、声の奴を剥がして貰うのにやって来た。

教会はまだ薄暗い早朝から炊き出しをしているし、孤児院の経営もやっていて、小さな薬草畑を子供達が手伝っているので開くのもとても早い。


なのでこんな時間にやって来たとしても俺の用事は済ませられるのだ。


『ま、開いていればの話だよね。

ちょっと考えたら分かることじゃん。

豊穣の神に感謝する冬至にはしっかり休むでしょ、教会だから当日は忙しいだろうけど。』


剣の柄をトントンと指で叩く。

これは昨夜決めた合図だが、俺に対する苦言を肯定する為に使うとは思っていなかったな。


綺麗な光に包まれながらさよならを言う声に、人前で返事をする訳にはいかないので、それに対する合図として決めた部分もある。


そんな光景になるかなどは知らないが、昨夜はそう妄想していたのだ。

ロマンチストだろう?


『祈ってみたら?

神様なんてのがいるんだとしたら、教会だけでしか願いを聞かないなんて小さい事言わないでしょ。


ここも範囲内なんじゃないの。』


声の言う事も一理ある。


締まり切った薄暗い教会の扉に向かってしゃがみ込み、真摯に祈る。

幸い薬草畑には子供の姿も見えないので、中にも入らず祈る奇行を見られる事もない。


こっちも考えてみたら当然だ。

こんな雪降る寒い真冬も真冬に何を植えるというのだ。


『……もう良いんじゃない?風邪ひくよ。』


うるさい!まだ取り憑いているではないか。

やはり中に入らないとダメなのか?

こんなに真摯に祈っているのに。


『……ほら、鼻水出てるよ。』


出てない!


『また教会開いたらにしたら?年明けには開くんでしょ?

10日も無いじゃない。ほら、また鍛錬する時には教えてあげるからさ。


意地になるのは貴族としてのどうなのかな。』


受け入れようではないか。

意地にはなっていなかったが、昨夜に教わった剣の力加減は良かった。

意地にはなっていなかったが、俺は強くなりたいのだ。


「……帰るか。あまり遅いとリアンも心配するだろうしな。」


『そうだよ。僕も心配するよ。

せめて暖かい時期にしなよ、こういうのは。


……屋台の食べ物美味しそうだったね。

買い食いしていく?』


「それは出来ん。

屋敷ではリアンが朝食を作って待っている。

昔な、俺が欲に負けて肉をスパイスで炒めた物を食べて帰ってしまった事があってな。」


『なんでそんな匂いの強い物を選ぶのさ。バレるでしょ。


なに、すっごい怒られたりしたの?』


「いや、リアンは笑ってた。」


『なら良いじゃん。』


「……そうだな。もしそれが母上だったり、領兵達ならそれで良い。

たがな、リアンが笑ったのだぞ?


あっはっは、良いです良いです若様、たまにはよその物を食べるのも経験として良いではないですか、とな。」


物心着く頃には従者教育が施されており、それの結果だそうなのだが、リアンはあまり感情を表に出さない。


もちろん微笑む程度には笑うし、心を痛めた時には悲しい顔はする。

少しだけな。


そんなリアンが爆笑していたのだ。


「怖かった。」


『そうだね……。あれかな、一定の感情を超えると、喜怒哀楽がバグるのかな。

ほら、抑えられてた物がさ、ドバッと。』


「かもな。その後必死になってリアンの朝食を胃に収めた後は元に戻ったが、あの時のリアンの笑顔が忘れられんのだ。」


『あの時の笑顔が忘れられないって、怖い感情と紐付ける言葉じゃないでしょ。


…じゃあさ、喜ばせてもみたくなるね。

逆に屋台でさ、リアンへプレゼントでも買って行ったら?

ツンツンフランはそんなことした事ないでしょ?』


確かに。

屋台の買い物で悲しませてしまったのならば、屋台の買い物で喜ばせるのは、なんと言うか腑に落ちる。


「ドライフラワーの屋台があったな。

どうだろう。」


『んー、そういうのはお母さんにあげたら?

そういえばさ、鍛冶屋の店先に飾り紐が売ってたよ。

剣の柄の穴に通すやつ。


鞘を交換してくれたお礼にも丁度いいんじゃない?』


名案だ。

そう返答しようと思ったが、向かいから人が歩いて来たので、剣の柄を2度叩いた。


あいつは青系が好きだったな。

ついでに自分の分も買って行こうか、高い物ではないし。

髪の色と同じ白でいいか。


喜んでくれると良いが。


帰宅後飾り紐を見せると、普通に笑顔で喜んでくれた、

と思う。

無言だったのでよく分からないのだ。


自分の分の飾り紐も一緒に持っていかれた。

まぁ、喜んでくれたならいいか…。

素早かったな。


『良かったね、……多分喜んでくれたよね。』


うむ!


その日の夕方には、濃いめの青と白色の紐が編まれて取り付けられていた。

それを指でいじるリアンは嬉しそうなので、プレゼント作戦は成功したと言って良いだろう。


やるではないか、声よ。


『あー…編んでつけちゃったか。

あー……。そっか。』


ん?ちゃんと合う色だし、オシャレだと思うけどな、俺は。

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