第7話【愉快な仲間達】
「…まだ寝てるね」
「…ぐっすりだね」
朦朧とする意識の中で、幼い女の子の囁くような声が二つ、どこからともなく聴こえてきた。
「ほんとにあるのかな?」
「エラがあるのかな?」
「起こしちゃダメだよ」
「そーっとだよ」
「…見て見て」
「…すごいすごい」
「ほんとにあったね」
「エラがあったね」
「触ってみたいね」
「触ってみようよ」
ムズムズと、急に首元を虫が這うような不快感に眠りを妨げられ、ノイはゆっくりと重いまぶたを上げた。
「…ん」
目覚めたノイが首元をボリボリと掻きながら寝返りをうつと、こちらをじ~っと見つめる二人の幼女と目が合う。
どちらもおかっぱ頭で、まったく同じ顔をしていた。
「起きちゃったね」
「バレちゃったね」
「………ひっ!」
キャーッ!と、のどかな朝を、けたたましいノイの悲鳴が切り裂いた。
「逃げろー」
「わー」
パタパタと天真爛漫に部屋を駆け回る謎の幼女二人に、驚きを隠しきれないノイ。
寝起きにいきなり見知らぬ人間が目の前にいたのだから当然の反応である。
ノイが布団を抱いてベッドの隅で怯えていると、一体何事かと血相を変えたアベルが部屋に入ってくる。
幼女達はそんな彼の脇を走り抜け、勢いよく外に飛び出していった。
「…な…なな…」
焦りすぎてろれつが回らず、ぷるぷると震えながら指をさすことしかできないノイだったが、アベルはすぐに状況を察して固い表情を崩す。
「…ああ、あの子達はイラとナエル。双子なんだ。勝手に人の部屋に入るなって言ったのに…。驚かせちゃってごめんね」
「双子…」
彼の説明に納得したノイは、ようやく落ち着きを取り戻し、ふぅと安堵した。
アベルはそんなノイを見てフフッと微笑みながら、床に落ちていた彼女の濡れた服を持ち上げる。
「おはようノイ。ちょうど食事の時間だから、こっちに来て。これからのことをいろいろと説明するよ」
アベルから手招きされ、言われるがままベッドから下りて外に出るノイ。
薄暗い部屋の中から一転、まばゆい日射しが視界を真っ白に染めて何も見えなくなったため、思わず手で光を遮る。
ギュッと閉じた目をゆっくり開けると、そこに広がったのは、小さな集落で人々がつつましく暮らす光景であった。
簡素な木造りの家々が辺りに点在し、そこでは洗濯をする者、畑を耕す者、料理を配る者などの姿が見て取れた。
「わぁ…」
「ようこそ、レジスタンスの隠れ里へ」
感嘆の声を上げて立ち止まるノイを、アベルが先導する。
歩きながらノイが周囲を見渡すと、集落全体を覆うようにして天然の岩壁が高くそびえ立っていることに気付いた。
まるで山をくり抜いたような形状の土地に作られたこの村は、外からはただの切り立った崖にしか見えず、まさに隠れ里と呼ぶに相応しい。
そんな村の中で、まず案内されたのは洗濯場。
洗濯場といっても特別な施設などではなく、野ざらしになっている井戸の周囲に衣類を洗うためのタライが置かれていたり、物干し竿が立てかけられているだけの簡素なものである。
干された衣類があたかもその土地を占領する旗のようにパタパタと風でなびいていた。
「ここは洗濯場。汚れた服をそこのカゴに入れたら洗濯係の人達が洗ってくれるんだ。ちなみに、あそこにいるセナがその着替えを貸してくれたんだよ。おーい、セナ!」
アベルに呼ばれ、ゴシゴシと洗濯物をこすっていた女性のうちの一人がふと顔を上げる。
彼女はおもむろに手を止めて立ち上がると、腰くらいまである長い髪を左右に揺らしながらこちらに歩み寄ってきた。
ノイより頭一つ抜けたくらいの高身長で、白の長袖を肘まで捲って、迷彩柄のズボンを履いている。
セナと呼ばれたその女性はノイの目の前で足を止めると、ジッと観察するような視線を全身に這わせてきた。
緊張でノイの体が固まる。
「…案外、似合ってる」
ボソリと風に流されそうなほど細い声が、ノイの耳をかすめた。
「え?」
「…その服、返さなくていいよ。どのみち着替え持ってないでしょ」
それはこの服をくれるということだろうか。
淡々と無表情で話す彼女に、ノイはどう接していいか分からず戸惑う。
とりあえずお礼だけは言わねばと、モゴモゴと唇を動かした。
「あ、あの…ありがとう…」
お礼を言われ、セナはどこか照れたように視線を逸らす。
「あとこれ、ノイが着てた服なんだけど洗濯をお願いできる?」
アベルが持っていた服を差し出すと、それを受け取ったセナは無言でグッと親指を立てて持ち場に戻っていった。
振り向きざま、セナの前髪が大きくなびく。
すると髪の裏側に隠れていた右の頬が、魚のような鱗でびっしりと覆われていることにノイは気付いた。
「あ…」
「ん、どうかした?」
「ほっぺた…」
ノイの呟きに、ああ、とアベルが納得する。
「ここにはね、ノイと同じで特別な体質の人達がいるんだよ。ノイにエラがあるように、セナには鱗がある。でも本人はそのことを気にしてるから、あまり指摘しないであげてね」
「…分かった」
次にノイ達が向かったのは野菜畑。
そこでは毛先の尖ったボサボサ髪の青年が豪快にクワを振って土を耕しているところであった。
腰にシャツを巻き付け、筋肉質な上半身を日光にさらしながら額に汗して働く姿はたくましいの一言に尽きる。
ただ普通と違うのは、彼には四本の腕が生えており、それぞれの手に一本ずつクワを握っているということだ。
「やあハキム、お疲れ様」
「おう、アベル!…と、その隣にいるのは、新入りのノイだったっけか?」
無言で頷くノイの首元をまじまじと眺め、「おー」と唸るハキム。
「エラがあるってほんとだったんだな。水の中で息ができるんだろ?スゲーじゃん!」
声も体も大きい彼の勢いに圧倒され、たじたじな様子のノイを見て、アベルが横から助け舟を出す。
「相変わらず畑でも四刀流とか凄いね」
「畑仕事と筋トレが同時にできて一石二鳥だろ?」
「確かにね。それじゃあこの後も頑張って」
「おうよ!」
クワを地面に突き立て、仁王立ちで見送ってくれるハキムに聞こえないようアベルは歩きながらノイに小さく耳打ちする。
「怖がらなくても大丈夫。ああ見えてとても優しい人だから」
それは実際に話してみてノイにも何となく分かったが、そうは言われても初対面で緊張するなという方が無理な話である。
「あとは食事に関してだけど、実際に受け取ってみようか」
アベルと共に、ノイは配給の列に並ぶ。
老若男女が列をなす先で、手際よくスープをお椀に乗せて配る小柄な少女の姿が見えた。
「はいはーい、お待たせー、お待たせー、お待たせー」
一人一人に対して気さくに声をかけながらあくせくと動くたび、ウェーブがかったショートヘアがふわふわと揺れ、サイズの合っていない大きな丸眼鏡が目元からズレ落ちている。
そして短パンを履いたお尻からは、短く尖った尻尾が突き出してピョコピョコと上下に揺れていた。
「あの子はフェト。今は食事当番をしてるけど、他にも道具や武器を作ったり、何でもできる器用な子なんだ」
身に付けているポンチョはこぼれたスープでベトベトになり、ズレた眼鏡をいちいち支え直す馬鹿っぽい仕草を見る限りではとても器用そうには思えず、ノイは首をかしげる。
だがアベルが言うなら、きっとそうなのだろう。
そうこうしているうちに前の列が消え、すぐにノイ達の番が回ってきた。
「お待た……ハッ!」
ノイの顔を見るなり、食事を差し出そうとしたフェトの動きが突然ピタリと止まり、ノイもつられて硬直する。
「?」
「ノ、ノノ、ノイちゃんだー!」
いきなり黄色い声を上げ、お椀を持ったまま抱きついてくるフェトに、当のノイはわけが分からずオロオロと視線を泳がせる。
お椀に入ったスープが派手にこぼれているが、フェトはそんなの気にする素振りもなく、なぜか瞳をキラキラと輝かせて熱い眼差しを送ってきた。
「じいさまから話を聞いてて、私ずっとファンだったんだ!海で呼吸ができる超人!人類の救世主!そんな人が私の作ったスープを飲んでくれるなんて感無量だよー。ちなみにスープの中に顔を入れても呼吸ってできたりするの??」
興奮気味に鼻息荒くグイグイと詰め寄るフェトを見かねて、アベルがやれやれと間に割って入る。
「ほらほらフェト、まだ後ろにも待ってる人がいるから、話はまたあとで」
「むぅ…、絶対だよ。絶対あとでいっぱい話そうねー!」
めまいがしそうなほどの熱烈なラブコールを受け、ノイの思考はパンク寸前だった。
頭が真っ白になりながらもなんとか食事を受け取り、列から離れる。
どこか腰を据えて落ち着ける場所に行こうと、アベルはノイを連れて村のはずれまでやってきた。
二人が岩壁に沿って砂利道を歩いていると、ふと目の前に不自然に石が積み上げられた一角があった。
小石から大きな岩石まで、大小バラバラの塊が、明らかに人間の手によって山の斜面を塞ぐような形で盛られていた。
「…あれは?」
横を通り過ぎながらノイが尋ねると、アベルはピタリと足を止めて振り向く。
「ああ…、あそこに洞窟があるんだけど、中に入ると危ないからああやって入口を塞いでるんだ」
「ふーん…」
それなら注意書きの看板を立てるくらいでよさそうなものの、わざわざ完全に塞ぐなんてよほど危険な場所なのだろうと薄々ながら感じた。
そこから少し歩いたところに大きな樹が一本生えていたため、二人はその木陰に腰を下ろして食事をとることにした。
食事といっても渡されたのは、細かく刻まれた魚や野菜が入ったスープだけ。
とてもお腹が満たされるような量とは言い難い。
「最近は魚が全然捕れなくて食事の量が少ないんだ。ごめんね」
それでも空腹のノイにとっては、どんな食べ物だろうとありがたいことに変わりない。
いただきます、とお椀を顔に近付け、ずずずと一口啜る。
「美味しい…!」
スープを口に含むなり、思わず声が出るノイ。
魚から出たコクと、香草の爽やかな風味が口いっぱいに広がり、脳が痺れそうなくらいの旨味に溢れていた。
薄い色合いとは裏腹に深みのある味付けで、全然水っぽさがない。
こんなに美味しいスープを飲んだのは生まれて初めてだった。
「美味しいでしょ?フェトは料理の名人なんだ。作り方は誰にも教えてくれないんだけど」
アベルの言葉も耳に入らず、夢中でお椀に口をつける。
あっという間にスープを飲み干したノイは、一時の満足感に浸っていた。
あまりにも幸せそうな表情を浮かべる彼女を見て、アベルは少し考えてから、自らのお椀を差し出す。
「…よかったらこれも飲んでいいよ」
「え!?…いいの?」
「うん。僕はあんまりお腹すいてないからさ」
それが気遣いだと分からないほどノイは馬鹿ではない。
彼もきっと我慢をしているに違いないのだ。
だがそれでも昨日からろくに食事をとっておらず、ずっと空腹と戦っていた彼女にとって、それは抗える提案ではなかった。
「…ありがとう、アベル」
躊躇いながらもアベルからお椀を受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らしてスープの味を噛み締める。
その瞳に、じわりと涙がにじんだ。
アベルはそんな彼女の様子を、不満など微塵も感じさせない笑顔でニコニコと眺めていた。
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