第4話【高地の王】



激しい嵐の中、数多の軍勢を引き連れて高地の王が自らここまでやってきた。

それが良い知らせを意味しないことを一同は肌で感じ取っていた。

皆の怯えきった視線を一身に受けながらも、カインは実に堂々とした態度でノイに向かって拍手を送り続ける。


「この荒れた海から命綱も無しで生きて帰るとは大したものだ。まさに奇跡」


「………」


ノイは答えない。

カインのことを初めて見るノイにとっては、彼が誰なのかすら分からない。

それでも父や漁師達が向ける目で、カインがどういった人間なのかというのは何となく察していた。


「目を疑う光景だったよ。お前のような小娘が溺れた大人を背負って泳ぐ様子は。…しかも、“息継ぎもせずに”」


ハッとして、慌てて首元のエラを手で隠すノイ。

しかしもはや手遅れだった。

岸に上がった時点で、すでに彼女の秘密はこの場の全員に知れ渡っていたのだ。


「呼吸ができるんだろう?海の中で」


カインからの射抜かれるような視線にノイが戸惑う中、レメクがそれを遮るような形で前に出る。


「…高地の王カインともあろう者が、わざわざこんな低地まで何の用だ?今月分の食料はすでに渡したはずだ」


「俺の船が沈んだとの知らせを受けてな。直接確かめに来たら、このありさまだ」


カインは海岸にくくりつけられたロープを指差し、這い上がってきた船員達に目を向ける。


「積み荷は全て失ったが、このロープを海に張った勇敢な者のおかげで、船に乗っていた俺の部下達の命が救われた。…だが」


武装した兵士達が、怯える船員の中から一人捕らえてカインの前に引きずり出した。

腕を掴まれた船員が必死に抵抗しながら、声にならない悲鳴を上げる。


「困るんだよ。食料が沈んだのに、飯を食う口だけが浮かんでくるのは」


そう言うとカインは腰から引き抜いた大鉈を振りかぶり、船員の首を一刀両断したのだった。

それは誰も止める間のない、まさに一瞬の出来事。

胴体から切り離された頭部が地面に転がり落ち、ノ

イの方を向く。

まだ微かに意識のある二つの瞳が虚ろに揺れ動いていた。


「ひっ…!」


「おかげで余計な手間が増えた。やったのはそこの小娘か?」


娘に降り注ぐ邪悪な視線を遮り、レメクがとっさに声を張り上げる。


「いや私だ!私がロープを海に張った。罰なら私が受ける。だから娘に手出しをしないでくれ」


「なるほどな」とカインは二人を交互に見て、ニヤリと怪しい笑みを浮かべた。


「本来ならお前を船員もろとも処刑するところだが、もしも娘を差し出すなら今回のことは水に流そう」


「!?」


その提案に誰よりも動揺したのはノイであった。

自分がカインのもとに行くことで父の命が助かるなら、断る理由などどこにもない。


「父さん、私…」


だがレメクがそんな彼女を制止する。

カインの発言が信用できるとはとても思えなかったからだ。


「娘を一体どうするつもりだ?」


「なあに、ちょうど腕のいい漁師を探してたところでな。その娘は俺の方舟に乗る資格がある」


「…方舟か。そんなものでたかだか数年生きながらえたところで何になる。地上はいずれ海に飲み込まれて、人類は滅びる。そもそもお前達があの船を作るために自然を破壊しなければ今頃こんなことにはならなかったんだ」


「俺達がやらなくても、他の誰かがやってただけさ。資源ってのは早い者勝ちなんだ。だから俺が勝ち取ったまでだ」


殺害された船員の首から溢れ出る血が、大地を叩く雨水に乗ってレメクの足下へと流れ込む。

雷がゴロゴロと恐ろしげな音を立てながら暗雲の中を走り抜けるたび、武装した兵士達の持つ剣が光を反射してギラギラと輝いていた。


「…腕のいい漁師なら他にも大勢いる。なのにどうしてこの子にこだわる?」


「そんなに知りたいか?それはな…」


カインがおもむろにその体を前に進めて、レメクへと歩み寄ってくる。

一歩足を踏み出すたび、ピチャピチャと地面の血溜まりが弾けて赤い飛沫が跳ねる。

右手に握っている大鉈は振り子のように揺れ動き、身を包む鎧がガシャガシャと擦れて重低音を響かせた。

カインの放つ圧力に負けそうになりながらもレメクは決して後退りすることなく、ノイを守るようにして立ちはだかる。

やがてカインの顔がレメクと交差し、耳元で何かをボソリと呟いた。


「※※※」


その小さな声は嵐に掻き消されて周囲に届くことはなかった。

聞き取れたのは、レメクただ一人。


「…貴様っ!!」


はたして何を聞いたのか。

大勢が固唾をのんで見守る中、レメクは突然血相を変えてカインの胸ぐらに掴みかかる。

直後、凄まじい落雷が轟音と閃光で世界を満たした。


「!!」


あまりの衝撃に思わず身をかがめるノイ。


(………父さん?どうなったの?)


あらゆる音が消え、代わりにキーンという小さな耳鳴りが鼓膜にしつこく纏わりつく。

ノイがまぶたを開けると、チカチカと点滅する白い残光に混じって父の後ろ姿がぼやけて見えた。

徐々に光は消え去り、視界が戻ってくる。

そこに映る光景は先ほどまでとまったく同じ。

…ではなかった。

父の背中から、何かが飛び出していた。

先端から赤い雫を滴らせる、長くて鋭利な何かが。

それがカインの持つ大鉈だと気付くや否や、ノイは頭が真っ白になる。

大鉈の刃先が、父の体を貫いていたのだ。

そして急に刃先が引っ込んだかと思うと、目の前でレメクが地面にドサッと倒れこむ。


「父さん!!」


すぐさま父に触れようしたノイの腕を、カインが強引に掴んだ。


「!」


「父親が死んで、これで心残りもあるまい。さあ、俺と一緒に来るんだ!」


カインの指がノイの手首にグッと食い込む。

どれだけ振りほどこうとしても、力で勝てる相手ではない。

それでもノイは精一杯の力を振り絞って、死にゆく父の方を向いた。


「嫌!離してっ!!」


ノイの悲痛な叫びが海岸に響いた。

その時である。

どこからともなく放たれた一本の矢が、カインの眼球に突き刺さったではないか。


「ぐぁっ!?」


鈍い衝撃の後、激痛がカインの左眼を蝕む。

たまらずノイから手を離すカイン。

よろめきながら顔をかばうも、指の隙間からはボタボタと鮮血がこぼれ落ちていた。






「…チッ、仕留めきれなかった」


海岸からやや離れた丘の上でひっそりと身を屈めながら、長髪の若い女がボソリと呟いた。

肌の色こそ低地の民と同じ褐色だが、とても漁師には見えない。

何故ならその手には発射口が異様に長い、巨大なボウガンが握られていたからだ。

矢を放ったのは彼女であった。

その一発を皮切りに、突如として褐色肌の集団が続々と建物の陰から姿を現し、カインの軍勢に対して攻撃を開始した。


「うおー!今日こそはカインの野郎をぶっ殺すぞ!!」


四本の腕にそれぞれサーベルを持った青年が、高地の兵士達を斬り伏せながら高らかに叫ぶ。

青年は獣の如き勢いで突き進み、目の前に立ち塞がる敵を問答無用で屠っていった。

一体何事かと慌てふためき身を寄せ合う兵士達。

とにかく反撃しようと武器を構えた矢先、足下に丸くて黒い塊が転がり込んでくる。


「?」


それが何なのか理解する間もなく、塊がいきなり破裂して付近の兵がまとめて吹き飛んだ。

塊の正体は小型の爆弾であった。

しかも爆発はその一回にとどまらず、海岸のあちこちで次々と地面が弾け、兵士達が臓物を撒き散らしながら宙を舞う。


「はいはーい、民間人の方々は避難してねー。こっからはレジスタンスの時間ですよー」


眼鏡をかけた少女が呑気な様子で漁師達に声をかけながら歩き回る。

しかしまるで危機感を感じさせないそんな態度とは裏腹に、大きなショルダーバッグの中から手製の爆弾をいくつも取り出し、兵士達に向かってポイポイッと手際よく投げつけていた。


降り注ぐ矢と、攻め込んできた伏兵、巻き起こる爆発によって周辺は瞬く間に戦場と化し、状況は混乱を極めた。

カインが左眼を押さえながら部下に向かって怒鳴りつける。


「ぐっ…、あのゴミどもを皆殺しにしろ!!」


王の命令を受け、カインの軍勢も一斉に反撃に出た。

漁師達や生き残った船員達は巻き込まれるのを恐れて、蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。

大勢が入り乱れて争いを繰り広げ、誰が敵で誰が味方なのかも分からない喧騒のさなか、ノイはただレメクの前にひざまずく。

彼にはまだかろうじて息があった。


「父さん、早くここから逃げよう!」


父の体を起こして必死に訴えかけるノイ。

だがレメクの命がもはや風前の灯火であることを、彼女は薄々と感じ取っていた。

感じ取っていながらも、それを受け入れることなどできやしない。

ノイにとってレメクはたった一人の家族なのだから。


「ノイ…海に逃げろ」


レメクがゲホゲホと咳き込むと、口元が赤く滲んだ。

そんな彼を支えるノイの手も、父の傷口から流れ出る血で染まっていた。


「やだよ父さん!父さんがいなきゃ私…」


「…父さんはいつでもお前の中にいる。お前は一人じゃない」


レメクはそう言ってノイの手を握り締める。

しかし諦めきれないノイは、なおもその場から離れようとしない。

そんな二人に気付き、部下に肩を借りて撤退しながらカインが声を張り上げた。


「小娘を捕まえろ!!」


「!?」


すぐに兵士の一人がノイのもとへと迫る。

血走ったカインの瞳が恐ろしい結末を予感させた。


「…早く行くんだ、海へ!」


最期の力を振り絞って、レメクが叫んだ。


「…っ!」


ノイはその声に弾かれて立ち上がると、海に向かって一目散に駆け出した。

そしてカインの叫び声と雷鳴を背中に受けながら、海岸のふちから飛んだ。

ザバンッと海面で勢いよく上がった水柱はその後高波に飲まれ、ノイの痕跡を掻き消す。


「それでいい…」


娘が海に消えるのを見届けて安堵の表情を浮かべるレメクに向かって、カインが後ろから大鉈を振り下ろした。


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