第19話:難題「波の揺れ」

 『ベルン・スチール』の完成により、不可能と思われた「重力制御籠(ジャイロ・ケージ)」の製造は、一気に現実味を帯びてきた。


 弟子たちが昼夜を問わず削り出した鋼のパーツは、俺の想像を超える出来栄えだった。

 髪の毛の半分ほどの厚さしかないのに、指で押してもたわまない剛性。

 これならいける。

 俺は震える手でピンセットを握り、顕微鏡を覗き込みながら、歴史上誰も成し遂げたことのない機構の組み立てに入った。


 だが。

 神様ってやつは、本当に性格が悪いらしい。

 素材という壁を越えた先に、もっと高く、絶望的な壁を用意していやがった。


          * * *


「……止まった」


 深夜の工房。

 俺の呟きが、静寂の中に吸い込まれていく。

 作業机の上には、試作段階のムーブメントが置かれている。

 その心臓部には、通常ならテンプが鎮座している場所に、複雑怪奇な鳥かごのようなパーツ――ジャイロ・ケージが組み込まれている。


 一分前までは動いていた。

 だが、俺が机を少し傾けた瞬間、その回転は不自然な音を立てて停止してしまった。


「クソッ……! またか!」


 俺は机を拳で叩いた。

 これで百回目の失敗だ。

 平らな場所に置いている時はいい。だが、少しでも傾くと、途端にケージの回転が止まる。

 これでは意味がない。

 俺たちが作ろうとしているのは「マリン・クロノメーター」。嵐の海で激しく揺れ動く船の上で、正確に時を刻み続けるための時計だ。

 傾いたくらいで止まるようなヤワな機械なら、王都の飾り時計と変わらない。


「……摩擦か? それとも重量バランスか?」


 俺は一人、ブツブツと呟きながら試作品を睨みつけた。

 エリアナや弟子たちは、既に仮眠をとらせている。今のこの作業は、感覚と理論のすり合わせだ。俺一人で集中しなければ答えは出ない。


 普通の時計は、テンプのヒゲゼンマイが重力に引っ張られることで、時計の向き(姿勢)によって進み方が変わる。

 陸上で使うなら、夜寝る時に平らに置けばいい。だが、海の上ではそうはいかない。船は常に揺れ、傾き続ける。

 だから俺は、この『ジャイロ・ケージ』を考案した。テンプそのものをカゴに入れて回しちまえば、重力の影響は全方向で相殺チャラになるはずだった。


「だが、現実は甘くねえ……」


 カゴ自体に重さがあるから、傾けると今度はカゴの軸に強烈な摩擦がかかる。その摩擦がゼンマイのパワーを食いつぶして、時計を止めちまうんだ。


 俺は引き出しから、師匠の遺した設計図を取り出した。

 ボロボロになった羊皮紙。

 そこには、師匠が考えた複雑な歯車の配置図が描かれている。俺はそれを忠実に再現しようとしていた。


「重心だ」


 俺は気づいた。

 このケージ、部品の配置が偏ってる。脱進機(アンクル)とガンギ車が片側に寄ってるせいで、回るたびに重心がブレてやがるんだ。回転するコマの軸がズレてるようなもんだ。


 修正しなきゃならない。

 だが、どうやって?

 偏っているなら、逆側に重りを乗せればいい。カウンターウェイトだ。

 だが、それでは全体の重量が増えてしまう。重くなれば止まる。

 軽くしながら、バランスを取る?

 そんな矛盾したことができるか?


 冷や汗が流れる。

 コンペまで残り二週間を切っている。


「……やるしかねえ。加工でねじ伏せてやる」


 俺は顕微鏡を覗き込み、直径1センチにも満たないケージを見つめ続けた。

 金属の迷宮。

 その中で、重力という見えない悪魔が笑っている。


 その夜から、俺の孤独な戦いが始まった。

 俺は弟子たちを総動員し、部品に「肉抜き」の穴を開けさせた。強度が落ちるギリギリまで、0.01グラム単位で重量を削り落とす。

 さらに、バランスを取るための微細なオモリを追加し、複雑なバネを組み込んで制御しようと試みた。


 三日後。

 つぎはぎだらけの、さらに複雑になったジャイロ・ケージが組み上がった。

 見た目はまるで、蜘蛛の巣に絡め取られた昆虫のようだ。部品点数は倍に増え、調整箇所は無限にある。


 俺は震える手で、それをムーブメントにセットした。

 運命の瞬間。


 ゼンマイを巻く。

 テンプを弾く。


 チチ……チ……。


 回った。

 だが、その音は苦しげだった。


「……傾けるぞ」


 俺は慎重に、時計を持ち上げ、斜めに傾けた。

 45度。


 ガリッ。


 嫌な音がして、回転が止まった。

 それどころか、複雑に組み込んだバネの一つが弾け飛び、内部で弾ける音がした。


「あ……」


 見ていた弟子たちの悲鳴が上がる。

 壊れた。

 自分の重さと複雑さに耐えきれず、自壊したのだ。


「なんでだ……! 計算は合ってるはずだ! バランスも取った! 摩擦も減らした!」


 俺は壊れた時計を握りしめ、叫んだ。

 分からない。

 何が間違っている?

 部品を増やせば増やすほど、調整すればするほど、機械は繊細になり、ちょっとした衝撃で壊れてしまう。

 こんなもので、嵐の海に耐えられるわけがない。


 師匠の設計図を見る。

 師匠も、ここで詰まったのか?

 この複雑怪奇な迷路の中で、出口を見つけられずに力尽きたのか?


「アルド、少し休みましょう。もう三日も寝ていないわ」


 背後から、エリアナが心配そうに声をかけてきた。彼女の手には温かい飲み物がある。

 だが、俺の耳には届かなかった。

 焦りと絶望が、俺の視野を狭くしていた。


「休んでる暇なんかねえ! コンペは待ってくれねえんだぞ!」


 俺は彼女の手を振り払い、怒鳴ってしまった。

 ハッとして振り返ると、エリアナが傷ついたように目を伏せていた。


「……すまん。だが、今のままじゃ絶対に勝てねえ。もっとだ……もっと精密に、もっと複雑に制御しなきゃ……」


 俺は取り憑かれたように、再び図面に向かった。

 思考が空回りする。

 足せば足すほど、答えが遠のいていく感覚。

 泥沼だ。

 俺は、師匠と同じ場所で、同じように溺れかけている。


 窓の外では、風が強まり始めていた。

 まるで、俺たちの行く手を阻む嵐の前触れのように。

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